第103話 破滅と絶望の結果

 シャッと鋭い金属音をたてて、剣が台座より抜ける。全員が、なにがあってもいいようにと、身構えていた。痛い程の沈黙が、室内を満たす。


「…………」


 アタシもまた、剣を抜いた姿勢のまま身構えている。だが、室内に動きらしい動きはない。台座からも、特になにかが動くような音は聞こえない。この階層に入ってからというもの、続いてきた沈黙が相変わらず重くのしかかっている。


「「…………」」


 マグもトゥレドも、しきりに周囲を見回す。だが、どこにも変化はない。


「「…………」」


 パトロクロスは、早くも拍子抜けとばかりにため息を吐いた。バルモロは、なにかを考えるように顎に手をやる。

 それから一分。待てど暮らせど、なにも起きないと思っていたアタシたちの頭上、採光用の窓から注いでいた、月光が遮られた。それが意味するところは、月と窓との間をなにかが通り過ぎたという事。

 それを理解する前に、全員が一斉にそちらを見る。しかし、既に月光を遮ったなにかは、その姿を消しており、窓からは優しい白銀の明かりが降り注いでいるばかりだった。

 それからしばらく、パーティの半分が窓を、もう半分がそれ以外の場所からの奇襲を警戒していたものの、やはり変化はない。そして思い出す。この月と夜空は、あくまでも幻であるという事を。だとすれば、なにかが月光を遮ったとて、それ程心配する必要はないのかも知れない。あくまでもこれは、ハリュー姉弟の、恐らくは弟が作り出した光景でしかないのだから。

 この【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】に入ってから、あまりにも変化がない事に慣れてしまったアタシらは、ここで安堵してしまった。

 やはり――ここで起こったなにかは、姉弟にとっても不慮の事態だったのだ。だからこそ、宝剣はここに放置され、上階にあったような罠も一切存在していないのだ。

 この部屋やあの月とて、案外ここで作業していたであろう何者かの為に、外を意識できる施設を作っただけなのかも知れない。月光を遮ったなにかは、雲や梟の幻である可能性は往々にしてあるだろう。


 自然と楽観論が湧いたその瞬間――それは落ちてきた。


 ●○●


「【月光の封印シールドオブルーナ】の解除を確認」

「【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】の入り口及び、出口付近の罠【死の彷徨ウォーキングデッド】の自動発動を確認。順調に推移」


 作ってから初めての【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】の稼働につき、僕らはその罠の起動に不具合が生じないかを、事細かに確認していた。いまのところ、問題はない。


「現在の領域占有率は一%前後ですが、順調に増えています」


 至心法ダンジョンツールを確認しながら、グラが報告をする。僕の方でも同じ画面を見ているが、占有率は刻一刻と上昇し続けているのがわかる。


「これが三割を超える頃には、一パーティではどうしようもなくなっているだろう」

「そうですね。彼らにできるのは、いますぐ踵を返し、脱兎のように形振り構わず【不通の廊下コリドーオブスタンダード】へと戻るか、あるいは四階層を目指すかしかありません。そうでないなら、いずれ手遅れになるでしょう」


 順調に作動している罠に安堵してか、グラの口も軽い。そんな彼女の淡々とした口調に、しかし僕はやや鬱々とした気持ちで返す。


「タイムリミットは、どうしようもない程に短いんだけれどね」

「仕方がありません。欲に駆られて、我々の所有物に手を出した報いです」


 それはそうだ……。そうなのだが……。


「ショーン? どうかしましたか?」

「いいや、なんでもない。地上の方も大変になってきているし、さっさとこっちは片付けてしまおう」

「そうですね。私としては、別に町の住人たちが何人このダンジョンに侵入してきても、問題ないのですがね」

「まぁ、そうだけれどね……」


 僕は曖昧にそう答えてから、再び三階層の彼らへと意識を戻す。昨日倒した連中と違って、彼らの排除には暗澹たる思いがある。それが僕の、どのような感情に起因しているかわかっているからこそ、僕はその思いを断ち切らねばならない。


――化け物として。


「封印解除後、【封印の間】における侵入者の一定時間の滞在を確認。侵入者排除用の自動補給機能モンスターキューが作動します」

「オーケー。【死の彷徨ウォーキングデッド】の発動からそろそろ二分かな……。あと三分程で【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】内の明暗の差を、不自然でない範囲で濃くする【夜に佇む者ブギーマン】が起動するよ」

「了解。同時に【死の彷徨ウォーキングデッド】の三分の一程度の稼働率で【死の咆哮コールオブザデッド】の自動補給機能モンスターキューが発動します。お互いに正常稼働するか、確認しましょう」

「了解」


 あの【封印の間】の自動補給機能モンスターキューと、この【死の咆哮コールオブザデッド】の自動補給機能モンスターキューは、本来の形の自動補給機能モンスターキューではない。

 刻一刻と、彼らのあずかり知らぬ場所で、事態は深刻化していく。時間が経てば経つ程に、個人や一パーティではどうしようもない程に【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】は、ただの執務室オフィスから、死の巷へと変貌する。


 致命的な程に、それは侵入者たちとは別の場所で、進行していく。手遅れになるまで……。


 ●○●


「――上ッ!!」

「敵襲だ!!」


 トゥレドが上方の気配を察し、マグもまたその動きから攻撃の気配を察して警告を発した。ガラスの割れる音と破片が降り注ぐ中、それは下方にいたアタシたちに襲い掛かる。


「【傘盾ウムブレラ】」

「うおらぁああ!!」


 シドが張った結界で減速したおかげで、パトロクロスの迎撃が間に合う。戦鎚がその襲撃者を打ち据え、アタシらから離れた場所まで吹き飛ばした。

 ちょうど台座の元まで吹き飛ばされたそいつは、月光に照らされて、全容を露にする。


「【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】だ!! この部屋で相手をするのは厄介だぞ!」


 バルモロの忠告は、誰もが周知の事実でもあった。それは、アタシらも見覚えのある、死霊術で作られた疑似的なアンデッドモンスターだったのだから。魔石を中心に、骨で形成された巨体を有する、体高三メートル半ば、全長八、九メートル程の巨体が、青白い月光の中でのそりと体勢を立て直す。

 こちらに向けて、その鋭い牙の生え揃った頭蓋を向け、空っぽの眼窩で睨め付ける。その姿は、バルモロが使う死霊術で作られたソレと、ほとんど変わらない姿であり、なんとも不思議な感覚だ。

大骨獣ヒュージビーストスケルトン】は巨体でありながら、肉がないからか身軽であり、そしてその巨体にふさわしい膂力と、爪牙での攻撃力を誇る。この【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】は遊撃に使うと、敵の注意を引きつつ、十分なダメージソースともなり得る有用な死霊術だ。勿論、消耗する魔石の質を思えば、滅多な相手に使える術ではないが、ここぞというときには強い味方となってくれた。

 それがいま、敵としてアタシらの前にいる。本当に、不思議な気分だ。


「逃げるよ!! こんな狭い部屋で【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】の相手なんて冗談じゃない!」


 アタシの言葉に、全員が「応ッ!」と返事を返すと、入り口を背にジリジリと下がり始める。この石造りの部屋はそれなりに広いが、流石に【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】と戦うには狭すぎる。危険な爪牙を有する、動きも素早いこの【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】が相手では、後衛や斥候たちを庇う事すらままならない。

 当の【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】は、どういうわけか動きが鈍い。見れば、月光を厭うような仕草を見せているが、死霊術で作られた疑似モンスターが月光に弱いなんて話は聞かない。死霊術の使い手であるバルモロからも、これまでそのような話は聞いた覚えはない。

 となれば、なにかの罠か誘いと見るべきだろう。いや、あるいはこの工房で作られた死霊術の疑似モンスターに共通する、弱点というのも考えられる。いやしかし、死霊術で作られた疑似モンスターが、術者に反抗したなどという話は、噂ですら聞いたためしはない。そもそも、死霊術というのはそのような安全弁など必要ない代物のはずなのだ。

 わからない事にぐるぐると思考を巡らせている間に、背後の扉が開く音がする。トゥレドが扉の先を確認して、ぎょっとしたような顔をするのが視界の隅で見えた。


「音、するよ。なんか、いる」


 チッ。どうやら帰り道は、来たときのようになにもない道とはならないらしい。まぁ、当然か……。


「それでもここは退くしかない! 順次廊下に出ろ! 急げ!」


 気を取り直した【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】が、逃げようとするこちらに気付いて体勢を整えたところが視界に入り、アタシは声を張る。スルスルと扉から外に出るメンバーを確認し、最後にアタシとバルモロが扉を出ると、急いでそれを閉める。

 なにかがぶつかるけたたましい音が鳴り響いたが、幸いにして扉が破壊されるような事はなかった。随分と頑丈な扉で助かった……。あの【大骨獣ヒュージビーストスケルトン】の攻撃でもビクともしないだなんてね。

 安堵も束の間、すぐにアタシらの耳にも、なにかが蠢く音が届く。なにかを引きずるような、湿った足音。瓦礫の落ちる音。なにかがぶつかり合う音に……呻き声。

 それがなにか……。わからないわけではない。だが、信じたくはなかった。


 やがて、アタシらの視線の先、薄暗い廊下の奥から、ソイツは現れた。のそのそと緩慢に動くそれは――ゾンビ。死霊術で作られるものとは、明確に違う肉を持った死霊――すなわちモンスターだった。



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