第102話 欲望と希望のスイッチ

 ●○●


 その部屋の中央にあったのは、台座に突き刺さるように安置されている、宝剣だった。これまでの部屋の雰囲気とはまるで違う、石造りの室内の中央の台座に、これ見よがしに突き刺さっている宝剣。

 黄金製と思しき鍔や柄尻には色とりどりの宝石が嵌められ、その剣身は磨きたてのように輝き、朧気ながらアタシらの姿を写している。


「サディ! 飛び付くなよ?」


 マグの注意がなければ、ふらふらと近付いていたかも知れない。アタシは全員を見回す。特に、欲望に忠実なトゥレドあたりが先走らないか、注意を払わないと。

 この部屋の探索は、マグに任せよう。アタシとパトロクロス、ついでにトゥレドは部屋の出入り口付近で、退路を確保。室内は基本、冷静なバルモロ、マグ、シドに任せる。といっても、シドとトゥレドはアタシらとバルモロとの間で、なにかあった際には両側のサポートをする要である。

 なにはともあれ、ようやく待ちに待ったお宝に、アタシもパトロクロスも頬が緩む。トゥレドやバルモロは勿論、マグだって嬉しそうだ。あの剣があれば、当面の旅費と生活費くらいにはなるだろう。


「しかし、変な部屋だな。これまでの外観とは、違い過ぎるぜ」

「たしかに」


 パトロクロスの言葉に頷く。これまでは、なにでできているのかもわからないような素材で作られていた壁や天井が、ここだけはよく知る石造りの部屋なのだ。部屋の中央に宝剣の刺さった台座がある以外は、その奥に先に続く扉があるだけの部屋。四角い石を積み上げて作られた部屋は、まるで牢かなにかのように閑散としている。高い位置にある明り取り用の窓からは月明かりが差し、中央の台座を照らしているようだ。まるで、それが伝説に謳われるような、神聖な剣であるかのようですらある。

 と、そこまで考えて、首を傾げる。月明かりだと?

 アタシは明り取りの窓に視線を送り、まじまじとそこを見る。まるで地上にあるような施設を探索していたせいで忘れていた。ここは地下だ。どうして、窓があり、窓の外に夜空が見える? その夜空の月が、どうして剣を照らしている?


「トゥレド! あの窓はなんだい!?」


 アタシは真っ先に、斥候の能力にも秀でている弓手のトゥレドに問う。だが、トゥレドもまたこの施設の雰囲気に呑まれていたのか、窓をスルーしていたようで、慌ててそこを調べに動く。これには、前方で台座やその周囲を調べていたマグも盲点だったのか、苦い表情を浮かべていた。

 それも仕方がないと思う。この部屋の光景は、ここまで続いてきた、よくわからない材質で作られた施設、馴染みのない形の金属机と紙、血痕と破壊痕という、まるで異世界のような光景と比べれば、馴染み深過ぎた。

 見慣れぬ施設から、見慣れた様式の部屋に入った事で、地下にある採光窓という、本来あり得ないものにすら、違和感を抱けなかった。


「ダメ。届かない。調べよう、ない」


 トゥレドが無念そうに首を振る。それもまた仕方がない。まるで牢のようなこの部屋にある採光窓は、相応に高い位置にある。ここからでは、精々丸い月と無数の星々、そして夜の空と流れていく雲の影だけしか覗けない。

 だが、そんなものが見えるわけがない。ここは地下であり、それも随分と深い場所だ。故にあれは、幻でしかない。


「……ショーン・ハリューは、幻術師……。……アレもまた、幻……」


 シドの言葉は、恐らくは真実なのだろう。だが、問題は、なぜそんなものを作ったのかだ。まさか、ただの雰囲気作りの為ではあるまいし、数秒間流していたアタシらがいえた事ではないが、ここを地上と勘違いさせる為などという話でもないだろう。

 全員が、お宝を前に緩みかけていた気を引き締めて、室内の探索と警戒に戻る。結局、謎が増えただけだが、それでもここで気を引き締められたのは幸いだ。


 たっぷり一時間調べたものの、室内でそれ以上なにかが発見される事はなかった。この部屋にあったのは、採光窓とその先の夜空、そしてそんな窓から差す月光に照らされた、宝剣だけだ。


「しかも、罠らしい罠がないときている……」


 アタシが嘆息すると、バルモロも疲れたようにため息を吐いた。マグやトゥレドは、むしろ罠があった方がマシだとでも言わんばかりに胡散臭そうに剣を見ているし、パトロクロスですら怪しいお宝に喜びよりも、不気味さを覚えているようだ。あのシドの表情すら、やや翳っているのが状況の深刻さを表している。


「罠ある、すれば、剣抜く、発動する」


 沈黙を破るようにして、トゥレドが懸念を伝える。それにマグも頷く。

 剣が刺さっている台座の内部になんらかの仕掛けがあり、そのストッパーが剣であり、外せばそれが作動するという事はあり得るだろう。それ以外に罠がない現状、その可能性が高いとすらいえる。

――こんな高そうな剣を、ただ放っておく意味などないのだから。


「どうする?」


 パトロクロスが、できればスルーしたいという表情でこちらに問いかけてくる。アタシだって、できる事なら無視したい。だが、ようやくお宝を手にする機会を得たというのに、それを放って先に進むというのも、危う過ぎる。

 ここまでなにもなかったせいで、アタシらはこの【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】の、かなり奥まで進んでしまっている。あとどれだけあるのかわからない先に進むのも厳しいというのに、探索を諦めて戻ろうにも、ここは敵の懐の奥深くだ。

 ある意味では、いまこの場所こそが、最も危険であるといえる。せめて入り口か出口か、どちらかに近ければまだマシだというのに……。


「――アタシとしては、ここいらが潮だと思う」


 アタシは自分の考えを口にする。どちらにしても、リーダーだからと頭の悪いアタシの一存で決めるべきではない。全員に諮り、納得した方に進むべきだ。その為にも、己の考えをここで明示しておきたい。


「これより先に進んだら、誰がレタンのあとを追ってもおかしくない。そこまでエルナトのヤツに義理立てする理由もない。あの剣を抜いて、来た道を戻る。それで、なにかの仕掛けが作動しても、前と違って後ろなら道もわかる。危険があっても、それを突破して退却するのは、ケツを蹴りあげられながら、未知の道を進むよりかはよっぽど安全だろう?」


 その問いに、全員が一様に頷いた。


「あの剣さえあれば、ひとまずの蓄えとしては十分だ。これ以上欲をかいても仕方ねえ。早々にこの町を去り、二度と戻って来ない。あの姉弟とも、二度と関わらない。これがアタシの考えだ」


 アタシの言葉に、真っ先に頷いたのは副リーダーのバルモロだった。続いてトゥレド、シド、パトロクロスが頷く。どうやらこいつらも、欲望に目を曇らせてこの工房をどこまでも進もうだなんて思っていなくて安心した。


 もう本当に、ハリュー姉弟と関わり合うのはこりごりだ……。


 こんな工房を作っちまうような魔術師と、正面切って争うなんて、ダンジョンに挑むよりも面倒だ。少なくともダンジョンが相手なら、他にも頼れるヤツは多いし、ギルドも国も味方をしてくれる。

 ウル・ロッドが汚名も恐れず手打ちを願うはずさ。端から手を出しちゃいけないもんだったんだ、あの姉弟は……。

 できる事なら、アタシらもウル・ロッドと同様に、どこかで手打ちにしたいという思いもある。この因縁が遺恨となって、後々降りかかる災厄を火の粉程度にするか、火と硫黄の雨にまで至るのか、わかったもんじゃない。

 だが、それもせめてほとぼりが冷めてからだ。だが、せめて再出発の為の元手は欲しい。

 アタシは台座に刺さっている剣を把持する。勿論、危険は承知のうえだ。

 剣を抜いた瞬間に罠が作動するとするなら、この剣を抜く作業こそ一番危険だ。だからこそ、ここはリーダーとして率先して動くべきだ。アタシの代わりなんて、バルモロにもできるのだから。

 形ばかりのリーダーとして、こんな所まで皆を連れてきてしまった責任を取る意味でも、もうレタンのような犠牲を生まない為にも、この剣はアタシが抜く。

 最後に全員の顔を確認する。なにがあっても動けるようにしている皆に頷き、それに頷き返す全員の顔を、脳裏に刻み付ける。もしもこれが今生の別れとなろうと、あの世でも仲間たちの顔を忘れぬように。


 そしてアタシは、一息に剣を――抜いた。



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