第101話 増える階層ボス
「エルナトさん!」
声のした方を見れば、マスがロープを離して溜池に着水するところだった。大きな水音をさせて駆けてくるマスに、またも剣に水ムカデの体液が付いてしまったので、丁度いいと思っていた。
どうやら戦闘の最後の方を見ていたらしく、またもあのキラキラとした憧憬の眼差しを向けてくる。
「エルナトさん! 今度こそやりやしたね!」
「ああ。悪いが、さっきの手拭いをまた貸してくれ」
「へい!」
マスからまたも手拭いを借りて、剣を拭う。まったく、倒した肉体は消えるのに、どうしてこういう細かいもんは消えねえのか。まぁ、これが消えていたら、あの空中交叉路の時点で、水ムカデが生きているのか死んでいるのか、またはモンスターなのか否かがわかっただろうが。
俺は剣から得体の知れない体液を拭い去ると、剣を納刀してから、水底の魔石を拾う。べったりと真っ赤なそれは、輝きもなく、俺の手のひらに収まる程度の大きさだ。
「なかなかの大きさだな。色からしても、質も良さそうだ」
まるで階層ボスから得られる魔石並みの純度といっていいだろう。まぁ、詳しいところは、冒険者ギルドや魔術師の工房で調べないとわからないが、それでも見た目より大きく価値が劣るとも思えない。
「なんだって、本物のモンスターが、姉弟の工房にいるんですかね……」
マスの疑問は、俺も抱いていたものだ。当然、答えなど有していない。
あの水ムカデがモンスターであり、倒したら霧消して魔石を残したという事は、この工房はダンジョンであるという事になる。だが、だとすればこのダンジョンの主は誰だ? まさか、あの姉弟が?
いやいや。それは流石に穿ちすぎだろ。それよりも、魔石を核にして疑似的なモンスターを作る、新しい【死霊術】と考えた方が、まだ理解はできる。だが、だとすれば本来、魔石の魔力は減り、質も落ちるはずだ……――まさかな……。
「モンスターがいて、倒したモンスターが霧のように消えて、魔石が残る……。それってもう、ここがダンジョンだからなんじゃ……」
俺の不安を、マスが代弁する。場合によっては、あの姉弟は人工のダンジョンを作るような、頭のおかしい研究をしているのではないか? 上階の、モンスターの幻影とブヨブヨゴーレムは、その研究と実験の一環という場合すらも考えられる。
だとすれば、イカれているとしか言いようがないが、まだあの姉弟がダンジョンの主という憶測よりかは、納得はできる。まぁ、その場合でも、国が討伐を号令する程度には、危険な行為だ。まず間違いなく、今回俺たちが犯した罪よりも、姉弟の方が問題視されるだろう。
「なんにしても、とりあえずはお宝が先決だけどな……」
「それはそうでやすね……」
報告するのは、地上に戻ったらいつでもできる。だが、それで俺たちが赦免されるかはわからない。であれば、そうならなかったときの為に、あのブルーダイヤを手に入れなくてはならない。まぁ、別のお宝もあれば、それもついでに頂戴するつもりだし、許されなくても別の国に行けば、それ程大きな問題にはならないだろう。
「――とはいえ、光明が差してきたんじゃねえか?」
「たしかに」
ニヤリと笑いつつ問いかける俺に、マスも同様に笑う。
冒険者ギルドを完全に敵に回すのは、流石に躊躇われるしな。どこかで手打ちは必要だった。ハリュー姉弟側に落ち度があり、それを俺たちが暴いたともなれば、そしてそれが、人々の脅威ともなるような研究だとすれば、そこに付け込んでこちらの不法行為を有耶無耶にできる可能性はあるのだ。
なにより、大、中規模ダンジョンの攻略において重要な上級冒険者を、ギルドはそうそう手放したくないだろう。手打ちが可能であれば、ギルドもあまりうるさい事は言わずに和解するだろう。
それに、流石に盗賊扱いってのは、名に付く傷が大きい。これまで積み重ねたもんをすべて捨てて、一から積み直すのも面倒だ。元通りになるなら、その方がいい。
「――まぁ、それまでに姉弟が生きて――」
「――エルナトさんッ!!」
マスの鋭い声と同時に、体に衝撃が走った。
●○●
僕はニヤリと笑う。奇しくも、ダンジョンで笑っている彼らと同じような表情だろう。
「知ってるかな、エルナト君? イソメって基本的にね……――」
聞こえないと知っていて呟く僕の言葉に合わせたわけでもないのだろうが、その瞬間、ソレが動きだす。
「――切ると増えるんだよ?」
●○●
「エルナトさんッ!!」
考えるよりも先に、体が動いた。
エルナトさんよりも素早く反応できたのは、俺の才でもなければ、腕でもない。単純に、これが三度目だったからだ。
最初の奇襲はチーキャンが防ぎ、カスが殺られた。二度目の奇襲は、俺はまったく反応できず、アラタが殺られた。流石に三度目ともなれば、初見のエルナトさんよりも、こなれているというものだ。
――とはいえ、俺はカスよりも動きの悪い斥候だ。チーキャンのような防御の手段もなければ、アラタのように【魔術】も使えない。
できる事といえば、エルナトさんを突き飛ばし、身代わりになる事くらい。
「うぉぉおおぁあああ!!」
決して鋭くない歯が、鎧のうえから俺の体に食い込む痛みに、絶叫する。だが、幸いにして狙っていたエルナトさんからズレた為か、カスやアラタのように両断される事はなかった。
いや、あるいはこの叫びは、この水ムカデに一矢報いんとする雄叫びだったのかも知れない。まぁ、流石にそこまで格好いいものではないか。
水ムカデの歯は、閉じると同時に奥に引っ込むような構造になっているようだ。ミシミシと、狭まる歯の咬合力でアバラが鳴る。その痛みに顔をしかめつつ、俺は腰から短剣を抜いた。
「食らいやがれ! こんの化け物ぉ!!」
俺は、水ムカデが咥えた俺を呑み込まんとするその鋏の中央に、短剣を突き入れた。エルナトさんが、咄嗟に剣を引いた先、口腔の奥へと突き込む刃。だが、俺の命に顧みる程の価値なんざない。己の命すら
仲間たちを殺した化け物に、しかし対抗するだけの力を持たない俺に、唯一訪れた仇討ちの機会だ。こんな安い命でいいなら、全部賭け皿にのせてやるぜ。その代わり、絶対に殺してやる。
水ムカデの悲鳴が、その発生源に間近であった俺の体をビリビリと震わせる。水ムカデは痛みからか、ぐわんぐわんとその巨体を震わせる。いい気味だと笑っていられたのは一瞬。そのあまりにも大きな動きに、咥えられたままの俺は振り回されて、視界も感覚も振り回されて、どちらが上か下かすらわからない。
そんな水ムカデの動きが変わる。ぎゅんと体が引っ張られるような感覚に、コイツがその巨体を戻そうとしているのだと覚る。あるいは、そこが己の安全圏だと知っているからか、中央の穴へとスルスルと、逃げているのだ。
それはつまり、咥えられたままの俺もまた、そこに引きずり込まれるという事だ。流石に、水中では抵抗もままならないだろう。だが、水ムカデの力はあまり強く、空中で踏ん張りの利かない状態ではいかんともしがたい。
「――うわぷ!?」
そして、とうとう半身が水につかる。だというのに、足場のようなものには触れない。それで、俺自身があの中央の穴の真上にいるのだと覚る。そのまま引きずり込まれ、俺は頭の先からつま先まで、完全に水中に引き込まれてしまった。
――このままじゃ、マジで溺れ死ぬ!!
焦る俺は、じたばたと藻掻き、なんとか手掛かり足掛かりを探す。幸いにして、穴の壁にあったでっぱりを掴む事に成功した。だが、俺の体に食い込んでいる水ムカデの力は強い。
「ごぼぉぉおおおお!!?」
完全に水中にある俺は、水を飲みつつも叫び声をあげながら、必死に手掛かりを掴んで水ムカデに抵抗していた。一度、その手掛かりがスライドするように一段下がったが、すぐにその奥にあった新たな手掛かりに、もう片方の手で掴まる。
――直後、ガチャンという音とともに、俺と水ムカデはあまりにも強い水の流れに引き摺り込まれるようにして、より深い地底へと連れ去られた。
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