第53話 我を過ぐれば憂ひの都あり

 〈9〉


 階段を降りた、薄暗い空間。そこには、一枚の扉があった。扉には精緻な模様が施されており、薄暗い中でもそれがなにを表しているのかは一目瞭然だ。


 それは——口。


 ゾロリと牙の生え揃った、獣の口腔を表したモザイクであり、いままさにその奥に進まんとする俺っちたちを食らおうとする、化物の顎門に思えた。

 そしてその口腔の中心には、周囲の細かいタイルとは別の、大きなタイルが貼り付けられており、そこには二文記されている。


『ここより先、命の保証は一切なし。たった一つの宝を惜しむ者、より多くを欲さず、その先に進むべからず』


 たった一つの宝とは、命の事だろう。……いや、もしかしたら、なんらかの謎解きのヒントだろうか? 人の手掛けた罠の道というのなら、普通のダンジョンにはない、そういったギミックがあるのかも知れない。面白い……。

 たしか、以前はこの先には吊天井の仕掛けがあったという。その先のドアを、ドアノブを回さずに開けるのが、正しい進み方。万一天井が下りてきても、狭い物置のようなところに逃げ込めばいい、だったか。


「けっ、気取ってんじゃねえよッ!! いまさら俺たちが、こんなんでビビるかってんだ!」


 俺っちがそんな事を考えていたら、真っ先に階段を下りた迂闊な男が、気負いなくドアを開けて奥に進む。そのあとを、三、四人がぞろぞろと付いていく。

 本当に、あの男は六級までいったのだろうか? ダンジョンでも、十層以上ある中規模ダンジョンでは、まず生き残れない人材だろう。五級に上がれなかったのも道理だし、なんなら七級のまま浅層の魔物駆除くらいにしか、使えないと思う。

 まぁ、それだけ戦闘能力が秀でていた、という事なのかも知れない。だがそれは、モンスターなどいるはずもない人造の地下施設では、無用の長物というものだ。


「おい! 扉が勝手に閉まり始めたぞッ!?」


 誰かがそう声を発するのを聞いて、俺っちも扉を見る。たしかに、ゆっくりではあるが、扉が閉まり始めている。先行した人数が、五人を超えたから閉まり始めた? だが、この鈍さじゃ、五人全員が脱出する事は不可能じゃない。だが……――


「おい、戻れ!」

「ハン、別に閉まろうが構やしねえよ! どうせ種は割れてんだ。吊天井が下りてきたら、物置に逃げりゃあいいんだろ!」


 アホはそう言って、閉まる扉に見向きもしなかった。五人中三人はそそくさと戻ってきたというのに。アホともう一人は、ウル・ロッドの幹部候補という餌につられたのだろう。

 やがて、扉が閉まる。すぐに、扉の奥から振動が伝わってきた。男たちもなにかを喚いていたが、扉が分厚いせいで聞こえない。

 どれくらい経っただろう。何度も振動があった事から、少なくともあの二人のうち、一人は生きているのだろう。俺っちたちはどうする事もできず、うえで待っている連中に報告をしたあとは、思い思いに休んでいた。

 やがてカチリと扉から音がし、再び開くようになった。恐る恐る扉を開いてみたが、奥には誰もいなかった。二人とも先に進んだから、開くようになったという事なのか……。

 とりあえず、全員で話し合った結果、三人ずつ先に進む事になった。どのみち、ここで引き返すなどできないのだ。ならば、細心の注意を払いつつ進むしかない。

 そのうえで、なんらかの罠で全滅する可能性を考慮し、一度に三人ずつ送り込む。一度に送り込む人数を増やしても、罠を探索する場合は余計な手間や連携の不備によって、致命的な間違いが起こりかねない。

 そして、俺っちを含む三人が、先発組として扉の奥に進む事になった。こういうとき、五級という肩書きは貧乏くじを引きがちなんだよなぁ……。まぁいいさ。

 扉を開き、ゆっくりと進む。背後の壁が閉まる、という事もない。


「なぁ、この壁に埋まってるのって、なんかの宝石じゃねえのか?」

「どれどれ? お、たしかに。こいつぁ緑碧玉グリーンジャスパーっすね。そこまで高価じゃないっすけど、売ればまぁそこそこの値段にはなるっす」

「マジかよ。ラッキー」


 迂闊に壁の宝石に伸ばした男の手を、俺っちは押さえる。当然だろう。


「宝石に触れた瞬間、罠が発動するかも知れないっす。なにより、あそこの扉に書いてあった文、あんたも見たっしょ? 下手に触らない方が身の為だと思うっすよ?」

「お、おお。そうだな……。すまんすまん」


 ここにも、最初の男と同じくらい、迂闊な男がいたようだ。

 俺っちたちは廊下を進み、もう少しで突き当りの扉に到着する。いまだに、階段に通じる扉は開け放たれたままだ。壁には所々に宝石と思しき石があったが、誰も手を出さないよう厳命していた。

 いよいよ、この短い廊下も終点だ。ところが、扉の前に立った瞬間、バタンと大きな音がして、階段側の扉が閉まった。そして、ズズズという重苦しい音がして、石の天井が下りてくる。その降下速度は早くないが、それ程高い天井でもない。

 俺っちは、ざっと扉の様子を確認すると、ひとまずは物置へと避難する。

 ここには三つのレバーがあり、天井のレバーをあげれば天井が戻り、扉のレバーをあげれば扉の鍵が開き、明かりのレバーをあげると死んでしまうという、よくわからない罠があったらしい。実際、レバーはあった。

 一人の男が、天井のレバーをあげる。降下していた天井が、今度はゆっくりと戻っていくのが、この物置からも見えた。その男が、隣の明かりのレバーまであげようとしていたので止めに入る。


「ちょっと、そっちは罠だって聞いてたっしょ? なんで触るんすか?」

「あん? ああ、こっちが明かりのレバーだったのか。天井はわかったんだが、明かりと扉の字は知らんくてな」

「だったら迂闊に触んない方がいいっすよ……」


 正直、命がいらないのかと、怒鳴り付けたくなる。パーティのメンバーだったら確実に、怒鳴ったうえで拳骨を落としていた。

 まぁ、こいつはたぶん、冒険者の経験がないのだろう。ママと呼ばれる、ウル・ロッドファミリーの二大巨頭の片割れ、ウルの命で俺っちについてきた監視役だ。だからって迂闊なのが許されるはずもない。下手に死なれると、俺っちが疑われかねないのだ。


「さて、それじゃああの扉をどう開くか、考えないとっすね」


 俺っちは、ドアノブのない扉を思い出し、そうこぼした。



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