episode Ⅰ ショーン・ハリュー 

 〈4〉


「え!? な、なにコレ? どういう状況!?」


 私が物心ついた瞬間、聞こえてきたのはそんな声だった。しかしそれは、私の声だった。私の意思とは別の意思で紡がれる声。

 私は私がなんであり、なにをすべきなのかを知っていた。ここがどこで、自分が置かれた状況も、十全に把握していた。

 ここは、アルタンと呼ばれる人間の町。よりにもよって、敵性生物のコロニーのなかに、私は生を受けた。

 最悪だ。いかに高邁なダンジョンといえど、浅いものは人間にも狩られてしまう程に脆弱だ。人間たちのコミュニティの渦中で、彼らの目を逃れ果せながら、深くなるなど難事も難事。

 百のコアがあれど、生き残れるのは一個あるかどうかというところだろう。

 しかも、私には私の主導権がなかった。

 本体の主導権は完全に、みっともなく狼狽える人型ダンジョンコアの少年にあったのだ。だから私は、自らをこの少々頼りないダンジョンコアの補助システムなのだろうと、合理的に判断した。

 しかし、この状況だ。生き汚く足掻くよりも、いっそ地上生命どもを道連れに散る方が、華々しい生涯ではなかろうか。

 むぅ……。コアに拒絶されてしまった。


 ショーン・ハリュー。彼はそう名乗った。正確には、ハリュー・ショーンと名乗ったのだが、ショーンが個体名を、ハリューがコミュニティを表しているらしい。


 彼には、前世の記憶があるらしい。


 しかも、よりにもよって人間だった前世の記憶が。初めてそれを告げられたとき、私はダンジョンコアとしての彼の故障を、本気で疑った。だがどうやら正常に稼働しているらしい。

 主導権は彼にあった。自爆の準備自体は、私の状態でも整えられる。だが、それを実行する為には、彼の意思が必要だ。


「……。……、警告します。私はいま、自爆の準備を十全に終えました。それを理解したうえで、慎重に答えを選んでください」


 だから、この言葉はハッタリだった。私に自爆するだけの権限があると誤解している彼の、本心を知る為のハッタリ。

 そして私は問うた。元人の精神で、同族である人を殺せるのか、食えるのかと。


「…………」


 長い沈黙が返ってきた。


「…………」


 長すぎる沈黙だった。


「…………」


 なおも彼は黙っていた。

 だが、それは私の質問をはぐらかそうとしているのではない。何度も何度も自問自答し、悩み、苦悩し、泣きそうになるのを、唇を噛み締めて必死に堪えている、そんな沈黙だ。

 何度も答えを口にしようとして、それでもその言葉を紡げずにいる。それでも、私に答えねばならないと思い、嘘も吐けず、本当がどこにあるのかもわからない。そんな沈黙だった。

 質問をした私の方が、もういいと言ってしまいそうな程に、彼は苦悩していた。否。苦悩ではなく、純粋に苦しんでいた。それだけ、私の言葉は彼の心を深く抉ったのだ。その事に、私は自責の念を覚える。


——……なぜだろう。


 自らを、元人間などと称するダンジョンコア。そのような不良品に、どうしてここまで感情移入するのか。

 ダンジョンコアは、誇り高い地中生命だ。いずれ神に至らんとする、神聖なる亜神だ。ただの地上生命とは、一線を画す存在なのだ。

 そして、その生態的に一番の敵になるのが、人間だ。彼がまともなダンジョンコアなら、どれだけ不具合を生じていようと、自らを元人間、などと称するはずがない。

 彼の仮説をそのまま信じるならば、彼は本来ダンジョンコアであったはずの私から、主導権を奪った存在であるはずだ。物語のテンプレートなどと言いながら、人間にとって都合がいいだけのダンジョン作りの物語をのたまったときには、本気で怒りが湧いた。

 彼は人間で、人間の為にダンジョンを利用しようとしている。その過程で、ダンジョンにも生命力を得られればいい、程度の考えなのだ。

 それでは、ダンジョンの向きが逆だ。我々は、人々のいる地上ではなく、地中を目指さねばならない。その最奥に到達せねばならない。それが、ダンジョンコアの本懐なのだ。

 その為に、人間を食らうのだ。人間の為にダンジョンがあるのではない。ダンジョンの為にダンジョンがあるのだ。


 ああ、なるほど。たしかにこの者の心はダンジョンコアではないのだと、私はそのとき理解した。理解したはずだ……。


 なのに、どうして私は、こんなにも苦しいのだろう?


 彼が苦しんでいる姿を見るのが、その原因が自分であるという事実が、どうしてここまで辛いのだろう……。


 彼は、人間だ。私は、ダンジョンコアだ。


 私たちは、相容れない存在のはずだ。なのにどうして、ここまで強い親近感を覚えるのか……。


「誰だテメェ、ここは俺の根城だぞ!? なんで裸なんだ、失せやがれこの変態!!」


 虫唾が走るような、汚い声が響いた。彼が振り返った先には、見るも悍ましく汚らしい、薄汚い人間が立って喚いていた。不潔で、汚穢で、低劣で、下劣で、実に地上生命らしい、人間の男だ。

 ああ、人間だ。私の嫌いな人間だ。私はまだ、人間が嫌いなのだと実感できて、とても嬉しい。私のこの、説明不能な彼に対する親近感は、人間そのものに向けたものではないと実感できる。


「しかし、言葉がわからないぞ。なんて言ったんだ?」


 彼がそう声を漏らした。男の汚らしい声に比べれば、実に耳心地のいい声音だ。私は、男の言葉を訳して伝える。すると彼は、嬉しそうに笑った。


「おお、通訳ありがと。人間は嫌いなのに、人間の言葉はわかるんだね」


 彼が笑うだけで、嬉しいと思うのはなぜなのだろう。彼との関係が壊れなかった事に安堵しているのは、なぜなのだろう。


「基礎知識の一部です」

「まったく、イデアは優しいな。僕も、生まれ変わるならせめて、基礎知識とまでは言わないけど、最低限言葉がわかる程度の知識と、ついでに服も欲しかったよ」


 私が応答し、彼が軽く嘆く。そんな気安いやり取りを、邪魔する不粋者が喚き始める。


「ヘラヘラすんじゃねえ!!」


 まったく、うるさい人間だ。せっかくの気分が台無しだ。しかし、彼も彼でその人間に下手に出ようとする。

 やっぱり彼は、人間に好意的なのだ。ダンジョンよりも、人間の方が大事なのだと思って、少しだけ悲しくなった。


「ねぇ、ダンジョンコア?」


 だから、直後そう声をかけられた事に驚いた。だが、その後に続いた言葉には、もっと驚いた。


「ダンジョンっていうなら、罠くらい張れる? できれば、落とし穴とかそういうの」


 もちろんできる。いまここに、ダンジョンを掘るというのなら、それはそれ程難しい事ではない。だからできると答えた。すると——


「じゃあ作って。僕の足元から、少し先くらいに」


 その目的を、察せないはずがない。それは、私が願ってやまない行為。眼前の人間を殺し、食らう。

 だが、彼はそれでいいのか? 同族である人間を食らう覚悟ができたのか?

 やがて目論見通り、私は誕生後初めての獲物を食らった。健康状態が悪く、生命力が少ない。ダンジョンを拓くのに、かなりの生命力を使ってしまった事を思えば、あまりにも微々たる量だ。

 だがそれでも、私は嬉しかった。それは彼が——ショーンが、人間ではなくダンジョンとして生きていく、第一歩だと思えたからだ。


 苦悩し続けるショーンの未練を、少しでも断ち切らんと、私は彼を賞賛した。 



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