第65話 幻の魚と獣の人

「――ラァァぁぁアアアアアアアア!!」


 凧口魚の口腔に呑まれた吾は、四方八方から突き出したナイフのような歯が肌に食い込む前に、全力でその喉の肉を斬り裂く。突破口を作り出したのちは、形振り構わずそこを突っ切った。

 コイツが普通の生き物なら血みどろになってるところだが、どうやら流石にそこまで生き物の再現はしていないらしい。他の幻の魚もそうだが、斬った手応えも、どこか生き物の肉を裂いたというよりは、水の詰まった皮袋を裂いたようなものなのだ。そういう点で、やはりこの魚どもは幻の一種なのだろう。

 なんとか窮地を脱した吾は、ゴロゴロと地面を転がりながら、相手の手札の種類を考える。

 身を起こした吾の目に、凧口魚の半身が斑魚に変わって散っていく光景が写った。その数は、勘違いでなければ半分以下にまで減っているではないか。

 どうやらあの斑魚、大口魚、凧口魚は、群れ全体が一つの術式のようだ。傷口の規模よりもダメージの大きさで、維持できる群れの総数が変わってくるようだ。


「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」


 吾は呵々大笑しつつ、またも地面を破裂させてグラとの距離を詰める。残りの黒魚が突っ込んでくるが、数が少なくなった群れでは、吾の足を止めるには不十分だ。そして、勢いが殺せないなら、大口魚みたいな鈍重な魚に追い付かれる事はない。凧口魚に至っては、完全に足を止めなければなんら脅威にはならない。


「なにを笑っているのです。気でも触れましたか? 【幻魚ゲンゲ】――【啄長魚ダツ】」


 グラの表情が不快気に歪み、迫る吾に向かって鋭吻魚を飛ばしてくる。どうやらコイツはアレだな、無表情なだけで自制心が強いわけではない。煽り合いに関しては、ガキ並みに耐性が低い。モンスター相手ならともかく、人間同士の立ち合いにおいては、それはかなり大きな欠点だ。

 顔面目がけて跳んできた鋭吻魚の頭を、むんずと左手で掴んで捨てる。地面に叩きつけられた鋭吻魚が、バラバラと崩れて塵になる。この鋭吻魚は攻撃に特化しているようで、下手すりゃ本物の魚よりも脆いかも知れない。その分、射出の速さと鋭さは驚嘆に値するが。


「――ハァア!」


 黒魚と斑魚の群れを突破し、肉薄したグラに躍りかかる。ようやく獲物に食い込めると喜ぶ白刃を、思いっ切り振り抜きつつ、口が裂けるような笑みが漏れる。グラは相変わらず、忌々し気な顔で睨め付けてくるが、せっかくなんだからオマエも笑いやがれ。


「【影朧カゲロウ】」


 残念ながら得物からの手応えはなく、グラの姿は影のように溶けてしまった。直後、背後から澄んだ声が響く。


「【幻魚ゲンゲ】――【闘魚ベタ】」


 やたらヒラヒラした極彩色の魚が二匹――頭から飛び込んでくる。一匹は蹴撃で弾き飛ばし、もう一匹にはフリッサを叩き付けた。だが、こちらは黒魚や鋭吻魚のように脆くはないようで、どちらも吾の攻撃を耐えきった。

 視界を覆う大きな鰭が視界を塞ぎ、非常に鬱陶しい。しかも、この鰭が斬れないくせにしなやかで、攻撃を加えてもろくに手応えがない。

 だが代わりに、素早くもなければ攻撃にも脅威を覚えない。防御特化か?


「【幻魚ゲンゲ】――【啄長魚ダツ】」

「くっそ!? そういう事か!!」


 極彩魚はあくまでも目眩ましのカーテン兼、柔らかい盾だ。グラの声が響いた直後に突っ込んできた鋭吻魚を、なんとか仰け反ってギリギリ回避する。鰭は鋭吻魚の勢いに押されてその道を避けていたが、すぐに元に戻ってヒラヒラと揺れてやがった。


「【石陰子カセ】」


 吾が踵を返して距離を取ろうとしたタイミングで、グラの声が響く。極彩魚の目眩ましの領域から脱しようとした途端、吾の影から無数の影の針が飛び出してきた。

 危うく、逆茂木に突っ込む馬のようになるところだったが、否応なく足を止められてしまった。極彩魚が吾の左右を回遊し始め、再び視界を塞ぐ。

 見失ったグラの位置を探りつつ、どこから鋭吻魚が飛んできてもいいように警戒する。また、この領域内では影の存在が重要なのだと、いい加減吾も理解した。故に、近場の影にも心を配る。

 だが、そんな大量のタスクを課されたせいで、意識からが外れていたのが良くなかった。


「――ッ!?」


 突然の背後からの明かりに、思わずそちらに意識を取られる。だが、そこにいたのは火魚であった。動きが遅いせいで、たいした脅威にならならず、意識していなかった。

 同じタネで騙された事に忸怩たるものを感じつつ、しかしそれどころでない脳裏に警鐘が鳴り響く。


「――クッソ!!」


 バッと振り向き様、吾の視界を黒が覆い尽くす。黒魚一匹一匹は、全身を覆う生命力の鎧を突破できない。だが、剛身術は長時間持続できない。時間切れになれば、生身でこれらに啄まれるのだ。ゾッとしねえ。


「クソが――」


 全身に纏わりつく黒魚を吹き飛ばそうと構えたフリッサごと、大口魚が吾の右腕を呑み込んだ。直後、黒魚だけでなく大口魚や斑魚までもが全身に食い付き、流石に身動きが取れなくなる。


「ヤッベ……」


 このまま剛身術が解ければ、重傷は免れない。下手すりゃ一巻の終わりだ。


「流石に進退窮まったなぁ! ほんじゃ、こっからはガチだぞ、グラァ! 死ぬんじゃねぇぞ!!」


 吾は――全身に生命力を漲らせる。短期決戦用の理が全身に浮き上がり、発光する。同時に、全能感にも似た感覚に全身が包まれた。


「んじゃ、いっちょ生身じゃ体験できねえスピード、感じてみっか? 何匹ついてこれるかなァ!?」


 吾の足元で、地面が三度爆ぜる。それはもう、攻撃かと見紛う規模の爆発であり、余波で火魚が粉々に砕けるのを、視界の端で認識した。

 どうやらアレも、なかなかに脆かったらしい。


 ●○●


「なーんも見えないんだけどっ!!」


 影のドームに囚われた二人の様子がわからず、シッケスさんが盛大に文句を言う。それは彼女だけの思いではなかったようで、賭けの対象でもあった二人の戦闘が拝めず、訓練場に集まっていた観衆たちからも、盛大なブーイングがあがっていた。

 知らんがな。


「ねぇ、ショーン君。あん中でいま、なにが起こってるの?」

「さて、ティコティコさんがなにをどうしているのかまでは、流石に予想がつきませんね」

「グラちゃんは?」

「グラは【影塵術】を使っているでしょうね」


 でなければ、大量の魔力の消費してまで、あの空間を作る必要などないのだ。


「エイジンジュツって?」


 素直に問うてくるシッケスさんだが、この人もこの人でどうして僕らが素直に手の内を明かすと思っているのだろうか? いやまぁ、未だに発展途上な【影塵術】の現時点でのデータが漏れたとて、どの程度の脅威になるものか……。

 いや、むしろ彼女たち【雷神の力帯メギンギョルド】からの信用を得られるという意味では、ある程度は明かした方が得かもしれない。そんな算盤を弾いてから、僕は術式の根幹や奥義については秘匿しつつ、【影塵術】の概要について説明を始めた。

 というか、奥義については触媒なしで使うのが困難な為、【深潭】においてはオミットされた機能だったりする。


「基本的には幻術、属性術、死霊術を複合して、使い魔しきがみを使役する空間を作る術ですね。あと、いまグラが使っている【深潭】は、徹底した近接戦士に対する妨害空間になります。体は擬似的な水中空間に囚われる為、動きが阻害されます。そのうえで、術者は使い魔を使って攻撃が可能です。グラなら、同時に別系統の【魔術】をも使えるかも知れませんね」


【深潭】は、なにかと前衛職との戦闘が強いられる事の多い僕が、自分に有利な空間で戦う為に作った幻術だ。仮想敵はあの双子である。現時点でも、二人同時であろうと相手にできると自負している。

 幻術といっても、あのドームを構成している術式は、基本的に属性術であり、幻術は補助に徹している。つまり、生命力の理で己の心を守ったところで、ほとんど無意味なのだ。

 空間を区切る理由は、敵に対して影響を及ぼす事より、むしろ各種影ゴーレムと幻の魚たちを使役する為の補助だ。最終的には、特定空間内に限らず、自由に使い魔を使役できるようにしたいが、残念ながら現時点では、【影塵術】の技術水準はそこまで達していない。


「使い魔?」


 こくりと首を傾げたシッケスさんに、僕はさらに説明を付け加える。どうせ、ティコティコさんの口から【雷神の力帯メギンギョルド】内には伝わる情報だ。情報の価値が高い内に売り抜けてしまおう。


「【深潭】においては、近接戦闘用の影による攻撃、低コスト低威力の【幻魚ゲンゲ】、高コスト高威力の【オルキヌスオルカ】という、三種の攻撃手段があります。影による攻撃も、宙を泳ぐ魚たちも、基本は塵を用いたゴーレムです。近接戦士相手なら【幻魚ゲンゲ】の絡め手だけで圧倒できるかも知れませんね。まぁ、硬軟織り交ぜて使うのが一番効率的でしょうが」


 ただ、直情径行でゴリゴリの前衛であるティコティコさんならもしかしたら、という思いもある。勿論、彼女を侮るつもりはない。グラも、手を抜かずに深淵の魚たちを嗾けて、ティコティコさんを攻略して欲しい。


「うーん……。でもそれ、本物のダンジョンの主とどっちが強いの?」

「それは――……当然ダンジョンの主でしょう」

「だったらさぁ、やっぱ姐さん相手には力不足じゃない? ワンリー、セイブン、そして姐さんは、ウチらが三クォーターに分かれた際の主力だよ? つまり、真正面からダンジョンの主と戦闘する主力なんだからさ」


 探索において、長期戦を強いられるという事態はままある事だ。その際、チームを分けて休息や補給を取るのは、冒険者パーティには良くある事だ。当然、チーム内のパワーバランスは、できるだけ均等になるように配置される。

雷神の力帯メギンギョルド】においても、フルメンバーなら最低でも二チーム、余裕があれば三チームに分かれられるだけのパーティを組んでいる。しかも彼ら一級冒険者パーティというのは、中規模以上のダンジョンの主――すなわちダンジョンコアと戦う為の、人類側の最高戦力である。

 つまりティコティコさんは、まだ見ぬ一級冒険者ワンリーさんや、セイブンさんと同等の戦力というわけだ。その階級が二級だからとて、侮る事はできない。

 そう言われると、不安でしかない。グラ自身は紛う事なきダンジョンの主で、依代が使用できるエネルギーも、そんじょそこらの生まれたてのダンジョンコアに優越する。一般的な人間となど、比べるべくもない。

 だが、相手は一級冒険者パーティの主力である……。果たしてあの影のドーム内で、いまなにが起こっているのか……。


 僕が嫌な予感に冷や汗を流した――次の瞬間【影塵術】のドームが、砕け散った。



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