第35話 ナベニポリスの動き

 ●○●


「馬鹿者ッ!!」


 主人の怒声と共に放たれたグラスが壁に命中し、砕けたガラス片と飛沫が飛び散る。我々はその叱責に、ただただ耐える事しかできない。実際、失態を演じたのだ。それ自体は、仕方のない事だろう。


「ベアトリーチェは、確実に始末しておけと命じたはずだ! 事故に見せかけるのが失敗したというのなら、助けたヤツ諸共に消せば良かったであろうッ!?」

「は……。しかし、その助けた者が【旋風ウィリーウィリー】だったのです。彼の者を相手に、我々二人ではどうにも。また、不確定要素である少年もおりました。これもまた、無数の小鬼など歯牙にもかけないような実力であり、軽率に敵に回すのは……」

「黙れッ!!」


 主であるエンツォ・エウドクシア様は、怒りに紅潮した表情で、口角泡を飛ばす。そんなに確実に消したいのであれば、国内か、それでなくてもベルトルッチ平野内で消せば良かったのだ。

 それをしなかったのは、保身と金が故だろう。元エウドクシア家当主の一人娘、ベアトリーチェ・エウドクシアという娘は、その器量からかなりの額で取り引きされたという。それが、国内で消息を絶てば、当然先方は不審を抱く。

 勿論、第二王国で殺されたとて、我々が護送を担った以上は問題にはなるのだが、そこは外国であり、表立って問題化できない類の取り引きである為に、当主代理フィリポ様、そしてその弟君のエンツォ様は、件の裏組織が声高に追及してくる事はないと踏んでいた。

 実際、あの場ですんなりとベアトリーチェ様一行が、小鬼の餌食として殺害、もしくは消息不明となっていれば、国境や我が国の情勢を理由に、問題を有耶無耶にする事は難しくなかっただろう。以降、第二王国方面での、エウドクシア家の信用問題にはなるだろうが……。


「クソっ! これではまた、兄上になにを言われるか……ッ」


 エンツォ様が爪を噛みつつ、考え込みながら独り言ちる。彼の癖だが、我々騎士はそれを見ない振りで、直立の姿勢を保つ。貴人らしからぬ仕草など、注意しても勘気を買うだけだ。


「当然、ベアトリーチェは監視下に置いているんだろうなッ!?」

「護衛に付けた冒険者どもに、その動向を監視するように言い付けております。我々は、いち早く指示を仰ぐべく、馬を走らせて戻ってきた次第であります!」

「よし。それならば、まだ取り返しはつくか……」


 そう言葉を発したエンツォ様は、椅子から立ち上がると書斎を行ったり来たりしつつ、爪を噛みながらなにかを考え続けていた。やがて、なにか結論に至ったのか、我々に向き直る。


「――ベアトリーチェを殺せ」


 酷く冷徹な声音に、ゾワリと首筋の産毛が総毛立つ。その、顔貌には危うい色さえもが浮いており、追い詰められたもの特有の悲壮感が窺えた。


「手段は選ばずとも良い。犠牲も厭うな。ただし、襲撃者が我々エウドクシア、ひいてはナベニポリスの人間であると、わかるようなやり方は許さぬ。また、殺害が不可能だと判断すれば、最悪、目標をベアトリーチェを貴人として再起不能に陥れれば、それで良い」

「――と、申されますと……?」


 正直、嫌な予感が強すぎて問いたくはなかったが、それでもその点で齟齬を孕む危険を冒すのは、あまりにも危う過ぎる。任務達成という面でも、我々の保身という面でも。

 苛立つエンツォ様は、わざわざ自明の理を口に出させるなとばかりに、鬱陶しそうに手を振りつつ答える。


「顔に一生残る傷を残すか、子を孕めぬような体にするか、あるいは――犯せ」


 本当に最悪な答えに、内心を表情に出さないよう努めるのは、随分と苦労させられた。書斎には暫時、嫌な沈黙が蟠ったが、それまでになんとか折り合いを付けた私は、なんとか了承の言葉を口にする。

 殺しもできない状況で、我々がベアトリーチェ様を犯す事などできるわけもないのだが……。要は、誰かがそうする状況を作ればいいという事だろう。件の裏組織が女郎に堕としても、あのまま小鬼や豚鬼に攫われていても、エンツォ様の目的は達せていたというわけだ。

 そう考えると、自分たちはなかなかに運が悪いと思い知る。これが、時流に任せて前当主カルロ様を見限った我々に対する、神の罰なのだろうか……。


「は……。必ずや、ご期待に添えるよう、努力いたします……」


 私は努めて静かに応え、頭を下げた。


 ●○●


 ナベニポリスを発った我々は、馬を駆って一路第二王国を目指していた。


「シモーネ様……」


 雑音も多い馬上でありながら、部下が声をかけてきた。だが私はそれを、固い声音で突き放す。


「言うな。我らは主家の命に従うのみ。騎士は須らく、ご恩に対する奉公こそ専一にすべし、だ」

「は……」


 カツカツという馬蹄の音が響く中、部下の苦渋の応答がなんとか聞こえる。その事に、私は上役として不甲斐ない思いに唇を噛む。

 誰が好き好んで、このような野盗紛いの仕事などしたいと思うものか。まして、騎士と自負する身なれば、なおさらである。


「……ッそ……」


 思わず、悪態が漏れる。

 少し前までのエウドクシア家であれば、仕えるになんの不服もなかった。我らザナルデッリ家が、騎士として代々仕えるにたる権勢と矜持があった。しかし、先の騒乱でフィリポ様がエウドクシア家の家督を掌握されてからというもの、周囲の目は日に日に冷たく、我らに任される仕事も、万人の思い描く『騎士』からはかけ離れていった。

 仕方のない事だ。

 誰がどう見ても、フィリポ様は先のご当主、カルロ様の暗殺に関わっており、そうであるからこそ、ご息女ベアトリーチェ様の排除を徹底しておられるのだ。そのような者に、信頼を寄せる人間などおるまい。

 私がエウドクシア家に仕え続けたのも、これまでザナルデッリ家七代が使え続けたご恩があったればこそ。加えて、家督争いで死者が出る事も、それによって主流派が敗れる事も、往々にしてあり得る事態だったからだ。

 だが、いまはその判断が間違いだったのではないかと思う。ついつい、フィリポ様の台頭に反発し、エウドクシア家を去った譜代の騎士たちを羨ましく思ってしまう。道理、節理、条理、仁義、様々な理を由に、エウドクシア家を離れるのは可能だった。

 それができなかったのは偏に、これまでのご恩という惰性であった。だが、その結末がこの盗賊紛いの任務である。かつての主家の令嬢を殺すか、傷物とする。こんなものが、騎士であるものか……ッ!

 不本意でありながら、私は愛馬に鞭を入れる。もはや、選択の余地などないと知るからこそ。



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