第127話 後始末・2
グランジの言葉に、私とゲラッシ伯はきょとんとした表情で見返した。その視線を受けても、涼しい顔を崩さず彼は淡々とした口調で報告を続ける。
「順を追ってご説明いたしますと、まず暴徒どもの内アルタン市民の大方はハリュー邸到着前に、集団から離脱しました」
「離脱? なぜその段に至って?」
「カベラ商業ギルドの幹部、ジスカル殿が彼らの前に現れ、自ギルドの元アルタン支部支部長を広場に晒すと宣言しました。彼の方は、バスガルの一件で住民から悪感情を抱かれておりましたから……」
「なるほど……。より、安易に攻撃できる者に流れたか……」
「は。どうやら……」
渋面を浮かべて、安易な私刑に流れる民衆の心理に嫌悪を示すゲラッシ伯。対するグランジも、決して面白くはなさそうな表情で頷いた。私としても、聞いていて愉快な話ではないが、それだけ弱い民というものは鬱屈した不満を吐き出す先がないのだろう。誰も彼もが、私のように眼前の問題を殴って解決できない事くらいは、この小さな脳みそでもわかっているつもりだ。
なお、シッケスはいまにも唾でも吐きそうな表情だ。彼女は必要以上に弱者に寄り添おうとはしないし、人の弱さから生じるこういった醜さを嫌悪している節がある。
「なお、件の元支部長及びその部下数人の死は確認されていますが、これは先の報告に含んでおりません。いま現在の彼らの所属が曖昧ですので」
「そうか。カベラの元支部長といえば、たしかノータリンとかいう男だったな。ワシと姉弟との間を仲立ちしたのは、ある意味彼の者だった。そうか、死んだか。致し方なき事とはいえ、せめて安らかに眠って欲しいものよ」
表向きは悔やんでみせるゲラッシ伯だが、その口調はあくまでも事務的で淡白なものだった。まぁ、関係の薄い知人の訃報であれば、それくらいで普通か。
「そうですね。……ご報告を続けさせていただきます。暴徒らから、単に憂さ晴らしをしたかったような連中が離脱し、その内訳がほぼ外部の傭兵や奴隷、アルタンの町に属する下級冒険者になったところで、ハリュー姉弟の姉であるグラ・ハリューが登場しました」
「ふむ。そのカベラ商業ギルドのジスカルなる者は、意図的にそのタイミングで動いたと見ていいのか? つまり姉弟とカベラは、住人を狙いから外す為にあえて手札を切った、と?」
ゲラッシ伯の問いに、グランジは頷きつつ応答する。たしかに、そうとでも考えなければ、カベラ側にまったくメリットのないタイミングでの介入だ。
「恐らくは。姉弟とカベラ商業ギルドは、以前は良好な関係を築いていました。件の騒動で決裂しましたが、カベラ側がその原因たる元支部長を差し出し、和解したという可能性は十分にあるかと」
「そのカードを、ここぞというタイミングで身代わりとして切ったか。適切とは思うが……、いや、己が暴徒どもに蹂躙されようとしているのだ。特に思い入れのない者を身代わりにしたとて、苦言を呈すは筋違いよな」
とはいえ、誰からも褒められるようなやり方ではない。それ程までに追い詰められていたという事であり、ゲラッシ伯は自責の念に眉を顰めてから頭を振る。
「グランジ・バンクスよ、話の腰を折って悪かった。報告を続けてくれ」
「は。グラ・ハリューは集団に対し、恐らくは幻術と思しき【魔術】を行使し、地底より死神を呼び出しました。残った二〇〇〇近くの暴徒はパニックに陥り、文字通りの意味での壊乱。逃げ惑い、先の死傷者が発生しました」
「待て。貴様はなにを言っている?」
グランジの語りが、唐突に神話か叙事詩じみたものになった事で、ゲラッシ伯は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になって問い返した。私も同様にわけがわからなかったが、辛うじてあのバスガルのダンジョンでの、黒い骸骨と黒い雪、最後の真っ赤なリコリスの花の光景を思い出す。恐らくは、あれと同様の幻術を使ったのだろう。
あの不気味な光景ですら、背筋を冷たいものが撫で上げるような不気味さがあったというのに、地の底から死神を呼び出す光景ともなれば、その恐ろしさは並の者の肝のでは耐えられまい。
もし耐えられる者がいても、そこには二〇〇〇人もの人がいたのだ。仮に一割が正気を失くして逃げ惑えば、それはすなわち二〇〇人の統制の取れなくなった敗残兵だ。彼らの混乱は、坂を転げる石のように加速していっただろう。
しかも、二〇〇というのはかなり甘い憶測でしかない。場合によっては、半分……いや、全員が恐れ慄いてパニックを起こしたとしても、私は驚かない。だからこその、あの死者か……。
「――……つまりあれか?」
グランジから一連の説明を受けたゲラッシ伯は、しかつめらしい顔でしばし黙考したのち、その表情をさらに険しくして問いかけてきた。
「ハリュー姉弟の姉は、たった一つの幻術で群衆に混乱を巻き起こし、その約半数を死傷させたと? それは本当に、誠の話なのか? ただの幻術だぞ?」
まるで信じられないと言わんばかりのゲラッシ伯の問いに、グランジはゆっくりと首を横に振る。その表情は、自分だって信じたくはないと言わんばかりだった。
「状況を確認させていた、上級冒険者パーティ【
「むぅ……」
幻術は本来、殺傷能力の低い【魔術】だ。人を欺き騙す点においては、他の追随を許さない程に応用性が高く、また知性を有する存在の心理を操作するという一面は、他の魔力の理にはない特性である。だが、やはりというべきか、直接的な戦闘においては、それ程有用な術だとは思われていなかった。
それが、二〇〇〇もの集団を相手に、たった一つの幻で戦術上の全滅を超えて、壊滅といえる被害を与えるなど、信じられないという他ない。
例えばその場にサリーやノインがいたとて、【魔術】一つで相手を敵を半分倒せるだろうか……。
いや、無理だな。直接的な攻撃に対し、普通は反撃を目論む。その反撃を跳ねのけて初めて、相手の心が折れる。そうなってからようやく、人は逃走を選択肢に入れるのだ。【魔術】一つでそれを成すというのは、それこそ伝説や神話上の出来事でしかない。
そう考えると、精神に干渉し、真っ先に戦意を挫くというのは、戦術的にはもしかしたら、もっとも効率的な【魔術】運用なのかも知れない。まぁ、もしかしたらノインなら、同じような幻術が使えるのかも知れないが。
いや、どうだろう……。その、地底から死神を呼び出す幻術というのが、どのレベルの術なのか、門外漢にはさっぱりわからん。流石に私も、幻術について詳しく知っているわけではないからな。精々、犯罪に使われるような幻術について、事前に調べた程度の知識しか持ち合わせがない。
「――って、ちょと待て」
私は当然のように流していた点に、そこでようやく気付く。
「どうした、セイブン?」
「群衆に対したのは、グラさんだったのか? ショーンさんではなく?」
「そうだ」
重々しい口調で答えるグランジ。その口調が、間違いでも冗談でもないのだと言っている。
「グラさんは、幻術も使えたのか……」
「グラ・ハリュー殿の手管に関しては、様々な憶測が飛び交っている。属性術は勿論、結界術の使い手である事は以前からわかっていたが、つい最近転移術も使えるという事実が判明した。しかも、【門】を使える程の腕前のようだ。そして、先には幻術だ……」
「…………」
その多才さには、流石に戦慄を覚える。【魔術】というのは学門だ。どれか一つの分野を修める事すら困難を極めるというのに、四つの分野で一流などという魔術師は、国が囲い込みをかけてもおかしくないレベルの天才だろう。
というか、冒険者ギルド的にも特級という保護をかけておきたいし、下手に国外にでられると、責任問題にもなりかねない。
私はまっすぐにグランジを見た。
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