第128話 後始末・3

「グランジ」


 私が名を呼んだだけで、彼はこくりと頷いて口を開く。


「わかってる。既にグラ・ハリューの特級冒険者資格の授与は既定で進めている。同時に、上級冒険者としても三級に上げてぇんだが……」

「三級になるには、基礎的な学力試験があるからな……」


 私とグランジは、思考に耽っているゲラッシ伯の目に付かない位置に移動し、ヒソヒソと相談する。ギルドとして、姉弟をどう扱うかという話だ。

 冒険者としての階級は、その実力のみを指標とする。だがしかし、流石に上級冒険者ともなると、その地位に見合った教養も求められる。荒くれのままに地位が得られる程、社会の目というものは甘くはない。

 あのエルナトが白眼視されていたのも、その立ち居振る舞いが上級冒険者として、社会に求められている役割にそぐわないものだったからだ。

 いっそ、上級冒険者になる段階で試験を設ければいいと思うのだが、それは何故か一般市民出身の冒険者からばかりでなく、冨貴層からも反対が相次ぎ、四級から三級に昇級する際に試験を受けるようになっている。

 これについては本当に、どうして貴族側が現行制度に賛成しているのかわからない。どう考えても、変更した方が知識層に有利だろうに。


「……あの姉弟が、わざわざ昇級なんぞの為に、試験……受けねぇわなぁ」


 教養試験について考えていたら、グランジが嘆きつつ肩をすくめる。彼の言葉に私も同意して頷く。

 ハリュー姉弟は冒険者としての地位に固執しない。なんとなれば、彼らは冒険者でなくなっても、然程困らないのだ。自分たちの自由を束縛する枷となるなら、いまの上級冒険者という地位すらも、あっさりと捨ててどこぞへ出奔してしまうだろう。


「グランジ・バンクス。その幻術とやら、姉弟の弟の方も使えるのか?」


 そこで、なにやら沈思していたゲラッシ伯が、私とヒソヒソ相談していたグランジに話しかけてくる。


「不明ですが、使えると見た方が無難でしょう」


 まず間違いなく使えるだろう。なんとなれば私は、バスガルのダンジョンで似たような幻術を使っているのを見ている。


「であれば、弟の方もまた他所には出せんぞ。それだけの実力者が、万が一にでも帝国に流れたら、どれだけの被害となって返ってくるか……」

「元より、上級冒険者の出国に関しては、許可が必要です。それは、ショーン・ハリューも理解していますから、大丈夫でしょう」


 ゲラッシ伯の懸念に、グランジは安心しろとばかりに頷いてみせる。ただ、それもな……。正直、なんらかの必要性が生じれば、ショーンさんは平然と規則など無視して国境を越える可能性が否めない。あの人は、目的の為なら手段を選ばないところがあるからなぁ……。

 とはいえ、その場合でも帝国と第二王国との戦に、あの人が参加するかどうかという話になる。それこそ国同士の諍いなんぞに、ショーンさんがわざわざ首を突っ込みたがるとも思えないし、無理矢理引き摺り込もうとすれば、まぁ、今回の【扇動者】たちの二の舞だろう。

 そこでゲラッシ伯は、私たちが驚愕するような提案を口にした。


「ふむ……。そうだの……。もし相手方が了承するのであれば、ワシの籍に連ねたいと思うのだが、どう見る?」


 どうやら、先程からずっと考えていたのはこの事のようだ。


「籍に連ねる、という事は、養子に入れるという事ですか?」


 グランジが驚きの表情で訊ね返すが、ゲラッシ伯はそれに首を横に振る。


「それだけでは弱かろう。娘の婿に迎えたうえで、伯爵家の一員として遇する。さすれば、軽々に国外には属せまい。状況と場合にもよるが、ワシの後継として伯爵家の継承権も持たせるつもりだ」

「それは……っ」


 あまりの事に絶句するグランジ。家督の継承権すらも認める婿入りとなれば、扱いとしてはこれ以上ない厚遇といえる。また、彼らに不満を抱いている住人たちからしても、流石に領主の籍に連なる者に軽々に手出しはできまい。彼らの主目的は、あくまでも八つ当たりなのだ。


「し、しかしよろしいのですか? 調べた限り、ハリュー姉弟はどこの出身かすら曖昧な、出自の不明確な者らですが……」

「血の問題であれば、ワシの娘の血が入れば問題なかろう。そもそも、地方領主の後継者問題に口出しできる者なぞおらん。それがドゥーラ選帝侯であろうとヴェルヴェルデ選帝侯であろうとも、あるいはボゥルタン王家であろうともだ。まぁ、陰口程度は叩かれるかも知れんが、そんなものはなにをしたって多かれ少なかれされるものだ」


 封建領主がもっとも嫌がる事といえば、後継者問題に他所から口出しされる事だ。これをやって仲がこじれた例は、古今枚挙にいとまがない。だが、流石にハリュー姉弟程出自の不確かな者を後継者候補にするというのは、かなり悪目立ちするのではないかと思う。場合によっては、本当に王宮や王冠領会議から介入される恐れすらある。

 なにより……——


「——そもそも、あの姉弟がゲラッシ伯爵家の籍に連なる事を、望むかどうか……」


 私の言葉に、ゲラッシ伯とグランジはキョトンとしたあと、いっそう眉根の皺を深くして悩み始めた。


「たしかに、我が伯爵家は政治的に難しい立ち位置にある。平民からしても魅力的には見えんか……」

「そ、そうは思いませんが、あの姉弟であれば重荷に感じるかも知れません……。彼らは己の研究の為ならば、あの【鉄幻爪】の利益すら捨ててしまうようですし……」


 弱々しく苦笑するゲラッシ伯に、まさか同意するわけにもいかず、なんとかフォローしようとするグランジ。ゲラッシ伯爵家の難しい立ち位置を思えば、その後継者という立場は必ずしも魅力的ではない。三級への昇格と同じく、あの姉弟がそれを求めているとはとても思えない。

 とはいえ、普通に考えれば破格の待遇であるのも事実だ。伯爵家の籍に連なれるのなら、たとえ既に貴族籍にある者でも、手を挙げる者はごまんといるだろう。まして、継承権まであるのだ。ただ、ハリュー姉弟にそういった功名心がほとんどないというだけの話である。


「……それとなく、当人の意思を探ってみます」


 なんとか絞り出すようにそう言ったグランジに、ゲラッシ伯も力なく頷いた。やはり、結局のところそこが重要だ。ゲラッシ伯がショーンさんを己の籍に入れようとしているのも、彼を手元においておきたいという理由が一番ではあるものの、その為にハリュー姉弟の意にそぐわぬ命令や役職で縛りたくないというのが大きい。

 もはやハリュー姉弟というファクターは、このゲラッシ伯爵領においては、領主ですら気を遣う程度には大きな存在になりつつあった。


「頼む。ワシとしても、姉弟が嫌がるようであれば、無理強いするつもりまではない。最悪でも、姉弟の後ろ盾になって、風避け程度にはなるつもりだ。さすれば、今回のような一件はもう起こるまい」

「左様ですね。流石に住人たちも、ご領主様につながりのある者に、石は投げますまい」

「さればこそ、今回の一件、我が伯爵家と姉弟との関係において、遺恨としたくない。その仲立ちを、ギルドに頼みたいと思っている」


 姉弟の軍事的、政治的な重要度を考えれば、囲い込みに失敗すると困るのだろう。この場ははある意味、二人がハリュー姉弟に対する扱いは慎重を期すべきだと、共通認識を持つ為に設けられたようなものだ。


「わかりました。ただ、我らもそれ程姉弟と昵懇という訳ではありません。一応つながりはありますが、今回の一件でそれが薄れてしまいました。場合によっては、そこのセイブンの交友関係の方が使えるかも知れません」

「ほぅ? つまりは【雷神の力帯メギンギョルド】としてのつながり、という事か?」


 ゲラッシ伯の目が私に向けられる。私は一応、ショーンさんとはそれなりの付き合いもある。【雷神の力帯メギンギョルド】としても、比較的姉弟とは交流が深い。


「私個人としてならば、ゲラッシ伯とハリュー姉弟との関係を良好に保つ為に、ご協力はお約束できます。ただ、【雷神の力帯メギンギョルド】としての判断を、ここで独断でするわけにはいきません。ご了承ください」

「うむ、当然であるな。だが、其方の協力が得られただけでも僥倖よ。さて、なればこそ今回の騒動、早急に片付けたい。さりとて、町中に散った賊輩を捕えるのは容易ならざる事。なにか手立てはなかろうか?」


 懊悩しつつ訊ねてくるゲラッシ伯に、グランジは手元に羊皮紙を取り寄せて応えた。


「その事なのですが、ウル・ロッドから提案が届いております」

「ふむ? ウル・ロッドはマフィアだったな? ギルドは町の裏社会ともつながりが?」

「まさか。ただ、今回の一件を手っ取り早く片付けられる妙案が、彼の組織の母親分から提示されました」

「ほぅ。興味深いな。聞かせよ」

「は――」


 ウル・ロッドファミリーの母親分の提案を要約すると、スラムや廃墟に這入り込んだ連中を、ウル・ロッドが組織を挙げて排除するから、討ち漏らしをゲラッシ伯側で取り締まって欲しい。その際に動く、ウル・ロッドの構成員に関しては、目こぼしをして欲しい、というものだった。

 たしかに、蛇の道は蛇ともいう。人が身を隠せそうな場所なら、官吏や衛兵よりも、ウル・ロッドの方が詳しいだろう。そして彼らは、ハリュー姉弟の名声が傷付く事を望んでいない。

 誰の目にもわかるように、ウル・ロッドが報復に動く事で、姉弟に不満を持っている住人たちに釘を刺しておきたいという狙いだろう。まして、外部からスラムに不穏な輩が増えれば、相対的に裏社会におけるウル・ロッドの統制力が薄まってしまう惧れもある。

 彼らとしても、よそ者など早々に排除してしまいたいのだ。


「むぅ……。なるほど、早急に事態を収拾するならば、それが一番か……」

「これ以上時間をかけると、交易に甚大な支障を来すかと。ウル・ロッドの存在を黙認し、跳梁を座視せねばならぬ点は、伯にとって忸怩たるものがあるかとは存じますが、毒を以て毒を制すと思し召していただければと……」

「良い。たしかに面白い話ではないが、斯様な組織は一つ潰してもあとからあとから湧いてくるもの。その点、ウル・ロッドは必ずしも害悪というわけでもないようだ。無論、以後アルタンの害となるようであれば容赦はせんがの」


 そう言ってため息を吐くゲラッシ伯。どうやら町中に散った連中の後始末は、ウル・ロッドの提案通りに進める事で合意が取れたようだ。ようやく事態の終息に向けて目途が付いた事で、ほっと胸を撫でおろす。

 シッケスではないが、そろそろ私も一息吐きたい……。



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