第60話 遊牧民と畜産業

 お互いにお互いのスタンスを決めたところで、こちらはジーガ、ィエイト君、シッケスさんを紹介する。向こうは護衛の長身美女を紹介してくれた。

 名前はライラさんというらしい。

 紹介がすんだところで、ようやく晩餐という段に至った。なんだかもう、気疲れしてきた気がするが、ここからが本番だと気合を入れ直す。

 食材には、海の幸も山の幸もふんだんに使われ、調味料や卵も惜しみなく用いられている。間違いなく、いま現在我が家にできる最大限の歓迎だ。それはつまり、ここアルタンの町でできる、最大限の歓待と言っていい。なお、参考にしたのは、以前ジーガがウル・ロッドに招待された際に用意されたご馳走らしい。

 地域に根ざしたウル・ロッドが、僕らの為に文字通り馳走して用意したものなら、まず間違いなくこの町でできる最上級だ。

 とはいえ、そんなもてなしなど、あのカベラ商業ギルドの幹部であり、三つの国で頭角を表す敏腕の商人であるジスカルさんにとっては、見慣れたものでしかないだろう。もしかしたら、彼の日常の食生活よりも劣るかも知れない。

 その事を詫びると、彼はカラカラと笑う。


「ショーン様がどの程度の食生活を想像しているのかはわかりかねますが、私も来客がなければ、そこまでたいそうなものを口にしているわけではありませんよ。たしかに、賓客をもてなす為ならこれ以上の食事を用意するでしょうが、それはあくまでも我々の誠意を示す為。ハリュー家の誠意は、最大限受け取らせていただきました」


 聞きようによっては失礼とも取られかねないが、事実としてカベラと僕らとでは、その資金力に差があるのだ。それは比べるまでもないような、絶大な差異であり、そこを糊塗して話すのは、こちらを対等と見做していない証左になると思ったのだろう。

 だからジスカルさんは、歓待に差がある点は認めつつ、こちらの歓迎を喜んでいる旨を伝えてきたわけだ。


 和やかに食事を終え、いまは食後のお茶を嗜んでいた。なお、ジスカルさんやライラさんにはお酒も勧めたのだが、当然のように断られた。まぁ、そうだよね。

 一通り料理の感想をもらい、スティヴァーレ半島方面の料理や特産について聞き、その他ちょっとした産物や工芸品について話したところで、頃合いとばかりにジスカルさんは話の矛先を本題と思しきところに向けてきた。


「どうやらショーン様たちは、新しい事業に取り組んでいるとか。なにやら、かなり大規模な養禽らしいですね。モンスターの多いこの辺りで畜産というのは、なかなか珍しい」

「ほぅ。そう言うという事は、やはり王冠領以外では畜産が栄えている場所も、それなりにあるのですか?」


 ジスカルさんの眉が少し跳ねたが、その変化はすぐに笑顔に塗り潰される。その変化に気付いた僕も、それがなにを意味するのかまでは推し量れなかった。それだけ、一瞬の感情の表出でしかなかったのだ。

 やはり、笑顔の仮面というものは、交渉においては強い武器である。


「ええ、まぁそうですね。帝国の平野部では、いま現在かなり大規模な畜産業が試みられています。元々帝国のあった場所は、遊牧民が席巻していた平地ですからね。おそらくは、そんな遊牧民たちが中心になって、畜産業を興したのではないでしょうか」


 ふぅむ。なるほど、そうか。思えば、遊牧民の主産業もまた、畜産業だ。パティパティア山脈の向こうには遊牧民がいたと知っていたはずなのに、どうしてそこに思い至らなかったのか。

 とはいえ、僕に遊牧民のやり方で畜産をするのは不可能だ。そもそも、僕がやっているのは養鶏だしね。

 その帝国の遊牧民というのは、この国の人間にとっては、話題にしていい顔をされるような存在ではない。元々は、パティパティア山脈の向こうの蛮族、異民族と呼ばれていたのだが、以前攻め込まれた際に、王都の失陥と王族の大量処刑の原因ともなった民族なのだ。

 いまも使われているパティパティアの峠道から侵攻され、現在のゲラッシ伯爵領や王国領のウェルタンも含めた王冠領の一部を奪われ、完全に侵攻ルートが確立。その後ボゥルタンは王都までもを失陥。王家の直系の血脈が途絶えるに至る。

 その後、第二王国を始めとした旧クロージエン大公国、パーリィ王国、スティヴァーレ半島のナベニポリス、マグナム=ラキア連合、ポンパーニャ法国の同盟により、その遊牧民は東西南北を包囲され、徐々にその規模を縮小されていった。いまは、その地にはネイデール帝国が興り、基本的にはフラウジッツ文化圏に属している。まぁ、帝国は建国の際に前述の同盟各国の思惑もあって、民族も文化も種々雑多な有り様であり、件の遊牧民もいまやそんな帝国の一民族でしかない。

 とはいえ、いかに規模が小さくなったとはいえ、聖ボゥルタン王国の流れを汲み、国号からしてノドゥス・セクンドゥスの第二王国にとっては、その遊牧民は親の仇のようなものだ。

 最盛期の聖ボゥルタン王国を凌駕する大国にまでなった第二王国が、いまだに『ボゥルタン』を名乗れないのも、王冠領と第二王国との間に確執があるのも、ゲラッシ伯爵が王冠領でも王国でも立場が低いのも、元を辿ればその遊牧民の侵攻が原因といっていい。

 それらの歴史を知らないわけがないジスカルさんが、ここであえて遊牧民の名前を使った理由を考える。僕に、第二王国の主流であるボゥルヘミア民族の敵である、遊牧民に対して隔意があるのか、あるいはヴィラモラ文化圏の共通認識として、遊牧民を忌避しているのか、確認しているのだろう。

 であれば、僕の反応として、正しいのはこれだろう。


「なるほど。実に興味深い内容です。その遊牧民たちの畜産業について、詳しい話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 遊牧民たちに対して、差別意識も隔意もない。そう明示する。

 実際、僕ら姉弟からすればどれもこれも、ただの人間であり、ただの地上生命だ。グラの場合、そこにただの食料という文言が追加されるかも知れないが、要は敵性生物の群れでしかないのだ。


「残念ながら、私はそこまで畜産業に詳しくありません。ショーン様にご披露できるようなお話は、持ち合わせておりません。申し訳ありません」

「そうですか……」


 困ったように苦笑しながら、ジスカルさんは肩をすくめる。僕もまた、諦めたように嘆息しながら相槌を打った。

 あ、昨日から家つ鳥だけじゃなく、羽毛重視の家禽も育ててるんだった。


「とはいえと申しますか、だからこそと申しますか、我々はショーンさん方が中心となって取り組まれている、鳥専門の畜産業にとても強い関心を持っております」


——きた。


「どうでしょう? その事業に、我々も投資させていただけませんか? ?」


……これを、単なる養鶏の将来性を見込んでの投資だと考えてはいけない。カベラ商業ギルドにとって、養鶏業の成功というのは、そこまでメリットの大きな話ではない。

 ミクロな視点で見れば、アルタンにとって、安定的に卵や肉が供給できるというのは、かなりのメリットだ。肉に関しては、ウェルタンにも販路が拓けるかも知れない。

 だが、カベラ商業ギルドが立っているマクロな視点で考えれば、そんな小さな需要を満たす産業など、小遣い程度の儲けでしかないだろう。養鶏とて、もしかしたら別の都市では同じような事をしている人間はいるかも知れないのだ。

 どう考えたって、際限なく財布の紐を緩めるような産業ではないのだ。


——ではどうして、そんな事をするのか?


 考えるまでもなく、このアルタンでの立場を再構築する為だ。まずは、商人たちとの横の繋がりから修復、という腹積りなのだろう。



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