第88話 逆さまの世界

「【炎の舌フランマリングア】!」

「【トニトゥルス】」


 ダゴベルダ氏の炎の鞭も、グラのいかづちも、ギギさんは避ける事すらしない。【魔術】はその角鱗に弾かれて霧散するし、なんらダメージを与えているようにも思えない。

 どういう理屈なんだろう?

 よく、ゲームであるような【魔法抵抗】のような概念は、この世界にはないはずだ。当然だろう。ダゴベルダ氏の生みだした炎も、グラの雷も、魔力の理に従って発現させた、正真正銘の燃焼現象と放電現象だ。その前の氷柱も同様である。

 つまりは、れっきとした物理現象なわけで、決して幻の類ではない。それは、僕の領分だろう。

 これが効かないという事は、本来あり得ない。だとすれば、ギギさんには本物の炎も雷も効果がないという事になるのだから。

 もしもそんな絶対的な防御力があるなら、シッケスさんの槍を躱す理由がない。だが、ギギさんはシッケスさんの槍やィエイト君の剣には、きちんと回避行動をとっている。

 試しに、幻術が通用するのかも検証しておこう。


「【天地有用イウェルスム】」


 相手の視覚情報を上下逆転させる幻術は、しかしというべきか、やはりというべきか、まったく効果を発揮しなかった。ギギさんの動きには動揺も変化もなく、ィエイト君とシッケスさん二人を相手に、互角の戦闘を繰り広げていた。

 本当に魔術無効化とか言わないだろうな……。


「シッケスさん、ィエイト君! 少しだけ混乱するかも知れませんが、我慢してください!」


 前衛に注意喚起をしてから、僕は別の幻術を刻む。こちらは、相手に効果を及ぼすものではない。幻術と聞いた際に、真っ先に思い付くような、単純な幻影を構築するものだ。


「【逆もまた真なりヴァイスヴァーサ】」

「うわっ!?」

「なんすかこれ!?」


 僕の発動した【逆もまた真なり】の世界に、シッケスさんとフェイヴが驚嘆の声を発する。ィエイト君も驚いているようだが、事前の注意喚起の為か不用意に動いてはいない。

 ギギさんは――よし、ちゃんと戸惑っているようだ。

 この【逆もまた真なり】の効果は【天地有用】と然して変わらない。違いは、それが相手の認識した視覚情報を逆さまにするのではなく、実際に見ている景色が逆転するという点だろう。当然、僕や他の面々に見える景色とて、天地逆転したものになる。

 だが――


「【天地有用イウェルスム】」


 僕がシッケスさんに使ったのに合わせ、グラがィエイト君に【天地有用】をかける。逆さまの世界を見た彼らの視覚情報を逆転させれば、当然視界は元に戻る。

 下手すると抵抗レジストされかねないタイミングだったのだが、戦闘時の阿吽の呼吸なのか、前衛陣はすぐに混乱から立ち直った。

 それから、仲間一人一人に【天地有用】を施す為に、魔力を杖に集中させつつ、ギギさんの様子を窺う。

 目に見えて動きに精彩を欠いたギギさんを、ィエイト君が一方的に攻め立てていた。その角鱗の肌に幾条もの傷を負い、青い血を流している。

 どうやらギギさんに直接【魔術】を施す際には、なんらかの抵抗をされるみたいだが、離れた場所に作られる幻には惑わされるらしい。だとすると、本当に【魔術】を無効化する、なんらかの機能がギギさんというモンスターには搭載されているという事か?

 とはいえ、戦いながらこれ以上考察するのは無理だろう。最後に自分にも【天地有用】を施し、視界を取り戻してからギギさんと向かい合う。彼は未だに、上下の反転した世界に囚われているようだ。

 当然だろう。そうそう簡単に、突然反転した視界に順応する事などできない。慣れる為に訓練している僕ですら、反転した世界では未だに全然動けないのだから。視覚に頼らず、外部を認識する手段があれば、また別なのだろうが。


「どうやらあの敵は、守勢に回ったようですね?」

「そうみたいだね……」

「どうしました?」


 僕が言い淀んだ事に気付いたグラが、問い返してくる。


「おかしい……」


 おかしい。おかしい。どう考えても、一見僕らに有利なこの状況は、おかしい……。

 どうしてギギさんは、わざわざ戦力を分けた? 先の包囲網攻略において、僕らは確実にバスガルを一手上回ったはずだ。バスガルは、それを打開する為の一手を打つはず。それが、ここで僕らを全滅させる事だと思った。

 だが、シッケスさんとィエイト君を一人で相手にできるギギさんがいる状況で、もう一体ズメウがいたら、後衛の僕らも安閑と【魔術】を刻めたか……?

 ギギさんの慢心……? なくはないだろうが、だとすればここで守勢に回るというのも不自然だ。失態を挽回する為、積極的に攻勢にでるか、もう一体と合流する為にそちらに向かうか。守勢に回りつつ、ここにとどまるという選択は、非常に不自然だ。

 戦況は、シッケスさんとィエイト君が優位に進め、防御に専念するギギさんは傷付き続けている。このままでは、彼はジリ貧だ。

 どうして動かない? どうして行動を起こさない? なにが目的だ? ギギさん個人の目的ではない。バスガルの目的で、彼は動いているはずだ。その為に、この場を確保したい、という事だ。バスガルの目的? それは当然……――だとすれば……――


「――……まずいッ!!」

「ショーン?」


 バッと顔を起こした僕に、グラが驚いたような顔で声をかけてくる。だが、そんな珍しい彼女の顔に感慨を抱ける余裕すらなく、僕は彼女に願う。


「グラ、豹紋蛸ヒョウモンダコで先に行った鳥頭のズメウを追ってくれ!」

「どういう事です? きちんと説明してください」

「残念ながらその時間がない! 肝心なのは僕らの布陣と、向こうの目的と、だ!!」


 最後のセリフに込めた意味に、グラは気付いたのか気付かなかったのか。それは流石にわからない。だが、僕の真剣さは伝わっただろう。

 彼女はまるで箒に跨る魔女のように、突撃槍ランス豹紋蛸の柄に腰掛けると、付与した属性術を発動させる。まるでジェット噴射のように炎の尾を引きつつ、空中に飛び出すグラ。

 これは流石に予想外だったようで、ギギさんも慌てていたが、ィエイト君とシッケスさんを相手にしながらでは対応できなかったようだ。瞬く間の間に、グラは洞窟の奥へと消えていった。その先には、こちらの物資集積拠点がある。

 敵の目的はそこだろう。


「ショーン君、どういう事だ?」


 一連のやり取りを見ていたダゴベルダ氏が問うてくるが、他所事に捉われて攻撃が散漫になっては元も子もない。ここでギギさんを倒せれば、それが最善なのだ。

 だから僕は、端的に結論だけ述べる。ダゴベルダ氏ならば、あるいはこれだけで、僕の懸念を察してもらえるかも知れない。


「あのズメウは、キーなんです!」



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