第115話 不安

 ●○●


「ボーデン子爵殿、ほ、本当に、大丈夫なのだろうか……?」


 隣の馬の背に揺られ、ローニヒェン男爵が不安そうな声音で問いかけてきた。そんな事を私に問われても困るのだが……。


「御曹司が大丈夫とおっしゃっておられるのだ。大丈夫なのだろう」

「し、しかし……」


 私のお為ごかしにも、ローニヒェン男爵はそわそわと後方を見やる。タルボ侯爵領を振り返っている。

 御曹司とタルボ侯の間柄が思わしくないというのは周知だが、さりとてこのような勝手な真似をしても良いのかという不安は、なにもローニヒェン男爵だけのものではない。下手をすれば、勝手な事をしたとして責を負わねばならないのだ。

 詔勅に反するのではないかと、不安に思っている者もいる。


「大丈夫だ。此度の侵攻は、中央、ひいては皇帝陛下もご存知の事。決して、帝国の意に反したものではない」

「そ、そうですな。第二王国側とも、秘密裏に接触が持たれ、密約が取り交わされているそうですし、も、問題はないですな」

「そうだ……」


 思わず語気が弱くなってしまう。状況を整理して考えてみれば、いかにも胡散臭い話だ。もっと情報を精査して、タルボ侯や中央の将軍らとも連携をとってから、事を進めるべきだったのではないか……? 手柄を横取りされる惧れもあったろうが、このような危うい橋を渡らずともすんだ。

 御曹司は、リターンの大きさばかりに気を取られているが、もしも失敗した場合のリスクは如何程のものとなろうか……。最悪、我らの首とて安泰ではあるまい……。


「そ、それにしても、おかしな話ですな……。密約があるというのであれば、サイタンとシタタンは明け渡してくれれば良いものを。それは自ら勝ち取れとは……」

「いえ、まぁ……。派閥の長が領主に対して、『領地を明け渡せ』などとは、とても言えたものではないでしょうからな……」


 ローニヒェン男爵の言葉ももっともではある。そのうえで、パティパティア以西の領地が、第二王国にとって負担であるというのも、間違いのない事情であるのだろう。

 一応、筋らしき筋は通った話ではあるのだ……。第二王国内でゲラッシ伯爵領の損失を補い、戦後に大きな問題としないという事にもなってはいる。だが、果たしてその密約が、どこまで信用に値するものか……。御曹司は第二王国の思惑は西の安定と、旧ヴェルヴェルデ大公領奪還にあるとみて、ある程度の信憑性はあると考えているらしいが……。

 どうにもしっくりこない話なのだ……。まるで御曹司の為だけに誂えられたようなこの状況は、外観だけ立派に整えただけの張子の屋敷のようですらある。一応は、筋道が立っているだけに、違和感まみれでいっそう気持ちが悪い……。


「……ど、どうにも、不穏に思えるのは、わ、私の勘違い、なのでしょうか……?」


 オドオドと問うてくるローニヒェン男爵に、私は返す言葉を見付けられなかった。まるで薄暗い洞窟にでも足を踏み入れているような……、それこそダンジョンでも探索しているような気分だ……。

 我ら、元遊牧民族にとって、馬も使えない狭い坑道内を戦うなど、罠にはめられているようなものだ。なぜわざわざ、敵に有利な場所で戦わねばならぬというのか……。遊牧民族がダンジョン攻略に対して、及び腰になるというのは、わからぬ話ではないのだ。

 とはいえ、あの包囲網が築かれた原因も理解している。ダンジョンの跋扈は、地上の人間の生活を脅かす事態である。放っておけば、いずれ地上はモンスターの楽園と化そう。そういう意味でも、あの部族が頑なに一層ダンジョンの攻略に協力しなかったのは悪手だった。

 幸い、我らは第二王国に攻め込んだ部族とは別の部族であった為、すんなりと帝国に所属し、族長であったポールプル家は侯爵位まで賜れた。その後は、領内に金山が発見された為に、ポールプル侯爵家の威光は、ややもすれば帝室にも勝りかねぬものとなりつつある。

 それが良い事なのか、悪い事なのかは、ただの配下の私には判断がつかない事だが……。


「なんにしても、事がここまで進んだ以上は、やるしかないのだ……」

「そ、そうですな……。せ、成功さえすれば、ど、どこからも、文句は出て来ぬはず……」


 オドオドと、自らに言い聞かせるように口にするローニヒェン男爵。その姿を笑う事などできない。私もまた、同じように飲み下せない違和感を、なんとか誤魔化して嚥下しようとしているのだから……。


 ●○●


「ハハハハハハ! ゲラッシの跡取りは、どうやら虚を突かれて、相当に大慌てのようだな! 土豪や有力家臣らの中からも、此度の戦には参加せぬという書状が、こちらに届いているぞ! これでは、敵勢は二〇〇〇を切ろうな!」


 ご満悦の御曹司だが、それもむべなるかなというもの。前線にいる侵攻軍を補助する為に後方に置かれた兵や、南部の貴族やタルボ侯麾下の兵を抜いた、我らの手勢はたったの四〇〇〇。

 ポールプル侯爵領から連れて来るにあたり、それなりに選抜した精兵ではあるが、如何せん兵力という意味では心許ない。もしも、ゲラッシ伯爵の目がベルトルッチ平野に向いておらず、サイタンが開戦直後の警戒度であったならば、この奇襲は成功しなかっただろう。

 だが、ゲラッシ伯は大軍の動いているベルトルッチに気を取られ、第二王国への侵攻はないと高を括ってしまった。それが悪手とはとても評せないが、結果として半分以下の軍で、我らを相手せねばならなくなったのは、やはり油断としか表し得ない。


「しかし、ディートリヒ様。サイタンは、ゲラッシ伯爵の本拠地。それなりの防備でありましょう。一息に攻め落とせるとは思えませぬが……」


 私の問いに、せっかくの気分が台無しだとばかりに、御曹司は鼻を鳴らす。


「フン。敵の総大将は、ゲラッシ伯爵領の跡取りと聞く。未だ家督も継げぬ若造だ。挑発次第では、野戦に持ち込む事は難しくあるまい。特に、家臣どもに離反者が生まれつつある現状、強い姿を見せねばゲラッシ軍は四分五裂、防衛もままなるまい」

「なるほど……」


 道理ではある。同じような立場であるだけに、御曹司にはゲラッシ伯爵の跡取りの心が、手に取るようにわかるようだ。ただ、その跡取りが、御曹司と同じような気性であるのかどうか……。

 さて、どうなるか……。


 幸いな事に、こちらの侮辱紛いの宣戦布告文に対して、ゲラッシ伯爵軍は野戦にて即応する構えを見せた。四〇〇〇対一四〇〇の軍勢が、サイタンの前にて対陣していた。

 どう考えても、伯爵軍は防衛に徹して援軍を待った方が良い盤面ではあるのだが、どうやら相手方の御曹司も、なかなか短気なようだ。我らにとっては、幸いである……。



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