第114話 機

 ●○●


「来たッ!!」


 私は思わず机に拳を叩きつけ、快哉を叫ぶ。常にない真似に、その場にいた多くの者が目を見開き、こちらを注視していたが気にならない。私に報告をあげた傭兵すらも、驚いて私の顔を凝視している。

 私はそんな彼に、満面の笑みで応える。彼の報告には、それだけの価値があったのだから。


「どうしたのです、パーチェ殿? だいぶ取り乱しておいでですが……?」


 一番近くにいたフィリポ・エウドクシアが、恐る恐るといった様子で声をかけてくる。こいつにも、いまの報告は届いていたはずだが、思うところはないのだろうか。ないのだろうな。


が到来したのだ。私は、これを必ず掴むぞ!」


 報告をあげてくれた傭兵に、懐にあったすべての金貨を押し付けて下らせると、その報告内容を思い出す。

『帝国軍後方、北方自治共同体コムーネにて動きアリ。箝口令が敷かれ、確実な情報ではないが、帝国との補給路にて問題が発生したとの噂もある』

 その報告には、私が渡した金貨以上の価値がある。まさに、値千金だ。


「フィリポ殿、エンツォ殿のエウドクシア勢は、兵一万を率いてテルルスへ移ってくれ」


 テルルスは、ウォロコの南東にある自治共同体コムーネだ。守備兵はほとんど残っておらず、また防御機構もウォロコには遠く及ばない。


「なッ!? 私たちだけでですか? しかも、この状況でテルルスに移動するとなれば、追撃を受けてしまうではないですか!? そうなれば、全滅してしまう!」

「落ち着きなさい、フィリポ殿。なにも、貴殿らを捨て石にしようというわけではない。まぁ、囮であるのは間違いではないが」


 私の言葉に過剰反応したのは、フィリポではなく弟のエンツォだった。どうでもいいが、この二人は思考までも同レベルで、分けて考えるのが面倒になるな。


「お、囮ですとッ!? それは捨て石とどう違うというのですかッ!?」

「落ち着かれよ、エンツォ殿。それをこれから説明しようというのだ。まず、諸君ら二人はベアトリーチェが戦う意味そのものだ。お二人が動かれたのなら、それを追わずにはいられまい」

「「う、うむ……」」


 私の言う未来が容易に想像できたのか、二人は青い顔で同時に頷いた。


「だが、帝国軍全体がそれに歩調を合わせるか? 否だろう。なんとなれば、そうなったらそうなったでも構わぬ」


 いま現在、ウォロコ郊外に駐屯している帝国軍は約七万。ベルトルッチ平野に入っている帝国軍は、総勢で十万近いのだが、最悪の場合の退路を確保する為、各コムーネやタクティ山の砦の維持に、三万人近くが割かれている。

 故に、即時の戦闘となった場合に相手をするのは、この七万という事になる。無論、窮地に陥ればかき集めるだろう。しかし、その時間を与えなければ、相手にすべきは七万だけで、あとは各個撃破すればいい。


「七万の帝国軍がすべて、囮である諸君らを追って我らに背を見せるならば、それもまた好都合。その尻を、ウォロコに残る四万七〇〇〇の兵で思い切り、蹴り上げてやればいい。帝国兵など、たちまち散り散りになろう」

「「な、なるほど」」


 またも、二人揃って頷くエウドクシア兄弟。

 数のうえでは不利だが、後背を取られた軍の脆さは、数などでは語れない。確実ではないが、かなり有利な状態で決戦に臨めるはずである。二人も、敵を誘引する為の囮ではあるが、捨て石ではないという事の意味を理解したようだ。

 とはいえ、敵もそのような愚策には出るまい。まず間違いなく、ベアトリーチェの軍と本隊とで、別行動に出るはずだ。こちらに睨みを利かせる意味でも、その数は六万を下回る事はないはずだ。

 だが、それもまた好都合。そうなれば当然、ベアトリーチェ側に割ける兵力は、ベアトリーチェ麾下の五〇〇〇に加えて、あと五〇〇〇程度。エウドクシア兄弟につけた兵と同数である。これならば、テルルスに到着する前に捕捉されたとしても、戦力は拮抗する。

 十分に時間が稼げるはずだ。加えて、戦の大義名分に対する、帝国軍の非積極性を露呈るする事にもなる。その影響は、我らよりも帝国軍に顕著に現れよう。


「ああ、当然ながら率いる兵は傭兵から選ぶのを推奨する。エウドクシア家譜代の騎士や兵では、敵であるベアトリーチェに内応して裏切りが起こりかねぬ。そちらが一気に瓦解すれば、もはや我らナベニ軍に活路はない。諸君ら二人には、確実にベアトリーチェを、この戦場から遠ざけてもらわねば困るのだ」

「ベアトリーチェを、ですか……?」


 エウドクシア家の兵は信用に値しないという私の言葉に、誰よりも共感しているであろう二人は、なおも青い顔のまま問うてくる。ベアトリーチェを戦場から引き離すという言葉の意味を図りかねているらしい。


「いまの帝国軍にとっての心の支えは、ベアトリーチェだ。彼女を神聖視し、英雄化する事で、彼らは自軍の士気を維持してきた。それは、ある意味上策だっただろう」


 帝国軍にとっては、特にリスクなく軍団の士気を維持できた。そのせいで、帝国軍の士気を攻撃するという私の策は、頓挫したといってもいい。まぁ、無意味だったわけではないが。

 そして、彼らのとった対応策の結果、帝国兵の中でのベアトリーチェという少女の存在が、あまりにも大きなものとなりすぎた。

 いま、士気に不安の残る彼らの前から、ベアトリーチェが消えればどうなる? 彼女を正義と信じる者らの前で、軍の上層部がその少女にろくに兵も与えず、敵前へと送り出すような真似をすれば? そして、そんな心の支えを失った状態で、ナベニ軍との決戦の戦端が開かれれば……?

 些細なきっかけで、帝国軍は士気の崩壊を起こして、瓦解する。


「勝機はここだ! ここなのだ! この機を摘め!」


 私の強い語調に、兄弟も笑みを浮かべて頷いた。彼らも、十分に勝機を感じたのだろう。なにより、彼らは多くとも一万の兵で一万を相手にすればいいだけだ。こちらは、四万七〇〇〇で六万を相手にせねばならない。どちらが激戦になるかなど、問うまでもないだろう。


「わ、わかりました。かならずや、我らがベアトリーチェを引き付けてみせましょう!」

「ナ、ナベニ軍勝利の暁には、我らの貢献をお忘れなく!」


 意気揚々と退室していく兄弟を見送り、私は眼下の地図を見下ろす。この状況を余すところなく利用し切り、彼らが応援を呼べぬ間に雌雄を決する必要がある。

 勿論、この一戦で敵軍を完全に打倒する事まで期待しているわけではない。だが、彼らの士気が乱れ、本当に退路が断たれているのなら、一度押し返した段階で帝国軍は、持ち返せない可能性はある。そうなれば、降伏という選択をしてくる可能性もある。

 それは、紛う事なき我が軍の勝利を意味する。

 思わず力が籠り、皮紙の地図が歪む。それと同時に、自分の口元も歪んでいるのを自覚した。いかぬ。いまが千載一遇だからこそ、感情を抑えろ。この機を十二分に活用する為にも、思考は冷静でなくてはならん。



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