第108話 裏切りの理由

 ●○●


「パティパティアトンネルが埋め立てられた!? いったいどういう事だ!?」


 常にない、親父の焦った声音に部下も肩を振わせる。誰かが「フランツィスカ殿」と窘めるが、効果は薄そうだ。


「……詳細はわかりかねます。ですが、既にトンネル中央部は壁で塞がれており、我々は完全に、本国と分断されました……」


 報告者の顔色は暗い。当然だろう。

 帝国軍は戦を有利に進めていた。ウォロコの陥落、ナベニ軍の打倒は時間の問題だと、誰もが思っていただろう。前線は、敵の謀略によってなかなかに大変なようだが、それも我々【暗がりの手】や前線指揮官、そしてなによりエウドクシア嬢の働きによって、帝国軍の優位は保たれていた。

 あれは、ナベニ側も窮余の策だったのだ。ナベニ軍内部にも、指揮官であるピエトロのやりように、不満を抱える者は多くいると聞く。帝国軍の士気を下げるのが狙いだったようだが、むしろナベニ軍の士気の方が下がっている始末。

 俺には、ナベニ軍は悪手を打ったと見えた。親父にそう言ったところ、それ程単純な話でもないと窘められたが……。だがしかし、【暗がりの手】はこれ幸いとピエトロの戦下手を揶揄するような流言飛語を、ナベニ軍内に流している。一体、どういう事なのか……。


「壁……。つまり、我が軍に死者は出ておらぬと……?」

「確認できる限りは……」


 歯切れの悪い部下の返答に、親父はふむと顎を撫でる。一見すると、ただの太った商人でしかない。だが、その実はランブルック・タチ様からも重用され、タルボ侯から、このパティパティアトンネルのベルトルッチ側砦を任される程にご信任を得ている男だ。


「……ショーン殿が裏切った……? ……しかし、なぜ……」


 親父の独り言に、部下の一人が意見を述べる。


「単純に、ナベニにこちら以上の報酬を提示されたのでは?」


 親父はその者を瞥見すると、すぐに視線を外して呟くように答える。


「あり得んな。既に侵攻軍において、エウドクシア殿は精神的支柱にも等しい働きを成している。将兵が敵の妨害に折れずにいるのも、彼女の尽力が大きい。そして、いまのエウドクシア家を興したのは、ほぼハリュー姉弟だ。戦後、彼女の功績が認められれば、帝国領になった元ナベニ共和圏においても、存在感を示す事になる。そして、そのエウドクシア家に対する姉弟の影響力を思えば、いまさら勝敗定かならぬナベニに協力する利など薄い」


 親父の言に、多くの者が頷いた。帝国軍は、このままウォロコを囲んでいれば、労せずして掌中に勝利が転がり込んでくるような状況だった。ここでわざわざ、これまでの協力関係を台無しにするような真似をして、姉弟になんのメリットがあるというのか。


「第二王国が絡んでいるとは考えられぬでしょうか?」

「ないな」


 別の者の意見も、即座に親父は否定する。その意図がわからず、多くの者が首を傾げた。俺もまたそうだ。

 ハリュー姉弟は第二王国の人間だ。であるならば、彼らが第二王国の意図で動くというのは、別段おかしな話ではないと思うのだが。


「帝国とナベニの戦が長期化、泥沼化して迷惑を被るのは、第二王国も同じだ」

「西で我らが諍いを起こしている間に、東の平定を進めるという利はありませぬか?」


 ふむ。たしかにそれは常道だ。脅威となる者を、別の者と争わせ、自分たちに構えない状況を作る。俺たちにとっては、槍働きよりも慣れたやり方だ。

 第二王国にとって、東の旧ヴェルヴェルデ王国領の奪還は急務だ。しかし、我ら帝国という存在に、完全に背を向けられる程、第二王国もこちらを信用はできなかった。

 各選帝侯が出払った頃合いを見て、今度こそ第二王国を席巻しようと目論んでいないとは、誰も断言できなかったのだろう。なんとなれば、帝国が心底から海を欲していたのは、誰もが知る事実だったのだから。

 だが、そんな考えにも親父は首を振る。


「これが普通の立地であれば、それもあり得ただろう。しかし、帝国、第二王国、ナベニポリスの場合は、それが通じん」

「なぜにございましょう?」

「パティパティアトンネルがなくば、帝国がナベニと争う為には、ゲラッシ伯爵領の峠道が、なんとしても必要になるからだ」

「……なるほど」


 たしかに。それでは第二王国は、帝国とナベニの戦を対岸の火事と、背は見せられまい。この三国の地政学上の蟠りは、それ程までに面倒なのだ。だからこそ、開戦前の我らの動きに、第二王国はあそこまで神経を尖らせていたのだから。

 なんとなれば、パティパティアトンネルが封鎖されて困るのは、帝国よりも第二王国かも知れない。

 帝国にとっての此度の侵攻は、皇帝陛下のみことのりによるもの。トンネルが封鎖されたからとて、いまさら退けるものではない。必然、もしも完全にトンネルが不通となるのなら、パティパティアの峠道を奪わざるを得ない。

 帝国と第二王国が全面的に争う事になれば、それこそ年単位の事だ。そうなれば当然、その分だけ旧ヴェルヴェルデ王国領の奪還は遠のく。それを、彼の大公が我慢できるとは、とても思えない。というか、無理だ。


「最悪、ヴェルヴェルデ大公の独立から、第二王国そのものが四分五裂しかねませんな……」


 第二王国も、既に玉座の空位が二〇年以上続いている。国内には、新王国派などという、クーデター紛いの派閥まで生まれている始末だとか。

 強力な各選帝侯家が自主独立を図れば、いまの第二王国にそれを止める手立てなどないだろう。ヴェルヴェルデ大公の独立は、非が完全に第二王国側にあるだけに、その端緒ともなり得る。


「そうだ。第二王国がトンネルの存在を知れば、彼らこそその封鎖など望むまい。この戦が、我々にとって上首尾に終わる事を望んでいよう」


 我らが旧ナベニ共和国領の統治に心血を注いでいる間は、彼ら第二王国もまた、それ程背後を気にせず旧ヴェルヴェルデ王国領の奪還に動けるはずだ。ここで、我らを妨害しても、第二王国にとっては百害あって一利もない。

 パチンと、親父が指を鳴らす。一度だけでなく、何度も、何度も。親父が思考に耽り、そして結論間近に至ったときの癖だ。


「いや、違う。違うのだ……。ショーン殿が裏切った理由を考えるから思考が濁る。そうせざるを得なかったと考えれば? 脅迫? ないな。それならば、我らに相談すればいい。こちらも全力で助力した」


 パチン、パチンと室内に指を鳴らす音だけが響き続ける。もう少しで答えに辿り着けるのにという、もどかしさが感じ取れる様子だ。


「――ならば、裏切ったのは我らか……?」


 そして最後に、パチンと指を鳴らしてから、ぼそりとそうこぼす。室内に、痛い程の静寂が舞い降りた。

――バカな。



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