第109話 ホフマン親子と暗がりの手

「そんなバカな!」


 沈黙に耐え切れず、思わず口にした俺に対して、親父の鋭い視線が飛んでくる。


「あり得ぬとは言い切れぬ。我らの知る限り、トンネルのこちら側には、姉弟が帝国を裏切るに足るだけの動きも、情報もない。そして、我らが知らぬという事は、ないという事だ。であれば、なにかがあったとすれば、トンネルの向こう側――本国となる。本国でなにかがあった。それも、姉弟が帝国そのものと手切れを決断しなければならぬような、なにかがな」

「…………」

「いまの姉弟に、我らを裏切る蓋然性がどこにある。利ではない。義理でもない。勿論、情でもなかろう。ではなんだ?」


 親父の問いに、誰一人として答えられない。わからないからこそ、皆このトンネルの封鎖という事態に、ここまで動揺しているのだ。


「トンネルに壁を作って封鎖したという点も、完全に敵対したのだとすれば、おかしな話だ。あのトンネルがどのような技術を用いて作られたものか、詳細はわからぬが、封鎖するなら崩落させてしまった方が手っ取り早い。まさか、崩すよりも作る方が簡単などという道理はあるまい」


 親父の言葉に、幾人もが頷く。俺も同意だ。

 ダンジョンの技術を用いたのだとしても、アルタンの町の地下で起きたダンジョン侵出事件の際、発見された【崩食説】の例もある。あれは、第二王国のケブ・ダゴベルダ博士が、ハリュー姉弟と共に看破したものだったはずだ。

 ショーン殿は、独自の研究によって、ダンジョンの再現に成功したと断言していた。であれば、崩す事ができないわけがないし、それが頭になかったとも考えられない。


「では?」


 言葉の先を促すように、仲間の一人が問う。親父はそれに、深く一つ頷いて答えた。


「こちらの兵を、無闇に殺すのを避けたのだろう。しかし、それでもショーン殿はトンネルを封鎖せねばならぬ状況に陥った。その理由がなんであれ、真に帝国の敵となったのなら、そのような気遣いなどすまい。敵なのだから、殺す方が自然ですらある。帝国の側が裏切った以外で、この不自然さに説明がつくか?」


 沈黙。誰一人として、他の可能性が提示できない。親父の言葉には、かなりの説得力があった。

 ハリュー姉弟からすれば、帝国が裏切ったから、仕方なく提供していたであるパティパティアトンネルを封じた。だが、帝国のどこからどこまでが、自分たちを裏切ったのかは、判断がつかない。だから、帝国軍に大損害を与える行動は憚られた。

 なるほど、わかりやすい。というか、もはやそれ以外に考えられない。


「だが、どうして――誰が、なんの為に!?」

「落ち着け、ベルント」


 親父の冷たい声に、思わず息を呑む。


「ハリュー姉弟が裏切る理由と違って、帝国がハリュー姉弟を裏切る理由などごまんとある。だが、恐らくは報酬か脅威の二点であろう。あるいは両方ともか……」

「だ、だが、よりにもよってこんな状況で……」

「そうだな。このタイミングで事を起こした点は流石に解せん。いまや侵攻軍全体が、敵地にて孤立している状態だ」


 親父の台詞に、思わず唇を噛む。既にベルトルッチ平野に侵入している帝国軍は、総勢八万程。それらがいま、帝国と完全に分断されて、孤立している。

 あるいは、ショーン殿がトンネルから離れている点を考え、封鎖などできぬだろうと高を括ったか……。そこまで考えて、最悪の想像に思い至る。


「……だとすると、ウケモチ殿の身は……」

「ああ。かなり危うい。既になんらかの脅威に晒されていてもおかしくはない」


 彼女さえいれば、トンネルの維持そのものは可能だという実績がある。ならば、この状況で最優先に確保すべきは、彼女という事になる。ショーン殿からも、直々に末端の帝国兵らから、その操を守って欲しいと依頼されていた。

 それがこの状況では……。なるほど、これでは裏切りという他あるまい。


「パティパティアトンネルは、人、物のボトルネックであるという点は承知していたが、情報もまた然りであった。本国の動きがわからん」

「ホフマン殿は皇帝陛下、もしくは帝国中央が、姉弟を裏切ったと思いか?」

「わからぬ。だが、恐らくそれはあるまい。もし帝国中央がそう判断したのだとしても、タルボ侯に話を通さず、勝手に動いたりはしないはずだ。最低限、こちらに筋を通してから、状況を推し進めるのが道理であろう」

「左様ですな」


 ナベニ侵攻軍の総司令官は、皇帝陛下直々にタルボ侯に任命された。それなのに、そのタルボ侯に話も通さず、勝手に事を起こしたとなれば、皇帝陛下及び帝国中央は、帝国内貴族から不信を招く。

 綸言汗の如し。朝令暮改の君主など、どこの国でも嫌われよう。まして、帝国は諸部族が神聖教圏内で生きる為にまとまった、いわば寄せ集め国家だ。中央が信を失えば、早々に瓦解してしまうだろう。

 タルボ侯の抹殺を、帝国全体の総意として行動を起こしたというのならわからんでもない。が、良くも悪くも八万の帝国兵諸共に抹殺を図られる程、タルボ侯の影響力は強くはない。これが、兵数が三分の一で、相手がポールプル侯爵だったなら、あり得た可能性ではあるが……。


「なんらかのイレギュラーが発生し、姉弟がそれを知った。そのイレギュラーは、姉弟にとって、我ら帝国に対する信用を根底から揺るがす事態であった。故に我らへと報復をした。ひとまずは、これを念頭に対策を取ろうと思う。異論ある者は、遠慮せず声をあげよ」


 親父が問うも、誰一人として反論する者はない。やはり、それが一番可能性が高いのか……。だがどうして……。


「ホフマン殿、その認識を是として、これからどういたします?」

「まずは、なにをおいても姉弟との和解が先決だ。場合によっては、情報取集よりも優先させる。トンネル封鎖のやり方からしても、ショーン殿もまた、その余地を残しているとみるべきだ」

「はい。ですが、既にパティパティアトンネルは閉じてしまっております。アルタンに辿り着くまで、早くても二週間はかかりましょう」

「……そうだな」


 親父がウンザリとした声音で呻吟する。トンネルが無事であれば、帝国側からでも急げば五日かそこらで、アルタンまで行けたはずだ。それがいまや……。


「それでもやらねばなるまい」


 親父が気を取り直したように、そして決意を秘めた重い声音でそう口にする。


「ベルント」

「はい」


 刃のような声音に、自然と背筋が伸びた。


「其方は五名を連れ、ダウンローブ山を越えて第二王国に入り、アルタンにて姉弟と接触せよ。第一目標は、姉弟との和解と、トンネルの再開通。和解の条件は其方に任せるが、ある程度なら丸呑みで構わん。第二目標は、山向こうにおいて、帝国がいかな状況かの確認。第三は本国への報告だ」

「はい」


 頭を垂れつつ、その命令を吟味する。ダウンローブ山は、ベルトルッチと第二王国の間にある山だ。パティパティア山系の一部に属してはいるものの、それ程険しいわけでもない。この時季でも、越えるのはそれ程難しくない。

 ただ、それでも一週間は確実にかかる。天候次第では、二週間を超える可能性もあるだろう。素直に、ベルトルッチから国境を越えて第二王国、スパイス街道に入ってアルタンに向かった方が、早いかも知れない。

 まぁ、それは親父もわかっているはずだ。安全確実、だが時間のかかるそちらのルートにも、幾人かは人を回すだろう。


「其方は姉弟との面識がある。その分、交渉はしやすいはずだ。無論、状況の確認や、先方の思惑次第ではある。それらを含めて、交渉は其方に任せる」

「わかりました。必ずや、帝国にとって最良の結果をもたらしてみせます」

「ああ、頼んだ」


 山越えののちこそが、俺の正念場だ。交渉内容も、俺の裁量にまかされているのだ。ずんと、この小さな肩に帝国全土が乗っかっているような、錯覚を覚える……。非常に重要な役目だ。

 交渉相手は、ショーン殿が望ましいが、場合によってはいまだアルタンに辿り着いていないという場合もあり得る。そうなれば、相手はグラ殿か……。

 謝罪の弁すら聞いてもらえるかどうか……。いや、弱気になってどうする! 帝国の為に、石に齧り付いてでも話を聞いてもらうのだ。


「レヒト」

「は」

「貴様は三〇名を連れて、ディティテイル連峰を越え、本国へ連絡を取れ」

「親父ッ!?」


 あまりにも無茶な命令に、重責のプレッシャーすら忘れ、思わず声を発した。この時季のディティテイルを越える? 自殺行為以外のなにものでもない。


「上手くすれば、一、二名は本国へと辿り着けよう。それだけ、迅速な情報を届けられる。この状況においては、情報はなによりも価値がある」

「はい。必ずや、本国へ辿り着いてみせます」


 親父の冷徹な声音と、レヒト殿の淡々とした返答に、なにも言えなくなってしまう。つまりは、十中八九全員死ぬ任務に、レヒト殿らはこれから従事するのだ。

 だが、親父の表情には、翳りも動揺もない。努めて隠しているのだ。それを受けたレヒト殿もまた、微塵も揺らがない。誰の目にも、二人の覚悟が相当のものであると見て取れた。

 ディティテイル連峰越山は、夏場であっても帝国に甚大な被害をもたらした。それが、年明け間もないこんな時季に行うなど、自殺行為もいいところだ。だが、たしかに成功すれば、一週間程度で本国に情報を届けられる。

 俺が第二王国経由で情報を届けるよりも、確実に早く情報を届けられる。そこに、失われる命を勘定しなければ、だが……。

 冷酷ではあるが、帝国を思えば正しい判断である。


「私は、マフリースにいる侯爵閣下とタチ様の元へ、報告と指示を仰ぎに向かう。砦の指揮はロークに任せるが、この砦の情報封鎖は解いて構わぬ」

「良いのでしょうか?」


 ローク殿が窺うように問うも、親父は当然のように頷いた。


「帝国方面の封鎖は、もはやままなるまい。こちらだけ秘匿する事に、それ程意味はない」

「なるほど。たしかに」

「その代わり、物資の守護には細心の注意を払え。トンネルが封鎖されている現在、それが尽きれば、侵攻軍の命運も同様であると心得よ」

「は」


 正確には、物資は支配下においた自治共同体コムーネに集積している分もあり、そちらの方が量は多い。だが、彼らは元々共和圏だ。状況如何によっては、どのような動きをするのか、わかったものではない。親父の言葉も、もっともである。


「それでは各々、行動開始! 帝国の礎たれ」

「「「はッ!!」」」


 親父の号令に、俺たちはいっせいに動き始めた。

 そうだ。俺たちはいま、戦争をしているのだ……。わかっていたはずなのに、なぜかたったいま思い出したかのような、錯覚に鼻の奥がツンと痛んだ。



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