第84話 一夜の仮宿
ハリュー姉弟の工房に侵入を果たしてから、約半日。もう夜もとっぷりと暮れた頃、ようやく鏡張りの衣裳部屋の仕掛けが割れた。比較的軽微な被害でわかったのは、幸いだったといえるだろう。
だが、このタイミングでそれが判明した事で、俺たちは決断を迫られていた。
【
であれば、その手前の貯蔵庫で休むか? バカバカしい。常に生命力の理で己の心をガードしなければ恐怖に狂うような空間で、どう休むというのか。いっそ起きて探索を続けた方がマシだろう。
では吊り橋? アホか。
吊天井? 少人数ならともかく、残りの七〇余名全員で休む程のスペースはねえ。というか、そこまで戻るならこのエントランスまで戻ってくるのと、そう変わらねえ。
いまから鏡の部屋まで赴き、危険を承知でそこで夜を明かすか、それとも一旦全員引きあげさせて、ここで休むか……。どちらを選ぶべきか……?
「……そうだな。一旦引きあげさせよう」
「大丈夫か? ここまでの探索時間が無駄になるが……」
俺の顔を窺ってくるウチのパーティの斥候に、フンと鼻を鳴らしてく肩をすくめる。
「無駄じゃあねえさ。これまで調べた罠の情報は、明日の探索に活かせばいい。明日の午前中には、鏡の衣裳部屋を攻略できるだろうぜ」
「なるほど。そうだな……」
納得し、安堵するようにそいつは頷く。
この工房がどれだけ広いのかはわからねえが、それでも常識の範囲で考えれば、流石に半径一キロ以内だろう。鏡の衣裳部屋を攻略すれば、そろそろ姉弟の居所に辿り着いてもおかしくない。
もしかすれば、明日の午前中にはすべてが終わるかも知れない。
「今日はこのエントランスで休息をとる。明日の早朝から、探索を再開させる。異論は?」
黙って面々に頷き返すのを眺めてから、俺は先行した十パーティに帰還の指示を出す。十パーティの状況は、四パーティが無傷、三パーティがメンバーを欠き、二パーティが活動に支障をきたすレベルで損害を出している。残りの一パーティは貯蔵庫で全滅した。落とし穴に送り出した【大盾】の連中も戻って来ない。
本に囚われた連中も含め、意外と戦力が削られてきている事に、じわりと焦燥感が湧く。所謂、嫌な予感というヤツだ。
損害が大きくなり過ぎれば、怖じ気付いて逃げ出す輩がでかねない。そうなれば、探索や露払いにも支障をきたす可能性がある。であれば、ここらでこいつらの恐れを薄れさせておくべきだろう。
「なにが、生きては戻れねえ【地獄門】だよ。いまんとこ、死んだのは精々十数人。何百、何千と命を啜ったなんざ、所詮は眉唾だったってこった!」
まぁ予想通り、以前の被害が多かったのは、襲撃したのがゴロツキや奴隷ばかりだったからだったんだろう。それでも、犠牲が一〇〇〇人を超えていたって噂はガセだ。ウル・ロッドが集められる人数と、アーベンの当時の懐事情を勘案すれば、精々七〇〇とか八〇〇が限度なはずだ。
「結局、ハリュー姉弟に対して抱いていた畏れってなぁ、恐怖と情報不足が生み出した、誇大妄想だったんだよ! テメェら、明日はあのガキどもが持ってるお宝、根こそぎいただいて、連中の泣きっ面を拝んでやろうぜ!」
其処此処から「おう!」だの「やってやんぜ!」だのと、威勢のいい声が返ってくる。肯定的な意見が多いのは、物事を深く考えない連中ばかりってだけでなく、犠牲者が出たパーティが、いまここにはいないのも要因だろう。
流石に仲間が死んだばかりの連中を前に、こんなセリフは吐かない。そいつらが盛り下がれば、非難が俺に向く惧れもあるからな。
こいつらは単純であるが故に、簡単に乗せられるが、逆に単純だからこそ、すぐに恐怖に心が折れる。この分じゃ、戦闘が激化して犠牲が増えれば、あっさりと逃げ出すだろう。明日地上に残す人数は、最低限にする必要があるだろうな。
「エルナトさん」
一人の男が、俺に駆け寄ってきた。誰かはわからんが、冒険者の一人だろう。
「どうした?」
「使者です。あの……、例の連中からです……」
「【扇動者】か?」
「はい……」
まぁ、連中から接触があるのは予想通りだが、思ったよりも早かったな。
「会おう。連れてこい」
「はい」
男が家の外へ出てからすぐに、痩せぎすの不景気そうなツラの男を連れて戻ってきた。こいつが【扇動者】の使いか? 見た事のねぇヤツだが……。
「……これは一体、どういう仕儀にございましょう?」
酷くしゃがれた、聞き取り辛い声音で男は問う。本当に、骸骨がカタカタと鳴っているような印象を受けるような男だ。
「質問するなら、その論旨を明確にしろや。なにが言いてえ?」
「ハリュー邸襲撃は、四日後の予定だったはず……。どうしてあなた方は、既に襲撃を開始しておられるのでしょうか……?」
「ハン!」
骸骨のような男の言葉に、俺はまともに答えず鼻で笑う。男はその反応にやや鼻白んだようだが、続けて言葉を紡ぐ。ドブのような臭気を放つ、クソみてえな言葉を。
「……我々は共に、ハリュー姉弟の非道を
「あー、うっせぇうっせぇ! んなお為ごかしなんぞに用はねえんだよ。どう言い繕ったってこんなもんは、逆恨みと八つ当たりでしかねえだろうが。それっぽい綺麗事で糊塗したって、クソは所詮クソなんだよ。鼻が曲がるぜ。んなくっせ言葉を、この俺様に聞かせんじゃねえ!!」
「…………」
使者の骸骨は恨みがましい目をしたものの、反論はないようで口を噤んだ。自分でも、先程述べた言葉が虚飾である事はわかっていたのだろう。あるいはこいつが、心の底から【扇動者】どもの思想に染まっていたならば、俺の言葉に口角泡を飛ばして反論してきたかも知れない。
まぁ、もしそうなってたら、普通に斬り捨てただろうが。
「間違うなよ? 俺たちぁお前らとは違う。お前らの為に都合良く舞台に登ってやる程、愚かでもなければ、よく回る口先一つで踊らされる程素直でもねえ。この家のお宝は俺たちのもんだし、ハリュー姉弟も傘下に収めるか、じゃなきゃ倒す。お前らはその辺で、好きに暴動ごっこなり革命ごっこなりしてろや!」
「……それはつまり……、……我々を裏切るという事ですか……?」
「裏切るぅ? おいおい、いつから俺たちぁお互い手と手を取り合って、ハリュー姉弟という悪の魔王を倒す同盟を組んだんだぁ? 少なくとも俺ぁ、お前らの事を事態をぐちゃぐちゃにして、逃げる為の隙を衛兵どもに作ってくれる陽動としか思っちゃいねえよ!」
そもそも、話を持ち掛けてきたのはこいつらだ。明確に協調体制を取ったわけでもなければ、そんな約束は口約束でだってしてねえ。こいつが【扇動者】になにを言われて遣わされたのかはわからないが、端から協調なんざしてねえ。良くて呉越同舟といったところだ。
こっちの主導権に触手を伸ばしてきた時点で、俺たちに【扇動者】と手を組むという選択肢なんぞはなくなっていた。
「……わかりました……。……我々は明後日には動きます……。そのとき、この家諸共に焼き討ちされぬよう、それまでには逃げておいてください。逃げ遅れた際には、悪魔どもと一緒に焼け死んでいただきます」
「ばぁーか。家に火をかけたって、ハリュー姉弟は地下にいんだろ。小動もするかよ。徒にウル・ロッドにケンカを売るだけだ。そんときまでに攻略が終わってなくたって、俺たちだって大半は地下だ。無意味な事に血道をあげて、ご苦労なこったな!」
「……薄汚いマフィアどもなどどうでもよろしい。……我々は崇高なる目的をもって、悪を滅する浄化の聖火を放つのです」
「はぁ……。くっせぇ……。そういう宗教は、教会でブリブリ垂れてな。ま、どう考えても、悪魔として殺されるのは、テメェだろうがな」
「……ッ! この、不信心者がッ!!」
お為ごかしに反応しなかった骸骨男は、俺が教会を揶揄すると、それには反応して罵倒してきた。血色の悪かった顔を赤黒くさせ、目を剝いて犬歯を剥く姿に、どうやらこいつは、教会とのいざこざで落ちぶれた輩だと覚る。
こういった落伍者どもを、あの【扇動者】どもが纏めているわけだが、ハッキリ言って扇動する連中も連中だが、それに釣られるこいつらも馬鹿だ。【扇動者】が集めた烏合の衆など、本当に統制の取れないただの暴徒でしかない。
だというのに、人数は多いときている。厄介過ぎて手に負えない。もはやこいつらは、暴発してすべて燃え尽きるか、どうしようもなくなって逃げ散るかしか、選べる道がねえ。
俺はこんな奴らの走狗になり果てるつもりはない。道連れにされるつもりもねえ。俺はお宝を得て、こんな町からはさっさとおさらばして、帝国辺りで悠々自適に暮らすのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます