第134話 ポールプル侯爵公子の末路

 ●○●


「クソ、クソ、クソッ! なんたる有り様だ、これはッ!?」


 馬上にて、私は敗残の兵らを眺めて、吐き捨てる。兵らは、チラリとこちらを瞥見するものの、疲れているのか、それどころでないのか、黙々と行軍を続ける。

 この先にあるのは帝国だ。輝かしい勝利への進軍などではない、敗残兵の撤退なのである。軍全体からは、敗残兵特有の悲壮感と虚無感の静寂が漂い、それがいっそう私を惨めにさせる。


「なぜ負ける!? 数も、練度も、士気も、武装も! なにもかもが、我らが上だったはずだ! 負けるわけがないだろうッ!?」

「公子。少しお静かに。兵らの気力に関わります……」

「黙れッ!! 私を公子と呼ぶなッ!! だいたい、お前らがまごついているから! あのとき、突撃できていれば、我々が勝っていたのだ!」

「ディートリヒ様、それ以上聞き分けのない子供のような癇癪はお控えなされッ!」

「なッ!? ん、だと、貴様ァッ! この私に向かって――」

「見なさいッ!!」


 老将は腕を開いて、兵らを指し示す。そこにいるのは、やはり気力に欠けた、幽鬼のような連中だ。なんと情けない!


「我らはいまや、敗残兵なのです。この場で、兵らそっちのけで責任の押し付け合いなど、なにを考えておられるッ!? 脱落者が増えるだけですぞ! 将兵らが、文字通り命懸けで逃してくれた兵を、あたらに扱ってはいけません! 彼らの思いを汲み取り、故郷に帰してやるが我らが将としての勤め! いまはそれを専一に考えなされ!」


 その言葉に、兵らの目を見る。そこには、深い失望と呆れ、疲労の影に隠れているが、苛立ちという怒りが滲んでいる者もいる。

 彼らが、軍から離脱もせずにいるのは、敵の追撃がなかったおかげもあるが、なにより第二王国領からの帰還の為だ。ここで軍から離れては、第二王国領内で野盗にでもなるしかないが、そうすれば自然と伯爵軍と相対す事になる。

 それはすなわち、またもあの死神姉弟と邂逅する可能性があるという事でもあるのだ。


「……ッ……」


 そこまで考えて、私はブルりと背筋が震えるのを感じた。あんなヤツらと、もう一度戦う? 冗談じゃない!

 思い出すだけでも悍ましい。神どころか、生命そのものを冒涜するかのような、屍肉を食い荒らす蛆と羽虫の召喚に、腐乱の死神の顕現。

 あんなものが、【魔術】であってたまるか。あれはきっと邪教の類に違いない。神聖教に訴え、異端として認識されればいい。

 その後にどうなるかは、それこそ神のみぞ知るというものだ。無事、教会の連中があの死神どもを討滅するか、逆に死神の鎌にその命を刈り取られるか……。

 どちらでも構うものか。所詮、神聖教など、必要だから洗礼を受けたにすぎん。

 問題は、私の身の振り方だ。どうする? どうすればいい?

 クソ、どうしてこの私が、次期ポールプル侯爵となるべき私が、このような状況に!


「く、熊だ! 熊が出たぞォ!」


 軍の一角から、動揺と軽い混乱の喧騒があがる。


「ええい、熊くらいでオタオタしおって!」

「ディートリヒ様、雑兵らにとっては、熊は脅威なのです。針金のような毛皮に矢は通らず、槍は刺さらず、力が強く、大きく、素早い。おまけに、いまは槍も鎧もない兵も、それなりにおりますからな……」

「ならば、貴様が出向いてさっさと討って来れば良かろう!? 戦はあの始末、最後は熊に追い散らされたとなれば恥の上塗りよ! さっさと事態の収拾に努めよ!」

「御意に……」


 慇懃に頭を下げた老将が、馬を駆って熊の退治に向かう。まぁ、狩れば兵らの腹の足しにもなるし、毛皮も役に立つ。

 クソ。絶対に、あの者は私を侮っている。古兵ふるつわものだからと、いちいちこちらの話の腰を折ってくるのも腹立たしかったが、いよいよ私への態度が慇懃無礼になってきおった。


「……いっそ、あの者に敗戦の責をすべて背負わせるか……」


 できるか? それなりに無理を通す事にはなろうが、できなくはあるまい。

 業腹ではあるが、ここは私の未熟さをいい事に、あの者が指揮権を壟断して、勝手に軍を指揮していた事にしよう。多少父上にもお骨折りいただく事にもなろうが、これだけの敗戦の責を、ポールプル侯爵家だけで背負う事になるよりは、だいぶマシな結果を得られよう。

 そうなると、ひとまず根回ししておくべきは……。


「ん? なんだ、どうしたッ!?」


 ザワザワ、ガヤガヤとした喧騒が強くなっている事に気付く。よもや、未だに熊一頭に手古摺っているのか?

 まさか、我が侯爵軍はそこまで弱兵であったというのか。だとすれば、半分程度の伯爵軍に負けたのも、致し方なかったのかも知れぬ。つまり、この敗戦は、私のせいではなかったのだ。

 そうだ! この者らが弱すぎるのが悪いのだ!

 戦場で私の命令を、即座に実行していれば、いかに不意を突かれたとはいえ、いかに未知の幻術が使われたとはいえ、負けるわけがなかったのだ。


「おい! どうなっている!? 誰かある!?」


 声をかけるも、返事をする者がいない。周りは雑兵ばかりで、怯えたようにこちらを見るか、鬱陶しそうに目を逸らすばかり。ええい、誰かおらぬのか!?


「……ディートリヒ・フォン・ポールプル……」

「誰だ? 私の名を呼び捨てるなど、無礼であろう!?」


 妙にハッキリと耳に届いた、暗い声音。私が怒りのままに問い質せば、ザッと人垣が割れる。

 その先にいたのは、たしかに熊だった。だが、熊というにはやや小さいうえ、良く見れば汚れているものの、旅装のようなものを身に付けている。なにより、熊は喋らぬ。私の名を知る由もない。


「どこのどいつだ!? 怪しい奴め、名を名乗れッ!?」

「名などない」

「なにッ!?」

「我らはただ、暗がりから伸びる手。帝国に仇為す者を、闇へと引きずり込む手だ……」


 熊は、こちらに向かって歩き出す。動きがおかしい。恐らく、片足がまともに動いていない。両腕もダラリと垂らしたままだ。

 毛皮には大量の雪もついたままであり、いままさに山籠りから目覚めた熊のような有り様だ。


「誰か、さっさと討ち取れ! 名も名乗れぬ下郎である!」


 私が命じても、兵らが動こうとしない。ええい、まったく忌々しい。思えば、あのとき突撃できなかったのも、此奴らがモタモタしていたからだ! もう良い!

 私は自ら剣を抜き放つ。ポールプル侯爵家の跡取りに相応しい名剣が、傾きつつある太陽の光を反射し、輝く。


「怪我人など、私が直々に成敗してくれるッ!」


 ひょこひょこと、ある意味滑稽な動きで近付いてくる熊の毛皮を被った男。やはり武器などは見受けられない。

 この程度の刺客など、さっさと討ち取って行軍を再開しなければならないのだ。愚図どもは、私が率いねばならぬ――のだ――から?


「はぇ?」


 視界が二転三転する。クルクルと回る世界。なにがあった?

 男がなにかした? 馬鹿な、直前まであれだけ離れた場所にいたのだぞ? 武器を抜く素振りもなかった。

 だが、地面に倒れた私が見たのは、口に咥えたナイフを、に突き立てている、毛皮の男の姿だった。

 いったい、どうやっ……――



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