第6話 食べ物の味

 ゆさゆさと体を揺らされて、目を覚ました。


「生きていますね? よかった……」


 見れば、僕によく似た顔がそこにある。僕に似てはいるものの、やっぱり全然違う。似て非なるというのは、こういうのをいうのだろう。

 場所は、いつの間にか実験室からベッドルームに移されていた。グラが運んでくれたのだろう。

 二度目のベッドは、一度目とは違って、随分と心地よく感じる。


「食事を作らせました。病人食という、消化に良い形で食料を加工したものらしいです。せっかくの睡眠を邪魔するのは心苦しいですが、通常の生命は食料からエネルギーを生成するものです。いまのショーンも同じです。食べなければ、いずれ生命力が枯渇するでしょう」

「う、うん……。大丈夫、ちょっと睡眠をとったら、それなりに回復してきた」


 勿論、いまだに刺すような倦怠感は続いているが、その刺してくるものが五寸釘からまち針くらいまでグレードダウンしている。

 僕は体を起こし、グラが持ってきた、麦粥っぽいものを受け取ろうとした。だが、首を振られてしまう。


「いまは少しでも、エネルギーの消費を抑え、生成を優先してください。地上生命は、我々と違って、エネルギーをダイレクトに吸収できませんから」

「あ、ああ」


 人間に限らず、普通の生き物は食べ物を食べて、その栄養を生命力というエネルギーに変換し、その生命力から魔力を生成する。対して、ダンジョンは食らった生命体のエネルギーを、多少ロスはあるだろうがそのまま吸収する。

 だから得たDPは、即座にダンジョンで利用可能だ。その代わり、ダンジョンコアは自分で生命力を生成できない。必ず、他の生き物から得なければならない。

 それが、普通の生き物とダンジョンとの、栄養補給面での大きな違いだ。

 グラは、木製の深皿に盛られた乳白色の粥に木匙を入れると、掬った粥を差し出してくる。湯気のたつそれを、僕に食べさせてくれるつもりらしい。


「あ、ありがとう……」


 少々照れ臭く思いながら、僕は匙に口を付け——


「熱っ!?」


——ようとして、失敗した。そうだった。こういう場合、一連のプロセスには『ふーふー』の行程が必須だったはずだ。

 元人間のくせに、その事を失念するとは。


「大丈夫ですか、ショーン!?」

「だい、大丈夫。ちょっと舌と唇を火傷しただけさ」

「すぐに回復を——」


 言いかけて、グラの顔が真っ青になる。この状況で、さらに生命力を消費するなど愚の骨頂。下手すれば命に関わる。

 グラが回復させるという手もあるにはあるが、【神聖術】でもなければ、傷の回復には対象の生命力を引き出す必要があるのだ。それでは結局、僕の命が危ない。

 そう思ったのだろう。


「グラ、心配しすぎ。火傷くらい、普通の生き物はほっといたって治るよ。この擬似ダンジョンコアの肉体がどうなのかは、経過観察が必要だね。火傷はこのままでいいよ」

「で、ですが……」

「ダンジョンコアは食べ物が必要ないからねえ。こういう部分、齟齬がでちゃうよね」


 なにせ、ダンジョンコアというものは、ナイフでは傷付かないような代物だ。熱々のお粥どころか、熱湯をかけられたって問題はない。元人間の僕ですら失念していたのだから、グラが気付かなくても仕方がない事だ。


「…………」


 露骨に肩を落とす事はないが、僕にはグラの無表情が、落ち込んでいるように思えた。そんな必要はないのに……。


「グラ、それ、食べさせて」

「し、しかし……」

「匙に掬ってから、ふーふーって息吹きかけて冷ますの。ほら、あーん」

「……。そうですね……」


 大真面目な表情で粥を掬い、強く、それでいて唾を飛ばさぬよう静かに、息を吹きかけるグラ。こんなに真剣にふーふーする人、初めて見たよ。


「ふむ。どれくらい冷ますものなのです?」

「どれくらいだろ? もう大丈夫なんじゃない?」

「いえ、まだ熱を持っていて危険です。いっそ完全に冷め切るまで待てば、火傷の危険もなく、栄養の摂取という面では最適なのでは?」

「あったかいまま食べさせて……」


 グラにとっては、食べ物が温かい事にメリットなど、感じないのだろう。効率的なら、味にすら興味がないと思う。そういえば、僕もダンジョンコアだった頃には、食というものにあまり興味がなかった。

 まぁそれは、ダンジョンが普通の食物を必要としていなかったという点や、市場で食べた肉串やアンジーの実が、あまり美味しくなかったのが大きい。


 グラが恐る恐る差し出してきた匙を、僕はパクリと咥え込んだ。


 麦の香ばしさと生姜のような風味が口内に広がる。舌には、ちょうどいい塩梅の味が染み渡り、温かさが全身を包んでくれるように思える。

 麦の他に、刻まれた玉ねぎのような野菜も入っているのだろう。自然な甘味が、適度な塩気と合わさって、いっそうこの粥の味を引き立てている。


——美味しい。


 この世界に生まれてから、初めてそう思った。肉串を食べても、オレンジリンゴを食べても、こんなに素直に美味しいとは思わなかった。

 どころか、これまでキュプタス爺が作ってくれた料理を、捨てるのも勿体ないからと食べていた際にも、これ程美味しいとは思わなかった。

 こんなにも心揺さぶられる程に、このお粥が特別美味しいのか? いや、多分違うだろう。


「ショーン、本当に大丈夫ですか? 魔導術で作る高度な水薬ポーションのなかには、当人の生命力を必要としないものも存在します。材料が希少ではありますが、取り寄せれば私が作れますよ?」


 何故か心配そうな顔で、そう問いかけてきたグラに、慌てて首を振る。


「いやいや! 大丈夫だって! こんな小さな火傷ごときに、ご大層な処置は必要ないっての!」

「でもショーン、泣く程痛むのでは?」

「え?」


 慌てて目元を触ると、たしかに濡れていた。どうやら、無意識のうちに涙を流していたらしい。その理由は、当然火傷の痛みではない。

 うわ、恥っず。お粥が美味しすぎて泣くとか、それを見られて心配されるとか、流石に恥ずかしすぎる。しかも、それをどう説明すればいいんだよ。

 なおも心配をしてくるグラを、そのたびに『あーん』の要求で誤魔化し続け、僕はそのお粥をペロリと平げたのだった。


 なんというか、文字通りの意味で、生き返ったって感じだ……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る