第62話 ベラトリックス
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なお、はるか南東のアル=ブン・ウード半島の辺りでは、フリッサとはまったく違う形状の、サイフと呼ばれる刀剣もあるらしく、吾の異名も語源はそっちらしい。なんでそれが吾の異名になっているのかは知らん。星がどうこう聞いた覚えはあるが、忘れた!
吾はその【
「言っとくけど、元々吾は幻術師が実際にどう戦うのか、知りたかっただけだったんだぜ。それを決闘にしちまったのは、オマエだからな! 寸止めはするつもりだが、オマエの実力次第では勢い余って殺っちまうかもしんねぇが、恨んでくれるなよ?」
対して、グラはするりと曲刀を抜き放つと、真正面に切先を向けて構えると、冷淡な瞳で応答する。
「あなたこそ、弱すぎて思いがけず殺してしまっても恨まないように。なんなら、遺言書を
「はッ! 抜かせ!」
互いに刃を向け合ったこの状態は、既に開戦も同然である。吾らの間に漂う空気が、いまにも爆ぜてしまいかねない程に高まる緊張を感じ取り、セイブンが右手を天高く掲げた。
「では両者、尋常に――始めッ!!」
セイブンの手が振り下ろされると同時に、吾は地面を蹴って吶喊する。兎人族の身体能力において、なによりも優れているのはやはり脚力である。なかでも吾の瞬発力は、氏族のなかでもピカ一を誇った。
これには、流石のグラも驚いたように目を見開いていた。だが次の瞬間、こいつはなんの躊躇もなく、その身を空中に躍らせる。
それは悪手だ――と、一瞬思ったが、違う。
吾は頭上を取られた状態を脱すべく、すぐさまその場を離れた。
「そぉいや、オマエはサリーと同じく、空飛べるんだもんな! 空中だって、オマエのテリトリーか!」
吾は離れた場所で、炎の翼を広げて空中に滞空するグラを見上げて笑う。火の粉を纏って、地を這う虫けらを睥睨するが如きその荘厳さは、なる程凡俗が天使と崇めたくなるのも理解はできる。
普通は、武術において飛び跳ねるという行為は、かなりの悪手だ。踏ん張りが利かず、次の行動における選択肢が著しく狭まる選択だからだ。
だが、ああして空を飛べるならば話は違う。しかし、グラはすぐさま地面へと降り立った。
「あんだぁ? そのまま飛び続ければいいだろ? 頭上は人間にとって、最大の死角だぜ?」
「飛行状態で地上と同等の動きなどできません。不意打ちならまだしも、既にこちらを認知している相手ならば、空中に留まるアドバンテージなどありません」
なるほど。その言ももっともである。鳥じゃあるまいし、いくら凄腕の魔術師といえど、やはり自由自在に空中を飛び回りながら剣技を駆使するというのは、至難の業なのだろう。
地に足のついたグラは、今度は頭の横に刀を構え、先程よりも鋭い視線で吾を見る。そこにもはや、吾を侮蔑する色はない。こちらを強敵と定めた目だ。
いいねぇ、ゾクゾクするぜ! 吾もまた、眼前の相手をただのメスガキと侮る事はない。相手は【陽炎の天使】とも【
吾が戦うに相応しい、女戦士だ。
「――ッア!!」
呻くような裂帛の呼気と共に、吾は再び地を蹴った。先程よりも速く、鋭い突撃、把持した柄を、振り下ろす直前に一度強く握ってから、少し力を抜く――そして振り下ろす。
グラはその打ち下ろしを刀身で受け流しつつ、流れるようにこちらに斬りかかってくる。斬られるわけにはいかない吾は、刀を振り下ろそうとしているグラの肘に対して、左の拳を繰り出す。
――ここが下げられなければ、刀は振り下ろせねぇ。
「チッ――!」
案の定、グラは両手での打ち下ろしを諦めて、吾の拳を回避しつつ体勢を立て直すべく、距離を取ろうとする――逃がすかっ!
吾は右手のフリッサを、勢い良く薙ぐ。迫る死神の鎌。回避するには、かなりの隙を見せねばならないだろう? さぁ、どうする!?
「ぐぉ!?」
――と、思ったのだが、実際に回避行動を取らされたのは吾だった。グラはすれ違いざまに、その背から炎の翼を生やして牽制に使いやがったのだ。牽制といえど、その威力はバカにならない。
あのまま突っ込んでいたら、自分で利き手を炎の翼に突っ込んでいたところだ。下手すりゃ、上半身全部持っていかれていたかも知れない。
三度、互いに距離を取って対峙する。グラは再び頭の横で構え、吾は地に寝かせるようにフリッサを構える。一拍の静寂ののち、ワッと訓練場内に歓声が轟いた。
どうやら、観客どものお気に召す立ち合いだったらしい。吾も満足である。
なるほど、その歳でこれだけやり合える武芸者は、なかなかいまい。魔術師って話だが、近接戦闘能力においても、十分に四級冒険者として見劣りしねえ程度にはやり合えるみてぇだ。
だが――
「なぁ、オマエ、吾を舐めてんのか?」
吾の言葉に、水を打ったように観客が静まり返る。ここまでの立ち合いを見た、中、下級の冒険者や、トーシロー連中は、対等な戦闘に見えたのかも知れない。
だが、実際のところ剣だけで見れば、吾とグラの間にはそこそこの実力差がある。十数合打ち合えば、まず間違いなく吾の勝利に転ぶだろう。それはグラとて、既にわかっているはずだ。
だがこいつは、二度目もほとんど剣だけで挑んできた。魔術師らしい対応は、炎の翼での回避だけだ。
吾はフリッサを肩に担ぐと、軽く首を傾げつつグラに話しかける。
「剣の腕は、上級冒険者としてはまぁまぁだ。四級相当といっていい。まぁ、多少拙いし、それだけで上級になるなら、何年も時間をかけて実績を積む必要はある程度だがな。だが、吾はこの剣で二級になったんだぞ? 剣だけで伍するつもりなら、舐めてるとしか言いようがねえ」
「…………」
グラは鋭い目でこちらを睨んできたが、なんの反論もしてこない時点で、やはり実力差は実感していたのだろう。剣の腕で吾に劣るという点に、忸怩たる思いがあるのか、しばしそうして沈黙していたグラだったが、やがて嘆息してから刀から右手を放してこちらに向ける。
「いいでしょう。では、あなたの望み通り幻術師の戦い方を、教えてあげましょう――【
言うが早いか、グラは幻術を詠唱する。途端、胸に去来する臆病風を、歯を食いしばって耐えながら、すぐさま生命力の理を用いて
「【
狙い澄ましたように――否、狙い澄まして先程の幻術と、まったく逆の幻術を行使する。途端、己を突き動かすような衝動が胸を突く。先程の臆病風など比ではない。
いますぐなにも考えず突っ込んで、グラを下してからショーンを己のものにしたい。その欲望が、勝手に体を動かそうとしている。
吾はなんとか己の衝動を抑え込むと、先程の【
おまけに、生命力は単純に二度の強心術を行使した以上の消耗である。真逆のものを短時間で行使したのだから当然だが、対してグラは詠唱の早い、魔力の消耗も少ない幻術を二つ行使しただけでしかない。連続で行使しようと、然して痛痒は覚えないだろう。
なるほど、これが以前ショーンが言っていた幻術の厄介さか……。ただでさえ、生命力の理とは比べ物にならないくらい、魔力の理は効率的なエネルギー運用だ。これを繰り返されると、こっちはあっという間に戦闘不能に追い込まれる。
「なら――ァ!!」
吾はいま一度、地を蹴りグラに迫る。理を刻む隙を与えない。いかなグラ・ハリューといえど、魔力の理と生命力の理を同時に行使するのは至難だろう。そこに、吾の攻撃を回避しながらというタスクが加われば、必然使う幻術の数は限られ、戦闘全体で使う数を減らせるはずだ。
つまり、攻めて攻めて攻めまくって、押し切るッ!!
吾の渾身の刺突を、グラは左手の刀で受け流しつつ、右手はこちらに向けていた。
「そう来ると思いました――【
途端、真っ白に塗りつぶされる視界。すぐに強心術での回復を試みようとしたところで――、ゾワリと産毛が逆立つ。吾の耳に、グラのガラスを打ち鳴らしたような声が、冷たく響いた。
「【
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