episode Ⅻ 逆侵略
結果は、虚しい程の静寂だった。
激しい閃光と轟音、天井や壁、そして床が崩れるような振動と一瞬の浮遊感ののち――崩落などという事実はどこにもなかったかのように、辺りは平静に包まれた。どころか、周囲の風景までもが一変していた。
これまでの、赤いヒカリゴケが蔓延る薄暗い洞窟ではない。のっぺりとした天井が白く光り、同じく凹凸一つない壁と床の空間ができあがっていた。
まるで、ここがバスガルのダンジョンではないかのような景色だが、それもそのはず、本当にもう、ここはバスガルのダンジョンではない。我々姉弟のダンジョンになったのだ。
目視では確認できないが、私たちとバスガルのダンジョンとの境目は、面白い事になっているだろう。薄暗い洞窟と、明らかな人工の壁や天井の空間が、せめぎ合うようになっているだろう。私たちとバスガルとの間柄を象徴するように。
そもそも、私――ダンジョンコアが自ら、敵のダンジョンに訪れるという危険を冒した一番の意味は、こういう状況に際して私がバスガルを侵略する為だ。
相手の意表を突きつつ、万が一ダンジョンに攻め込まれても、退路がなくならないようにとの方針だ。モンスターで敵のダンジョンを埋めるよりも、ダンジョンコア自らがダンジョンを侵食する方が早いのは自明だが、当然それはこんな一瞬で完了する程簡便ではない。今回、一瞬でダンジョンを奪えたカラクリは言わずもがな、【崩落仮説】にある。
などと持って回った言い方をすると複雑に思えるが、原理としては本当に単純だ。ダンジョンを崩落させるという行為に際して、ダンジョンはダンジョンという形状を、一瞬なりとも崩さねばならない。その一瞬を狙い澄まし、こちらで奪い取ってしまえばいいだけだ。
あの結界の中での密談は、この策を私に伝える為のものだった。聞いた際には驚いたものだが、なるほど【崩落仮説】の穴を逆手に取った、妙手といえるだろう。
ダンジョンは基本的に、管の形状をしている。開口部だけは外部に開放するのだが、それ以外の部分は地中に埋没していなければならない。ショーンはそれを聞いた際には、開口部を『口』ダンジョンを『消化管』と、人体になぞらえて理解していたが、言い得て妙だろう。さしずめダンジョンコアは、栄養を吸収する『
ダンジョンの大部分を開口部にするという方法も、理論上は不可能ではないが、開口部には開口部用の特別な処理をしなければならず、またその維持に要するDPは地中のダンジョンとは比べ物にならない。
万が一大部分を地上に解放しようとしたら、ダンジョンの維持DPで早々にダンジョンコアは干涸びるだろう。消化管をすべて口腔に変えるなどという無理な改造は、ダンジョンという生物の構造上は事実上、不可能というわけだ。
「ふぅ……――」
とはいえ、流石にショーンも、初めから相手が【崩落仮説】などという手段を目論んでいるなどと知っていたわけではない。本来なら、私がこのダンジョンで攻め取るはずだったのは、バスガルの側のダンジョンとアルタン側のダンジョンとの接続部。そこをこちらのダンジョンで占領できれば、アルタン側のダンジョンも攻め取ったも同然。戦況は圧倒的にこちらに有利に動く。
――が、こうして私が物資集積拠点を守る為にダンジョン化してしまった。ズメウが攻め込んでいるこの状況で、私という駒が守勢に回ってしまった意味は、吉とでるのか凶とでるのか……。
「な、なぁ……、あ、あんた、いえ、あなたは、【白昼夢】の姉、ですよね?」
白昼夢。ショーンがそのような異名で呼ばれている事は知っている。正確には【白昼夢の小悪魔】だったか。個人的には、もう少し愛嬌がある名の方があの子には相応しいと思っているのだが、そこは所詮人間という種の底の浅さが露呈したのだろう。
「ええ。だから?」
私は、ショーン以外に接する常と同じ態度で、話しかけてきた冒険者を突き放す。
「こ、これは、あなたがやったのか、ですか?」
これ、というのは、ダンジョンの風景を一変させた行為を指すのだろう。たしかにその通りだが、これをダンジョンの権能と思われるわけにはいかない。
「そうですが、あくまでも応急処置でしかありません。いまの内に、町の指定箇所に住む者の退避勧告をだなさい。それと、恐らくこの攻略隊の主力である、セイブンたちが別動しているのではありませんか?」
「あ、ああ。たしかにセイブンさんたちは、別の場所で――」
男がそこまで言ったところで、再び洞窟を振動が襲う。ただしこれは、ここから離れた場所で起こったもので、恐らくはショーンたちか件の主力の方で起こったものだろう。
「すぐに、その主力部隊が派遣された箇所の上部住民にも、避難勧告をだしなさい。手遅れになれば、何百の地上の民がダンジョンに呑まれますよ」
先程渡した地図には、当然ながらセイブンたちの居場所は記されていない。はぐれていた私たちが、その場所を知る由もないのだから、仕方がないだろう。ただし、そこもまた目標でる事は間違いない。
私としては、然して気にする話ではないのだが、やはり地上生命たる冒険者には重大事だったようで、顔を青くし「わ、わかった!」と叫んで駆けていった。その後ろ姿を、どうでもいいと思いながらフンと息を吐きつつ見送る。
「あなたたちも、ここから退避しておきなさい。この場はいま、敵ダンジョンの主の支配からは外れていますが、それがいつまで持つのかわかりません。あるいは、敵がこの場所を取り戻しにくる可能性も否めません。人員と物資を、安全な場所へと逃し、退路の確保に専念しなさい」
「はいっ!」
どういうわけか、私の命令に唯々諾々と従う人間ども。どうやら、一瞬であろうと崩落を経験し、それを私が助けた事で、連中はこちらを信用したらしい。心底頭が悪いと思う。
私は、こいつらの生死など、心底どうでも良かったのだから。
「……ショーンは大丈夫でしょうか……」
いまからでもそちらに戻りたいという、強い誘惑に駆られながらも、これもあの子の為だと思い、私は拠点の人間どもが最大限生き残れるよう、命令を下していく。
はぁ……。本当に不本意です……。
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