第112話 ディラッソ君の失態
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グラはサイタンの町にいた。一度、トンネルまで赴いたそうだが、既に僕が封鎖したあとで、僕もウカもいなかった為、サイタンで待ちつつ通信を送り続けたそうだ。
そんなグラに危機を伝えたのは、当然ながらディラッソ様とポーラ様である。そして、いま現在のグラの滞在場所はゲラッシ伯の居城の一室だ。
「どどどどどうしようか……? こ、これはマズいぞ。ショ、ショーン殿っ! 何か良い手はないか!?」
「いや、落ち着いてくださいよ」
常は落ち着き払った文官気質のディラッソ様が、まるで子供のような周章狼狽ぶりだ。この人、すべてお膳立てして、その通りに物事が進まないと、途端にパニックを起こすタイプの人だったのか。所謂、マニュアル人間ってヤツだ。
いや、平時ならそれでいい。こういう人は、そのマニュアルを作って下準備を整えるのは得意なのだから。
だが、現状は既に想定外に想定外を重ねた事態だ。誰も――それこそ、彼よりも帝国事情に詳しかった僕ですら、まず起こり得ないだろうと思っていた状況が、眼前に迫っている。
「ほ、本当に、帝国は第二王国との全面衝突までをも覚悟して、軍を動かす準備をしていると思うかい?」
「さて、それは判断できかねます。既にナベニ共和圏との戦争状態にある情勢で、あえて戦線を広げるという判断には、いささか以上に不審を覚えます。まして、第二王国はナベニ共和圏とは比べものにもならぬ大国。ゲラッシ伯爵領が取れたとて、それで帝国と第二王国が正面切っての戦争に入るのであれば、利よりも損が大きくなりましょう」
「そ、そうだろう! あり得ぬ事だ」
「ですが、実際に既にその兆候が見え始めているのでしょう? であれば、情報の真偽はともあれ、こちらも準備せねばならぬのでは?」
「そ、それはそうだが……」
歯切れの悪いディラッソ様。どうも、その動揺の裏には、事態への対処そのものに対する忌避感が窺える。
「ディラッソ様? 事情を窺えますか……?」
あえて、あからさまな作り笑顔で迫る事で、慇懃無礼に威圧する。その顔に気圧されたのか、バツが悪そうにディラッソ様が顔を逸らした。
「い、いや……――じ、実は、事態が発覚したのは、父上の元に、幾人かの人を送ったあとなのだ……。指揮官が不足していると窺っていたので、兵らを統率する人材はいて困る事はないと……」
「うわぁ……」
いや、これ自体は、ディラッソ様が悪いとも言い切れない。軍を自由自在に運用する為には、それを指揮する者が必要になる。ゲラッシ伯も、大所帯になった伯爵軍の統制に苦労しているのは間違いなく、送った人材が役立つのもたしかだろう。
特に、ディラッソ様は現行の用兵に疑問を持ち、歩兵の重要性を高めたいという戦術思想を持っている人だ。ここで、指揮官の重要性をゲラッシ伯に再確認させ、今後その育成に注力するという政治的な布石は、まぁわからないでもないし、間違いでもないと思う。
だが、結果としてパティパティア以西のこちら側が、緊急の事態に対処できなくなってしまったのは、間違いなく彼の失態だ。そして、まず起こり得ないと思っていた事態が起こってしまったせいで、その失態が表出してしまったわけだ。
「あとでゲラッシ伯に怒られてください……」
「うむ……」
落ち込んで、肩を落とすディラッソ様。その背後で、問題の重大さをわかっているのかいないのか、ポーラ様がため息を吐いて肩をすくめていた。
まぁ、彼の思惑はゲラッシ伯にも伝わるだろう。なにより、兵の統率に不安があると連絡を寄越したのは伯当人であり、そこに使っていない人材を派遣して対処するというディラッソ様の働きは、部下としてそれ程責められるような真似ではない。
まぁ、迂闊だったのは間違いない。ゲラッシ伯も、帝国軍に動きアリという報を聞けば、たいそう肝を潰すはずだ。己の要請によって、後継ぎとその妹を失う惧れが生じたわけだからな。
「まぁ、帝国側の動きに対処できれば、不問にはなるでしょう。ディラッソ様を処罰すれば、必然的にゲラッシ伯の軽挙も責められる事になります。上首尾に帝国軍を叩き返せれば『お互いに軽率だったね。次からは気を付けよう』で終わりです。できなければ、まぁお二人とも批難されるでしょうが」
「どどどどどどどうすべきだ!? こ、このままでは、我ら現ゲラッシ伯爵家は、土地の有力者らからそっぽを向かれかねぬっ!」
ゲラッシ伯爵領には、現伯爵家と旧伯爵家という意識がある。まぁ、旧伯爵家は既に途絶えているのだが、領内に地縁を持つ有力者は、やはり旧ゲラッシ伯爵家から仕えてきた家だ。そういった家々からすれば、血縁はあれど余所者である現伯爵家に対しては、それなりに隔意があった。
とはいえ、ゲラッシ伯爵家がこの地に封じられて十年以上。蟠りの解消は進んでおり、現伯爵家が統制を握る点に不安を表す者も少なくなりつつあった。だがここで、跡取りであるディラッソ様の失態によって、領地の危機に陥れば……。
「……最悪、領内が四分五裂しますね……」
「そうなのだッ!!」
必死な形相で、僕の言葉に相槌を打つディラッソ様。いや、少しは落ち着こう。
特に、元々帝国領のような立ち位置で、いざとなったら第二王国に見捨てられると思っているサイタン、シタタン辺りの有力者にとっては、この機に帝国に寝返ってしまおうという者は、それなりにいるかも知れない。その他の地元有力者たちにとっても、現ゲラッシ伯爵家の統制から離れる良い機会と見る者もいるかも知れない。
まぁ、いま離れたところで、既に時代は在地の豪族が幅を利かせられるような、中世からは脱却しつつあるのだが……。
「まぁ、追い返せばいいだけです。現在、帝国南部に残っている帝国兵は、だいたい一万前後。それらすべてをこちらに投入しては、侯爵領内の統治も補給もままなりません。攻めてくるのはその七割から半分程度と見るべきです」
「う、うむ……。き、君は随分と帝国内の事情に明るいのだな。国内の戦力事情など、向こうも細心の注意を払って守っている機密だろうに……」
「カベラ商業ギルドからの情報です。帝国内の商人に対してまで、兵力を誤魔化すなんてできませんよ。彼らを食わせているのは、商人らの運ぶ食料なんですから。もう少しすれば、ディラッソ様の元にも同様の情報があがってくるでしょう」
正確には、侵攻軍に参加していたからわかっている事情ではあるが、まぁその辺りはご愛嬌という事で。僕は未だに、ゲラッシ伯爵家の家臣ではないからね。
僕の言葉に、ディラッソ様も深く頷く。少し落ち着いてきたかな?
「まぁ道理ではあるな。カベラ商業ギルドは、こちらに味方していると見ていいのかな?」
「今回の件に関しては、味方で良いかと。僕と彼らとは、今後に大きな商いを控えています。ここでゲラッシ伯爵領に混乱されるような事態は、まず望まないでしょう」
「そ、そうか。それは幸いだ……」
「して、ゲラッシ伯爵領で用意できる戦力はどの程度でしょう?」
僕の当然の質問に、しかしディラッソ様――次期ゲラッシ伯爵と目される嫡男の目が、泳ぐ泳ぐ。やはり、彼の動揺の核心はそこか。用意できる兵力が、帝国軍に比べて著しく少ないのだろう。下手をすれば、防衛がままならない程に……。
たっぷり三分程キョドっていたディラッソ様だったが、やがて観念したように天井を仰ぎながら、呟くように答えた。
「良くて二〇〇〇……、悪ければ一五〇〇程度だ……」
すっくな。
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