第87話 蜘蛛の糸と希望と絶望
ひとまず、【
「当家としても、正直町の住人を手に掛ける事は本意ではありません。ですが、悪意を持って攻撃を仕掛けてきている人間を、看過する事もできません」
「道理です。しかしながら、影響が大きくなるかと思われます」
ギルマスがその渋い顔に、苦い色を滲ませてそう述べる。たしかにそれはそうだろうが、だからといってどうしろと? 殺さずに、すべてを奪われろとでも? 殺さずに、殺されろとでも?
「こちらに、侵入者を冒険者と住人とで選別する方法などありません。攻めてくるなら、どちらも同じように対処せざるを得ません。また、打てるだけの手は打ちました。領主にも官吏にも警告は発しましたし、こちらは一切法を犯していません。それでもなお、こちらに攻撃を仕掛けてくるなら、それが住人であろうと、衛兵であろうと、領軍であろうと、僕らが退く理由がありませんね」
僕の宣言に、アルタンの町のギルド
まぁ、そうなるとこれまで築いてきた社会的地位がメタメタになるので勘弁して欲しいのだが、僕らの優先順位は人間社会で生きる事よりも、ダンジョンとして発展する事だ。
グラの昇神の妨げになるというのなら、それが無力な人間であろうと、僕はそれを殺してみせよう。そいつらはこちらを攻撃してくる時点で、少なくとも無辜でも善良でもない。きっと、殺せる――だろう。
「はぁ……」
心底疲れたようなため息を吐くギルマス。本当に、厄介な事になったと思っているのだろう。僕だってそうだ。
「勘違いをされては困るのですが、僕としても多くの住人を死なせるのは、本当に不本意なんです。穏便に済ませられるなら、こちらとしてもそちらの方が望ましい」
「ですが、事ここに至って事を穏便に済ませるのは難しい……」
苦渋の滲むイケオジの低い声音が、じんわりと部屋に染み込むように響く。格好いいバリトンボイスというのは、男の僕でも憧れてしまう程に格好いい。
彼の苦悩もわからないではない。実を言うと、エルナトに対して適当に明後日にウチを襲撃すると宣った僕ではあるが、別にそれは見当違いな推測というわけではない。
あの、【
まぁ、【扇動者】の使いだという事も伝えさせたので、今頃どうなっているのかは知らないが。
なお、言動は結構忠実に再現した。つまり、明後日にはウチに焼き討ちを掛けるという話は、このまま手を拱いていれば実際に起こる事件なのだ。おまけに……――
「ちなみに【扇動者】が率いる群衆は、総勢で二五〇〇人だそうですよ?」
「はぁ!? 二五〇〇ゥ!? こっちの想定の五倍じゃねえか!?」
口調は乱れ、声を荒げるギルマスに、僕も肩をすくめる。
僕も、まさかとは思ったが、話を聞けば本来の町の住人は五〇〇人程度らしい。だがそこに、外部からかなりの人数が加わっているようだ。
ここアルタンの町は、スパイス街道の宿場町という事で、人の出入りが多い。当然ながら、怪しい人物は門で取り締まられるが、見落としがないわけではない。潜入の常套手段は、奴隷商に偽装した馬車と、それを護衛する名目で傭兵を町に入れていたらしい。実際、残りの二〇〇〇人の内九〇〇人くらいは奴隷らしい。そして、七〇〇人くらいが傭兵と下級冒険者で、残りはよくわからない人員だそうだ。
ここら辺は、どうやら他国の間諜が関わっているようで、情報を抜いた骸骨男からも伝手からも、詳細は聞き出せなかった。
ちなみに、傭兵と下級冒険者の区別がないのは、骸骨男にも見分けが付かず、【扇動者】たちも一緒くたにしていたせいだ。
「クソっ! だから言ったんだ、もっと真剣に取り組めって! もう紛争寸前の状況じゃねえか!? それをあの代官と騎士の野郎!」
不穏な潜入部隊が、事を起こす寸前なのだ。彼の罵声も当然のものだろう。
このゲラッシ伯爵領は、第二王国の北西における敵の侵攻路でもあるのだ。王冠領の大部分は、パティパティア山脈という天然の要害に守られているのだが、唯一ゲラッシ伯爵領が有している峠道が、隘路なれど帝国側に拓けている道なのだ。だからこそスパイス街道の価値は高いのだが、それ以上に第二王国にとっては弱点でもある。第二王国の前身である、聖ボゥルタン王国が亡びたのもの、ここから件の遊牧民の侵攻があったからだ。
当然ながら、要衝であるゲラッシ伯爵領では、他国の間諜が蠢動している。警戒は、どれだけしていてもし足りるという事はないだろう。実際に事態がここまで悪化しているのであれば、治安維持の責任者たちは責任を取るべきなのだ。
まぁ、それは領主の職掌の範囲なので、僕らが口を出すべき事柄ではない。
「――……グランジ・バンクスさん。ここからは、ギルドの支部長という立場ではなく、この町の平穏を願う一個人として聞いておいていただきたいのですが……」
僕の不穏なセリフに、今度こそ取り繕う事なくたじろぐギルマス。それでも、話は聞いてくれるらしい。
「正直なところ、住民は鬱屈した思いを吐き出せれば、対象はなんでもいいんだと思います」
「そうですね……。その標的に貴殿が選ばれたのは、実に遺憾ではありますが……」
理解できないとでも言わんばかりに首を振るギルマスだが、そこは【扇動者】の口八丁手八丁の賜物だろう。
時間さえあれば、大規模な慰霊や祭りなんかの、ありきたりなガス抜きで落ち着いたはずなのだ。だが【扇動者】がその間隙を突いて、混乱を起こす為に利用した。
エルナトも言っていたな。要は八つ当たりの弱い者いじめができれば、彼らは文句がないのだ。ダンジョンの崩落という理不尽で家族を奪われ、生活が立ち行かなくなった鬱憤や不安を、手っ取り早く解消したい連中が、今回の騒動に賛同したというのは、恐らくは正しい。
「住民以外の安否については、ご領主様や官吏側も、文句は言わないでしょう」
「そうだな……。ギルドもまた、未遂ならともかく、実際に他家へと侵入した冒険者を庇い立てる事はない」
「一応、上手くいくかどうかはわかりませんが、住人とそれ以外の面子を分ける策がないではありません」
「なんと! そんな妙案がおありで!?」
まるで天から蜘蛛の糸が垂れてくる光景を見るようなギルマスの顔に、少々罪悪感が湧く。なにせ、予めギルドマスターとしての立場を忘れさせた理由は、この案が人情とは真逆の、実に非道な案だったからだ。
それでも、最大限自分たちの社会的な立場と財産を守る為にも、行動は起こさねばならない。すべてをご破算にするのは、打つ手がなくなってからでも遅くはないのだから……。
「実はいま、この町には――」
そして僕は、計画を語る。当然ながら、ギルマスの顔色は希望から絶望へ、最後は蜘蛛の糸が切れた瞬間のカンダタのような表情を浮かべていた。
でも、聞いた以上は、これで君も共犯だよ?
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