第86話 燻製鰊の虚偽

 ギルドの従業員に案内され、最上階のギルド支部長マスターの執務室に通された。その先にいたのは、さっきのイケオジだった。


「えっと、もし間違えていたら申し訳ないのですが、あなたはショーン・ハリュー殿でよろしかったでしょうか?」


 イケオジが恐る恐るといった調子で、こちらに問いかけてくる。ギルドの支部長という肩書きの割に、随分とまぁ腰の低い対応だ。

 まぁ、いまの僕はおじさんの姿だから、パッと見でショーン・ハリューと同一人物だと判断はできないだろう。万が一、冒険者ギルドに依頼をしにきた商人や、貴族の使いだった事を思えば、腰が低いのも頷ける。


「はい。そうです。初めまして、ショーン・ハリューと申します」


 僕はそう言ってから、【襤褸鮋ボロカサゴ】の幻術を解いてマントを外す。ギルマスのイケオジは、僕がどこにでもいそうなおじさんから、おかっぱ頭の子供へと一瞬で変身した事に目を丸くしていたが、リアクションらしいリアクションはそれだけだった。流石は、元上級冒険者だ。

 しかし……。ふぅむ……。このおじさん、以前どこかで見た覚えがあるんだよな……。


「どうも、初めまして。グランジ・バンクスと申します。このアルタンの町における、冒険者ギルド支部の支部長を務めております。以後、お見知りおきをいただけたらと存じます」


 ワイルドな見た目に反して、やはりギルマスは慇懃に自己紹介をしてくれる。どうやら、商人や使者でなくとも、元から丁寧に接してくれるつもりはあったらしい。


「どうも。こちらもまた、末永くお付き合いができたらいいと思っています。差し当たって、現在直面している状況を解決できれば、僕ら姉弟とギルドとの関係は良好を保てると思いますよ」

「そうですね……。この度は、当ギルド所属の冒険者たちが、お宅を襲撃したという事で、誠に申し訳ございません」


 深々と頭を下げるギルマスに、僕は両手を振ってそうじゃないと彼の謝罪を止める。


「いえいえ、冒険者が荒くれの、半分犯罪者である連中ばかりな事なんて、下級の頃から知ってます。その完全な統制を、ギルドに求めているわけではありません」


 冒険者ギルドというのは、あくまでも彼らを有効活用して、モンスターの間引きや根絶、ダンジョンの攻略とその主の討伐、さらには警報代わりとして町の周囲に配して、モンスター被害から住人を守るのが役目だ。彼らが暴走する事など、ある程度は想定済みの事態である。


支部長ギルドマスターからの誠意ある謝罪は受け取らせていただきました。この件で、僕がこれ以上文句を言うつもりはありません」


 だがまぁ、責任者は責任をとるのが仕事ともいう。たしかに、ギルドに所属している冒険者が犯罪行為をした以上、ギルマスが頭を下げるもまた筋だろう。この人の首を飛ばすのが目的でもないし、謝罪そのものはここで受け取ろう。


「あの、それとですね……、この状況で非常に申し上げにくいのですが、その……、幻術の施されたマントは、恐らくですが所持に許可が必要になる類のマジックアイテムかと……」

「え!? マジで!?」


 おずおずと、言いにくそうに僕に告げたイケオジの言葉に、僕は目を丸くして問い返す。どうやらこの【襤褸鮋ボロカサゴ】は、この町ではご禁制の品だったらしい。


「冒険者の装備に関しては、司直の方でもある程度目こぼしはしてくれるんですが、用途が完全に戦闘から離れたマジックアイテムですからね。おまけに、付与されているのは幻術です……。様々な陰謀に用いられる可能性がありますから……」

「なるほど。それはたしかに……」


 言われてみれば、このマントは悪用の仕方に無限の可能性が眠っているといえる。例えば、僕がこのギルマスの姿を借りて、犯罪を犯してわざと目撃されれば、彼の社会的地位はたちまちの内に失墜するだろう。

 だが、それで規制する意味というのは、そこまであるのだろうか?


「でも僕の場合、別にマジックアイテムに頼らなくても、同じ事ができますけど……」

「ええ、そうですね。なので、幻術師の方は人々から恐れられる傾向が強いです。恐らくは、為政者側の警戒心や恐れが下々の民にまで伝播し、警戒されているのでしょうが。根底にあるのは、騙されたくないという警戒心でしょう」

「僕が住人たちから恐れられているのも?」

「そういった偏見もまた、一因ではあるかと」

「なるほど」


 まぁ、たしかに幻術って悪用しようと思えば、いくらでも悪用できるしね。それは属性術も同じだろうけど、あっちは人々の生活の役にも立つし、悪用と言われて真っ先に考えるのが、単純な攻撃だからな。

 そう考えると幻術は、誰かに変装したり、騙したり、誘導したりと、結構陰湿な悪用方が思い付く。そんな妖しい幻術師という存在が、町で着々と力を付けているという状況は、なるほど不安に駆られてしまうものなのかも知れない。

 これは、幻術の有効利用を模索しないと、今回みたいな騒動が繰り返されるかもな。グラとしては別に構わないのだろうが、できれば僕らが大規模ダンジョンに至るまでは、事は荒立てない方向でいきたいものだ。


「そうだ。幻術といえば……」


 僕は抱えたままの【燻製鰊の虚偽レッドへリング】をギルマスに見せつつ、お願いする。


「あの、本題の前に申し訳ないのですが、できればここに警備の方を呼んでいただけませんか? 我が家に侵入した連中を出しますので、全員を拘束しておいてください。あ、だからといって、衛兵に突き出すのは勘弁してくださいね。少々ラベージさんとの取引がありまして……」


 まぁ、その辺はラベージさんの方から話を通してくれているだろう。いちいち【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中の身柄に関して、僕が頭を下げる筋合いはない。だが、ギルマスはどうやら、それ以前のところで疑問があるようだ。


「あの、出すというのは? まさか、その本の中から出すという事でしょうか?」

「ええ、そうですよ」


 違うけどね。あまり本に使った幻術の詳細を説明したくないので、ここではそういう事にしておく。

 実をいえば、この【燻製鰊の虚偽レッドへリング】に使われている幻術というのは、そう高度なものでもない。少々複雑なだけだ。なので種明かしをすれば、別の幻術師がこれを真似る事は、造作もないだろう。

 問題は、それが蔓延したときに、僕のせいにされては困るという点だ。

 ギルマスが人を呼び、室内に屈強な男が十人弱集まったところで、僕は【燻製鰊の虚偽レッドへリング】の宝石に触れて、キーワードを口にする。


「【猟犬は燻製鰊の匂いを追わない】」

「ぅぐぁ……!?」

「な、なんすか!?」

「……ぁう……」

「ッ……!?」


 途端、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】のメンバーと、一人の男が室内に現れて奇声を発した。ギルマスや警備員の人たちも、最初は驚いていたが、すぐに気を取り直して侵入者たちを拘束する。

 彼らはこの半日、本の物語の幻を見ていた。内容は、割と単純なミステリーだが、ミスディレクション満載の、誰が犯人かわからないものだったはずだ。物語の内容が冒険活劇とかだと、内容次第では生命力の理で幻術を抵抗レジストされかねない為に、内容はミステリーにさせてもらった。


「これは……、本当に本の中に人が囚われていたというのですか……?」

「まぁ、そういう類の罠です」


 そう嘯く僕に、ギルマスから得体の知れないものを見るかのような、恐れを孕む視線を向けられた。言えない……。

 ぶっちゃけると、この【燻製鰊の虚偽レッドへリング】は、本を開いた際に、一定範囲内にいる人間に対し、物語の内容を疑似体験させるような夢を見せつつ、その姿を不可視、感知不能にするというだけの、結構単純な仕掛けでしかない。

 見えなくなっていただけで、この連中はずっと本の周りに立っていただけなのだ――とは、このギルマスにも、いま家に侵入してきている冒険者連中にも、言えないよなぁ……。彼らをここまで恐れさせている本のギミックが、こんなに単純だなんて知られたら、赤面する程恥ずかしいだろう。

 まぁ、警備員にドアを開けたままにしてくれとか、不自然な行動も見られているので、ギルマスはその内タネの想像もつくだろうけど。


「よろしければ差しあげましょうか? 本棚に一冊入れておけば、防犯に役立ちますよ?」


 なので、お近付きの印にプレゼントしようとしたら、青い顔をされた。両手をあげて、その青顔を左右に振るギルマス。


「い、いえ……、結構です……っ」


 むぅ……。本って結構高価だし、この【燻製鰊の虚偽レッドへリング】は見た目も派手だし、泥棒を捕まえるという用途なら、本当にお役立ちアイテムなんだけどなぁ……。



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