第88話 【扇動者】の正体……?

 ショーン・ハリューが部屋を辞したのち、俺は深くため息を吐いた。なんというか、突然現れた怪物に、無理矢理泥沼に引きずり込まれたような気分になる。

 ああ、なんとなくわかった。住人や一部の冒険者が、あの人に反発して敵対する理由が……。


「なんにしても、まずはアイツに事の次第を質さなければな……」


 俺は人を呼ぶと、さっき拘束した内の一人を呼び出す。そいつは、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】のメンバーではない、巻き込まれたという態で現れた男の方だ。

 やがて、バツの悪そうな顔で執務室に入ってきたのは、特徴的な金色のツンツン頭に、濃紫こむらさきのゴーグルをかけた長身痩躯の男。


「さて、んじゃ話を聞こうか――レヴン?」

「い、いやぁ……、こいつは面目ねえ……」


 そう言って頭を掻くレヴン。俺だって、ショーン・ハリューの本からこいつが出てきたときには驚いた。昨日から連絡を取ろうにも取れなかった相手が、まさかハリュー邸襲撃に加わっていようとはな……。


「詳しく聞かせてくれ……」


 よもやエルナトや【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中のような迂闊な思惑ではなかろうが、それでもレヴンがハリュー邸襲撃に関わった理由は知らねばならない。なおも気まずげなレヴンが、おずおずと理由を伝えてきた。


「実は、あれから俺は、敵の組織に潜入を試みたんだ。で、潜入してみてわかったのが、襲撃を目論んでる連中には【扇動者】と【冒険者】の派閥があるって点だ。本当は【扇動者】の内情を探ろうとしてたんだが、俺も表の肩書きがあるからな。エルナトたちの動向を知りたがっていた【扇動者】たちに、【冒険者】派閥の動向を探るスパイを仰せつかっちまってな……」

「なるほど……」


 俺は頷きつつ顎髭を撫でる。表の肩書きってなんだ、とは思ったが、こいつは冒険者の界隈ではそれなりに顔が売れている。腕のいい情報屋としても、名が通っている。それなら、その肩書きを利用しようとするのは、レヴンとしても【扇動者】としてもわからないではない。

 話の筋は、一応通っている。なにより、情報収集はこちらから頼んだ事だし、前回はあまり有益な報告をできなかったと臍を噛んでいたこいつが、多少無茶をしても不思議ではない。

 俺はひとまず、この男が敵側についたわけではないとわかり、安堵のため息を吐く。そんな俺に対して、レヴンは弁明を続ける。


「お前さんの繋がりで、【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の元メンバーであるラベージがいま、ショーン・ハリューと関係を構築しているって知ってたからな。そんな【金生みの指輪アンドヴァラナウト】の連中を名指しするマジックアイテムには、なにかあると思って近付いてたんだよ。まさか、本の中に閉じ込められるとは、思ってなかったがな……」


 そう言って力なく笑うレヴン。凄腕の斥候として、罠に対処する腕には一家言あったのだろうが、むざむざと本の中に囚われた事を恥じているらしい。まぁ、どうやればそんな事になるのかわからない以上、対処も難しいか……。

 というか、本当に本の中に入ったのか?


「ハリュー邸に残したパーティメンバーは大丈夫なのか? 下手をすると、姉弟の工房で露払いにされかねねぇぞ?」


 とはいえ、優先順位の高い方から質問していく。場合によっては、ショーン・ハリューにこいつのパーティメンバーの助命を乞わなければならない。受け入れられるかどうかは別にして。


「大丈夫だ。あのパーティは、あくまでも【扇動者】たちのスパイだったからな。俺もほとんど面識のない連中だったし、恐らくは帝国の冒険者だろう」

「ほぅ。つまり、【扇動者】は帝国の間諜か?」

「いや、状況はより悪い」


 レヴンはそう言ってから、軽く周囲に気を配り、誰もいないのを確認してから、声を潜める。以前、ラベージが来たときも同じような事があったなと思いつつ、俺とレヴンは背を屈めて、小声で話し合う。


「どうやら【扇動者】は、帝国と公国群、それにポンパーニャ法国の間諜らしい」

「ポンパーニャだと? なんだってあの国がウチのシマを荒らすんだよ?」

「狙いはウチじゃねえ。ナベニポリスだ」

「ああ……っ! そういう事か……ッ!」


 俺は額を押さえて、天井を仰ぎ見る。その視点は欠けていた。

 ナベニポリスは、ベルトルッチ平野の東端に位置する都市国家で、近年海洋国家として交易でかなり大儲けをしている国だ。なにせ、北大陸の大多数の国家にとっては、二つしかない地中海貿易への大事な玄関口なのだ。

 そしてこのナベニポリス、スティヴァーレ圏の国でありながら、ポンパーニャ法国及び神聖教会との間柄が非常に険悪な事でも有名だ。なにせ、ナベニ共和国時代に法王から直々に破門状を叩きつけられている程だ。

 本来それは、神聖教圏においてはあまりに大きなマイナスなのだが、それでもなおナベニ共和圏の自治共同体コムーネはナベニポリスを支持している。第二王国も、ナベニポリスからの商船を受け入れているし、なんならスティヴァーレ半島の港町も、ナベニポリスの船を無視はできない。

 このトルバ海の交易において、ナベニポリスの地位というのは、それだけたしかなものなのである。


「なるほど。法国と帝国にとっては、第二王国よりもナベニポリスを併呑する方が、理に適っているか……」

「そらそうだ。第二王国のすべてを敵に回すなんて、法国はともかく帝国には無理だろ」


 第二王国の領邦は、単純な見積もりでも帝国の二倍以上、下手をすれば三倍はある。法国は宗教的影響力はともかく、国力はそこまで大きくもなく、帝国もまだまだ新興国家の枠組みから脱し切れていない。第二王国と戦うには、力不足の感は否めないだろう。

 その点、ナベニポリスは狙い目といえる。ただし、帝国は以前ナベニ共和国を併呑して版図に収めた事があるのだが、その直後に独立されている。それは現在にまで続く確執となっており、ナベニポリス方面から帝国に向けての交易は、その一切を停止している程だ。


「で? 帝国は今度は、どうやってナベニ共和圏を維持する方針なんだ? 無策で支配したって、結局は元の木阿弥だろ?」


 俺の問いに、しかしレヴンは肩をすくめてため息のついでに吐き捨てる。


「俺が知るかよ。下手すりゃ間諜連中も知らねえよ」

「まぁ、そらそうだわな」


 問題は、ナベニポリスのあるベルトルッチ平原と帝国との間には、南パティパティアの山々が聳えていて、直接攻め込めるような立地ではないという点だろう。いや、大昔に別ルートでパティパティア越えをしてスティヴァーレ圏に攻め込んだ歴史はあるのだが、それはいまでも伝説の類だ。

 以前、ナベニ共和国が陥落した帝国の侵攻策がまさに、このパティパティア越えだったわけだが、犠牲はかなり大きく、あまり褒められた戦術ではないとされた。また、恒常的な連絡路の確立も難しく、簡単に本国と切り離されたナベニ領は即座に独立し、帝国との関係を断絶させたという経緯がある。同じ轍を踏む程、帝国も愚かではないだろう。

 ただし、安全に侵攻するルートがないわけではない。それが、第二王国、王冠領、ゲラッシ伯爵領。つまりはこの町の目前にある峠道だ。要は、第二王国の弱点は、ナベニポリスにとっても鬼門という訳だ。


「帝国にとっては念願の海を手に入れ、ナベニポリスの交易を一手に牛耳れて万々歳。クロージエン公国群にとっては、帝国の目が自分たちからそれて万々歳。ポンパーニャ法国からすれば、目の上のたん瘤だったナベニポリスが、敬虔……――かはともかく、少なくとも破門状を叩きつけていない国が、あの地を支配するから、まぁ……万歳か?」

「どうだろうな……」


 少なくともそれは、スティヴァーレ圏の一部を、帝国に占領されるという事に他ならない。法国や教会としては良くとも、ベルトルッチ平原の各都市国家やジェノヴィア共和国からすれば、面白い話ではないだろう。ナルフィ王国、マグナム=ラキア連合だって不満を示すだろうし、下手をすればスティヴァーレ圏から法国が爪弾きにされかねない。

 最悪なのは、教会にまで非難が波及し、【神聖術】そのものに影響を及ぼす可能性だ。【神聖術】は信徒たちの信仰次第で、強くも弱くもなってしまう魔力の理なのだ。法国の影響力が強いのは、この【神聖術】の根本である宗教を握っている点が大きい。

 だが、だからこそ本来は、このような軽率な真似をするべきではないのだ。それは人類全体、といえば少々大げさだが、少なくとも神聖教圏の人間の安全に関わってくる事柄なのだから。


「なるほど。まぁ、連中の狙いはわかった」


 狙いは、ゲラッシ伯爵領の混乱のどさくさに紛れて、第二王国にナベニポリスに対する侵攻路を貸してもらおうって腹だろう。これが直接的な侵攻であれば、第二王国とて断固とした対応を取るだろうが、あくまでも国内を通過するだけだ。それに加え、現在第二王国と王冠領の間には確執が存在する。

 故に、王国の影響力の強いこのゲラッシ伯爵領がどう転ぶのかは、未知数なところだが、事前にゲラッシ伯爵領で大きな騒乱が起きていれば話は別だ。下手に拒否して、混乱で対応できない伯爵領を併呑し、確実に侵攻路を確保される可能性を考慮すれば、軍の通行だけなら許可される見通しはそれなりに高い。

 ウェルタン辺りにある国軍と、王冠領以外の王国北西の領主の軍を招集して控えさせていれば、万が一帝国がこちらに牙を剥いても、即座に反撃が可能であり、逆侵攻の大義名分も立つ。そうなれば、あの肥沃な平原を併呑し、第二王国の威勢は北大陸中央部に赫々たるものとして響き渡るだろう。

 まぁ、流石に第二王国がそこまでの皮算用はしないだろうし、帝国とてそのような愚は犯さないはずだ。厳格に、約定通りナベニポリス侵攻に徹すると思う。

 それだけで、第二王国は王冠領に対する強い牽制がかなう。王冠領、ゲラッシ伯爵領は、王国の威令に添う封土なのだ。他の王冠領もまた第二王国の封土であり、これに倣うべきだ、と。

 それでもなお、頑として第二王国が首を縦に振らない可能性はあるだろうが、そうなれば帝国は本当にゲラッシ伯爵領に攻撃を仕掛ける可能性まで出てくる。なんとなれば、それでも海は得られるのだから。

 というのも、第二王国と王冠領との間に確執がある以上、防衛の責任をどちらが担うかで、揉めるのが確実だ。そしてそれでは、どちらに転んでも得られるものは少ないのである。

 戦争には金がかかるし、政争にも金がかかる。帝国に振り回されて、骨折り損のくたびれ儲けになるくらいなら、国内の軍の通行という要求は、必ずしも呑めない要求ではないのである。


 無論、それらの策は、前提条件としてゲラッシ伯爵領の混乱が必須となる。すなわち、このアルタンの町で起こる騒乱の種が芽吹いてこその策という訳だ。


「はぁ……ウンザリだな……」

「全面的に同意するぜ」


 俺がどんよりと吐き捨てれば、レヴンも肩をすくめて嘆息する。国の趨勢だの政治だの、ハッキリ言って面倒極まる。

 なにより、すべてが俺の予想通りで、それがすべて上手く運んだとて、実に危うい話ではないか。


「もしも帝国がナベニポリスとその周辺の自治共同体コムーネを支配したとして、やはりどうやって維持すんだっていう話になるよな? 連中、そこをどうするつもりなんだ? まさかずっと、ゲラッシ伯爵領を通じて繋がりを保つつもりじゃあるまい」

「だから知らねえって。連中、海を手に入れる事しか考えてねえんだろうさ。手に入れたあとの事なんざ、塩と香辛料の効いた飯でも食いながら考えればいいと思ってても、全然不思議じゃねえ。まして、公国群や法国の連中にとっては、そんなのさらに知った事かって話さ」

「公国群にとっては、むしろゴタついてくれた方が嬉しいってか?」


 帝国が南方に意識を取られている間は、北東の自分たちの安全は確保されているのだ。混乱はむしろ願ったりだろう。あるいは、そうなるように工作するかも知れない。

 レヴンは頭の後ろで手を組み、ソファに体を預けるようにして天井を仰ぎ、つまらなさそうに続ける。


「法国だって、別にスティヴァーレ圏を帝国に侵されて嬉しい訳はねえ。ナベニポリスの連中がいなくなったあとなら、ナルフィと連合してナベニポリスを奪い返すくらいはしかねねぇよ。混乱するなら、大喜びで横取りするかもな」

「……あり得そうで笑えてくるぜ……」


 ナルフィ王国なら、法国も安心してナベニポリスを任せられるだろう。はぁ……。嫌になるぜ……。

 とはいえ、すべては推測でしかねえ。陰謀に思いを巡らすのは、俺の職掌でもねえ。そういうのは、国のお偉方の仕事だ。高い税金を取っているんだから、きちんと仕事をして欲しいもんだ。

 俺たちの仕事は、あくまでも町の平和の維持。そしてその為には、この町で混乱を起こさせるわけにはいかないのだ。結果として【扇動者】たちの思惑を挫く事になろうとも。


「ともかく了解だ。今回のハリュー邸侵入に関しては、潜入調査の一環として、俺からなんとか話を付けておこう。表向きは【扇動者】たちの情報を得た功績と、相殺って形にはなるがな」

「お、ありがてぇ。功績と相殺って、具体的にはどういう扱いだ? 報酬までナシか?」

「まさか。それじゃあ今後、頼み事がしづらくなる。功績と相殺ってのは、お貴族様仕様だ」

「なるほど。勲章や名誉はナシと」


 くつくつと笑うレヴンに、俺も皮肉気に口の端を歪める。

 お貴族様や騎士連中なら、そんな無体なと嘆くところだろうが、端からそんなものを期待していない冒険者であれば、実質ただの放免だ。


「……まぁ、それであの姉弟が納得すれば、だがな」

「怖ぇ事言うなよ……チビッちまうぜ……」

「お前が得た情報は、すべて渡す事になるだろう。それで納得してくれれば、まぁ、大丈夫だろう。ダメでも、こっちで交渉はする。一応、俺の依頼で動いてたわけだからな。責任はきちんととってやるぜ」

「ありがてぇ。俺だって、あの姉弟とは敵対したくはねえからよ。特に、あんなモンに囚われたあとじゃあな」

「お、じゃあその話もついでに聞いとこうか。本の中に囚われるって、実際問題どういう状態だったんだ」


 ようやく優先順位の低い話をできる事に安堵しつつ、俺は戸棚から酒とグラスを取り出した。……最近、ストックの減りが早い……。



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