第82話 オニイソメという生物

 ●○●


「なんであそこにモンスターがいるのかと問われれば、こう答えるしかない」

「あの階層からは、我々も本気である、と」


 僕の言葉に次いで、グラが宣言する。顔を合わせて、二人で満面の笑みで笑い合った。

 落とし穴の底に侵入してきた冒険者たちは、一人を残して全員死亡した。その一人もまた、二階層の【不通の廊下コリドーオブスタンダード】の探索を余儀なくされた。

 三階層――というよりも、三階層とこの四階層のフィールドダンジョン予定の地に続く通路――は、言ってしまえば僕らのダンジョンにおけるダンジョンボスの間といえる。当然、オニイソメちゃんもまた、我がダンジョンの階層ボスモンスターである。

 僕らのダンジョンの、一つの区切りとなる目印ともいえるだろう。ここから先は、僕らも自分たちの正体を隠す事よりも、侵入者の排除に全力を尽くす、という意思表示ともいえる。

 いやまぁ、本当に本当の事情を漏らすなら、このオニイソメちゃんもかなり実験的に作ったモンスターだったりする。受肉に関する実験や、繁殖及び増殖の際のDP吸収に関する実験。さらには、水棲モンスターが受肉した際、本当に地上に向かうのか。向かうのなら、どのように適応進化するのか。

 勿論、流石にこんなモンスターを、アルタンの町に解き放つつもりはない。もしも地上に出ようとしたら、最終的には僕らの手で駆除するつもりだ。その為に、オニイソメちゃんには予め、意図的に弱点を作っている。

 本来、ダンジョンがモンスターを作る際に、弱点を作ったりはしない。

 受肉し、ダンジョンに反抗した際にはそちらの方が便利という考えもあるだろうが、それ以上にその弱点を人間に見破られ、防御機構が骨抜きにされる方がデメリットが大きいと考えられているからだ。そもそも、普通のダンジョンは受肉したモンスターなど、さっさとダンジョンの外に排出する。わざわざ弱点を設定する意味は小さい。

 だが、そんな弱点が、我がダンジョンオニイソメちゃんには設定されている。なんて可哀想なのだろう。でも仕方ないよね……。僕らだって、我が家からバイオハザードを起こす危険性は、最小限にしておかなければならないのだ。

 なお、普通のモンスターとて、作り出した際に世界に適合する形で、弱点らしい弱点が生まれる。一般的に虫系モンスターが、温度変化や毒に弱かったりするのはその為だ。


「……しかし……」


 グラが遠くを見るような目をしながら、少しだけ眉根を寄せている。


「本当に海中には、このような生物が存在するのですか?」

「うん。地球でもたしか、二〇〇〇万年前くらいから生きていた化石が見つかっているらしいし、この世界でどんな進化をたどったかはわからないけど、同じような生き物はいるんじゃないかな」


 不確かな記憶だが、モントリオール州だかオンタリオ州だか、とにかくカナダのどこかで、四億年前のデボン紀中期の化石が発見されていたはずだ。それだけ原始的な生物であれば、この世界でも同じような生態のイソメがいる可能性は高いと思う。

 なにせ、人間が四肢を持ち、頭が一つで触角はナシ、尻尾がない姿で二足歩行している世界だ。かなり地球に近いのは間違いないのだから。

 オニイソメは、環形動物門、多毛綱、イソメ目イソメ科の、所謂ゴカイ類なのだが、普段僕が魚の餌にするゴカイなどとは違い、海中における食物連鎖ピラミッドにおいては、結構上位に位置している生物だ。なにせ、捕食されにくく、捕食しやすい生態をしているうえ、クワガタのような立派な顎を、クワガタよりも有効活用して生きているのだから。

 英語名はボビットワームというのだが、これはとある事件が切っ掛けの名付けであり、あまり僕の口からは説明したくない出来事だ。なので、グラにそちらの名前は伝えない。由来について訊ねられたら、ちょっと困る……。

 オニイソメは、その生態的にも非常にダンジョンに近い生き物だといえる。暖かい海の水深十メートルから四〇メートルの海底に、その体のほとんどを潜ませ、五本の触角だけを砂から出して獲物を待つ。その触覚はかなり敏感で、ちょっとした振動を感知して、触れてなくても魚の居場所を察知するんだとか。

 獲物が近付けば、瞬く間にその顎で捕獲して海底の地面へと引きずり込む。また、顎の力も非常に強力であり、本来なら捕えるはずの獲物の胴体を両断してしまい、捕獲に失敗する事もままあるようだ。

 二〇〇九年のイングランド、ニューキーのブルーリーフ水族館では、夜な夜な魚が切り刻まれている怪現象が発生し、飼育員は頭を悩ませていたそうだ。罠を仕掛けても埒が明かず、水槽を解体してみて初めて、オニイソメが潜んでいたという事実が判明した。それくらいオニイソメの顎は強力な咬合力を持っているのである。

 また、体長に関して、観察されている多くは一メートル以下のものばかりだったが、件のブルーリーフ水族館のオニイソメは体長一・二メートル、和歌山県白浜町で捕獲されたオニイソメは、なんと体長が三メートルもあった。寿命が長い個体程体長も長くなるようだが、最大でどれだけの体長になるのかは不明だ。


「ええっと……、ショーン?」

「うん? どうしたの?」


 オニイソメに関するデータを一通り伝えたところで、グラが困惑するような顔で問いかけてきた。僕はそれに、首を傾げつつ応答する。


「なんというか……。これまであなたが披歴した、前世の記憶に紐づく情報より、かなり濃密なデータなのですが……。あなたはこのオニイソメに対して、それだけ愛着というか、詳しく知悉するだけの理由があったのですか?」

「そうかな……?」


 いやまぁ、たしかにリュクルゴスの聖杯やプラチナに関する、通り一遍の知識よりは、漁港の町に住んでいたからか、オニイソメに関する知識は豊富だろう。オニイソメは日本の海にも生息しているしね。

 だが、特別オニイソメに愛着があるわけでもないし、それに詳しくなるような思い出があるわけでもない。あえていうなら、ちょっと奇怪な見た目が好みで、適当に図書館やネットで調べた経験があるだけだ。そこで、あれがゴカイ類であると知って驚いた記憶もある。


「そうだな……。たぶん、単純に好きな事柄に対する記憶だから、きちんと覚えていたんじゃないかな?」

「好き、ですか? それは、愛着があるという意味では?」

「いや、オニイソメという個体に対しては、別に愛着はないよ。ただ、愛着があるとすれば、海洋生物全般かな……」


 そう言ってから、僕はちょっとだけ寂しい思いを噛みしめつつ、オニイソメがいるであろう上階を仰いだ。

 僕が釣りを始めた切っ掛けや、海を好きになった原初の理由は、ある日磯に打ち上げられていた、巨大なリュウグウノツカイだった。海からお化けが上陸してきたと思った僕は、近所のおばさんに泣きついたのだ。そして磯に連れてきた近所のおばさんという勇者によって怪物は討伐され、その日の我が家とその周辺の家々の昼食と夕食には、同じような料理が食卓に並ぶ事となった。

 僕はといえば、あの怪奇な姿がいつまでも目に焼き付き、いつしか深海に魅せられていったのだ。しかも現代では、深海というのは必ずしも未知の領域ではない。ネットを漁れば、様々な深海生物の動画や情報が、いくらでも掘り起こせる。幼い時分の僕は、そんな情報の海に陶酔する毎日を送っていた覚えがある。

 それに関する将来の事でケンカした二番目の姉とは、そのまま生き別れとなったわけだ。いや、死んだのが僕の方なのだから、死に別れか。いまなら、ちい姉の言っていた事も理解できるし、ケンカの原因自体が僕を考えてくれたが故だったとわかるのだが、当時は反発心から口ゲンカになって、そのままだった。

 元々ちい姉は、かなりヤンチャな性格だったのもあって、口が悪かった。そのせいでケンカしたわけだが、せめて仲直りだけはしておけば良かったと、後悔する事しきりである。

 とはいえ、いまさら悔やんだところで、どうなるという話でもない。もし奇跡が起こって地球に帰れる、もしくは家族に言付けが可能な機会というものが巡ってきたとて、僕にそれを活用する気はない。

 僕は既に、化け物の道を歩んでおり、ごく普通の人間である彼らとは、一線を画すべき敵性生物なのだ。人食いの化け物が、彼らに合わす顔など残っているはずがない。


 もしかしたらいまの僕は、生態よりもあの怪奇なオニイソメの姿に、よりシンパシーを感じているのかもしれないな……。



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