第9話 故郷の味
俺にはチンプンカンプンな金と商売の話を延々繰り広げていた会議が、どこかに目途がついたらしく、お開きになった。終わり際、ショーン・ハリューから他言無用の念押しを受けたが、そもそも話の内容は九割九分理解が追い付かず、当然覚えてもいない。
正直にそう言ったら、畑違いなのだから仕方がないと笑ったショーン・ハリューは、すぐに顔を真剣なものに戻して――
「それでも、絶対にいまここで起こった物事については、誰にも教えないでください。うろ覚えの言葉一つ、我々の顔一つ、言の葉にして舌に乗せないと、約束してください」
――と言われて、こくこくと頷かされた。ショーン・ハリューは勿論、その場にいる商人たちの圧力が、もしも首を横に振ったらお前は敵だ、とでも言わんばかりのものだった。この町を代表する商人たちを敵に回すわけにもいかないのだから、唯々諾々と従うのも仕方がない――と、誰にするでもない弁解をしておく。
この件は、グランジにも報告できねぇな……。
帰り道、とある大きな商家の前を通った。以前は賑わっていたのだが、いまは閑古鳥すら鳴かない程に寂れている。なにせ、この町出身の従業員すらも、既にこの商家からは立ち去っているのだから。
どうしてそんな家が目に留まったのかとえいば、俺もまた、このカベラ商業ギルド支部が大嫌いだからだ。あの騒動の渦中、町の住民たちに後ろ足で砂をかけてくれた挙句、さっさととんずらかましたカベラの連中は許せねえ。ショーン・ハリューの前でなければ、表の通りに唾でも吐いていたかも知れない。
ショーン・ハリューと執事もまた、俺と同じようにカベラ商業ギルド支部を眺めていた。ショーンの方はどこか悪戯っぽく、執事の方はなにやら深刻そう顔だった。
「いらっしゃーい。あ、ラベさん、お久ぁ。今日はお連れさんもいるのね!」
寂れたカベラの施設の前を去ったところで、いい時間だった事もあって、俺たちは近くにあった食堂へと足を踏み入れた。ショーン・ハリューに言われて、俺の馴染みの店を紹介させられたので、彼には似合わない庶民的な店だ。店内には顔馴染みもいるし、店員も慣れた相手だ。
「ああ、久しぶりだなチェルシー。ランチ、四人前頼めるか。ついでになにか、高くてもいいから、付け合わせも頼む」
「アハハハ。なぁに? 子供の前だからって、見栄張ってんの? ま、ウチは商売になるなら、なんでもいいけどねぇ。じゃ、あそこの席に座って待ってて!」
そう言って、チェルシーは店の奥に注文を伝えに行った。姦しい知り合いに、少し赤面しつつも、俺は指定された席へとショーン・ハリューご一行を案内する。ここは、ちょっと贅沢したいときに訪れる店なので、田舎に引っ込む為に節約していた最近はご無沙汰だった。
値段の分、味もしっかりしているので、ショーン・ハリューに紹介しても問題ないだろう。いや、どうだろうな。あんなお屋敷に住んでいる彼にとっては、俺には贅沢に思えるここの食事も、ただ安いだけのマズい飯なのかも知れない。
「本日、外でこなしておくべき予定は、さっきので消化し終えました。商人たちが、あまり我を通そうとしなかったおかげで、スムーズに話が済んで良かったです」
晴れやかな顔で、そう報告してくるショーン・ハリューに、俺も頷きつつ了承の答えを返す。
俺からすれば、十二分に紛糾していたように思えたのだが、ショーン・ハリューからすれば、あれでも大人しかった方らしい。そうれはどうやら、執事も同意見だったようで、しきりに主人の言葉に頷いてから、口を開いた。
「まったくだ。まぁ、たぶん、旦那がいなけりゃ、もっと欲の皮突っ張った連中の本性が露呈してただろうぜ。その点では、今日は俺だけに任されずに安心したよ。その分、これからが思いやられるがな……」
主従を感じさせない砕けた口調に、俺は一瞬面くらった。それは隣の執事見習も同じだったようで、そのあどけない顔に驚きの表情を浮かべている。そんな少年に、執事のジーガという男は、教え諭すように宣う。
「いいか、ディエゴ。こういう場所で、普段通りの会話をすると、旦那の身分が周囲に知れ渡っちまう惧れがある。そうなりゃ、色々なトラブルが舞い込んできちまう。だから、その場に合わせて態度を変えて、周囲に馴染む努力をしなけりゃなんねえ。もしも金目当てのゴロツキなんかが襲ってきたら、俺たちにゃ、どうにもできねえんだからな」
「な、なるほど。たしかに、主人のご迷惑になりかねませんもんね! が、頑張ります!」
などともっともらしい事を言っているが、そんな上等なおべべを身に纏っておいて、いまさらなんの冗談かと。単に、肩肘張って喋るのに、疲れただけじゃないかと思ってしまう。俺だって、堅苦しい喋りは苦手なんだがな……。
執事見習いの子供は、あっさりと騙されて気合を入れ直している。俺は、特になにも言わなかったが、執事の男にジト目を向けていた。
「で? このあとはどうすんだ、旦那? スラムに仮設した鶏舎の確認だの、ウル・ロッドとの調整だの、空いた分に入れられる予定は山積みだが?」
「うーん……。鶏舎はちょっと見ておきたいかな。騒音や臭いの問題も、実際に体験しなければ、どの程度の問題なのかわからないしね」
「了解。ウル・ロッドとの調整はどうする?」
「相手は誰が対応できるの? デルモンドさん?」
「いや、たぶん今日はストルイケンだろう。あまり旦那にいい感情を抱いてはいねえが、仕事はきちんとするから、報告を聞くくらいならできるだろうぜ」
「うーん……。わざわざ、取引先の嫌いな重役を相手にさせて、仕事の能率を下げるのもなぁ……。報告については、あとでジーガが受けておいてくれる?」
「了解。そこまで気を遣わんでも、いいと思うがね」
「僕だって、別に気を遣っているわけじゃないさ。僕を嫌いな相手に、僕だってわざわざ会いたくないってだけだよ」
「はいはい」
肩をすくめて苦笑する執事。この町で、これだけショーン・ハリューに対して気安く接する人間を、俺は他に知らない。なんというか、飛竜を使役している竜騎士に抱くような尊敬の念を、彼にも向けてしまう自分がいる。彼に対してもショーン・ハリューに対しても、それは失礼な話なのだろうが……。
「おまたせー。今日のランチは、カンジ貝とラムール貝のヴォンゴレ・ロッソと、タルパスの日干しと山菜と茸の和え物。ご注文の付け合わせは、今日はダクンパ鳥が入っているから、そのロースト! 美味しいから、覚悟して食べなさい!」
この食堂の看板娘たるチェルシーが、自信満々の笑みで運んできたのは、小さな器に盛られた、鮮やかな緑色の山菜と白い茸とオレンジ色の根菜が鮮やかな、日干し魚の和え物。主菜は、皿に盛られた大量のパスタだった。鮮やかに赤く色付いたパスタには、たっぷりと貝が使われており、食欲を煽る暴力的な香りがここまで届く。
「よりにもよって、干物尽くしの日か……」
だが、そのラインナップに、少しだけ俺は肩を落としてしまう。
「なに? ウチの父さんの料理に、なんか文句あるっての? 嫌なら食べなくて結構なんだけど?」
途端、愛想のいい笑顔を浮かべていたチェルシーの顔が険しくなり、棘のある口調で言い捨てられる。俺としては、ここの料理に文句を付けるつもりはなかったので、慌てて弁解する。
「いや、文句はねえよ! ただ、こんな山がちな場所だってのに、この町の食堂はどこも魚や貝だらけ。しかも、生ものを調理したんじゃなく干物や燻製だ」
「仕方ないじゃない。お肉は猟師が山で狩ってくるか、サイタン方面から山を越えて輸入するかしかないんだから。それよりも、ウェルタンやウワタンで獲れた魚の方が、安上がりなのよ!」
「しかしだからって、干物や燻製みたいな、保存食ばっかりだとなぁ……」
「生の魚介類なんて、運んでいる内に腐るわよ!」
「まぁ、それはそうなんだけどよ……」
ヴォンゴレ・ロッソに使われている貝も、干物を使ったのだろう。どれ一つ、貝殻が付いていない。このアルタンの町において、魚介の干物は低所得層にとってはありがたい食卓の味方だ。旨味が詰まっていて、塩や香草の類をそれ程使わずとも、十分に美味い料理になる材料だからだ。
だがその分、どうしても魚介の干物を使った料理というのは、安っぽいイメージが付いてしまう。あとは油漬けや、塩漬けもあるが、やはり安物のイメージが強い。それでも、干物よりはマシだが。
俺の中にも、そういう意識はある。せめて、草原でウサギでも狩ってくれば、それをだしてもらえたのだろうか……。
昨夜の晩餐や今朝の朝食を思い出して、どこか引け目を感じてしまう俺は、恐る恐るショーン・ハリューを盗み見た。あまりにも安っぽい飯で、ガッカリしているんじゃないかと。
「はぁぁぁ……」
予想に反して、ショーン・ハリューは貝を噛みしめながら、恍惚の表情を浮かべていた。
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