第8話 悪魔は商人たちと握手する
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しばらく現場視察に時間を費やしたショーン・ハリューは、次に奴隷商の元を訪れていた。ここは、かつて奴隷の質では町一番であり、アーベンがいなくなったいま、規模でも最大になったブルネン商会だ。
しかも、そこにいたのはブルネン商会の者だけではなかった。娼婦や男娼なんかを主に扱うイシュマリア商会に加え、この町では一番影響力のあるスィーバ商会、その他何人かの商人たちが、ブルネン商会の品のある応接室に集っていた。事前に招集されていたのだろう。
「やぁやぁ、お待たせしてしまったようで申し訳ない」
「これはこれは、ショーン様。お久しぶりでございますねぇ」
「やぁ、ケチルさん。お久しぶりです」
真っ先に前に出てきたのは、この町でも指折りの大商会のスィーバ商会の会頭だった。そんな大人物が、まるで阿るようにヘコヘコとショーン・ハリューに頭を下げているのを見て、やはり敬称は『様』に戻そうと決めた。
「いやぁ、以前お会いした際に、きっと大事を成す方だと確信しておりましたが、よもやこの短期間でダンジョンの主を討伐し、上級冒険者になられるとは。己の物差しのなんと小さな事かと、恥じ入るばかりでございます。それにも増して、ショーン様がご領主様に献上なされた、かの至宝! なんとも摩訶不思議な代物なれど、【魔術】の類ではない。ご領主様も大層お気に召され、次回登城される機会には、必ずや国王陛下に献上されるとの事ですよぉ」
「それはそれは。こちらとしても、あれに箔が付きそうで、嬉しく思いますよ」
すげぇな。ごく自然に、ご領主様だの国王陛下だのが、話に入ってくる。思っていたよりも、ショーン・ハリューの人脈は広いのかも知れない。
にしても、至宝というのは、あの杖の事だろうか。いま、界隈で少し有名になりつつあるあの杖、献上しちまったのか?
「スィーバさん、スィーバさん。そうハリュー様を独占されては困りますぞ。私どもにも、ご挨拶の機会をくださいな」
「そうですぞ。我々もまた、件の事業に携わるのですからな」
「おお、これはこれは申し訳ない! ショーン様との会話に興が乗るあまり、皆々様方を失念してしまうとは! このケチル、一生の不覚ですぞ!」
「ハハハ。まぁまぁ、皆さん噂のショーン様と、是非とも顔を繋ぎたくて、気が急いているだけですから。スィーバさんも皆さんも、少し落ち着かれては?」
商人連中が和やかに、だが目だけはギラギラと強い意思を宿したままに会話を交わしている。それだけ、ショーン・ハリューという人材と、良好な関係を築きたいのだろう。
幾人もの商人たちが、代わる代わるショーン・ハリューに挨拶をしては、丁寧に今後も付き合いを続けて欲しいと願い、事業への協力を約束している。この光景だけで、ショーン・ハリューがただの冒険者ではないのは明白だった。
本当に、こんな大人物に、俺が教える事なんてあるのだろうか……?
「あ、どうもイシュマリア商会の……」
「アマーリアですわ」
そうこうしていたら、あのイシュマリア商会のマダムもまた、ショーン・ハリューに挨拶をしている。今回の依頼におけるグランジからの報酬の一つは、イシュマリアへの口利きだ。だが、いくらグランジといっても、引退目前の五級冒険者の後ろ盾になるというのは、それなりに苦労するはずだ。
せめてここで、マダムに悪印象を持たれないよう、気を付けねば。
「あら? そちらは覚えのある方ですね? たしか、レタの常連さんだったかしら……?」
「は、はい!」
ついつい、緊張から声が上ずってしまった……。いい歳こいて、恥ずかしい……。
品のある声音と、ごく自然に科を作る仕草が、流石はあのイシュマリアのマダムだといえる程に艶めかしい。別に彼女自身、娼婦や踊り子だったわけではなく、親の遺産であるイシュマリア商会を切り盛りしている。入り婿の旦那は、完全に尻に敷かれてるんだとか。
だが、やはりその商人としての手腕は、並外れたものがあるのだろう。
レタは別に一晩で金貨が飛んでいくような、高級娼婦ってワケじゃねえ。
勿論、イシュマリアの商品ともなれば、そこらの安女郎のように銅貨で身を売るような事はない。その分病気の心配も少ないので、下手な娼館を訪ねるよりも安全だが、当然その分割高にはなる。
そんな、高級志向のイシュマリアの中では、下から数えた方が早いであろう娼婦のレタを覚えているばかりか、彼女のご贔屓まで覚えているというのは、流石に予想外だった。
「ラベージさん、アマーリアさんとお知り合いですか?」
純朴そうな顔でそう問われ、正直どうしようかと悩む。いかに【白昼夢の悪魔】と恐れられるショーン・ハリューとて、中身は
だが、そんな俺たちの様子を見てなにかを察したらしいショーン・ハリューは、訳知り顔で頷いた。
「ああ、これは失礼。あまり踏み込んで聞くべきではありませんでしたね」
やめてくれ……。そんな優し気な顔で微笑まれると、逆に居たたまれない……。
ショーン・ハリューはどうやら、その辺りの知識にも明るいらしい。イシュマリアの顧客という事で、色々と察したようだった……。
「あらあら」
そんな俺たちの様子を、手の甲で口元を隠しながら、艶っぽく笑ってみせるマダム。イシュマリア商会の実質トップというだけでそういう目で見てしまうというのもあるのだろうが、それだけではなく、自身の存在で商品の品質の確かさをもアピールしているのだろう。その姿は、品がいいのにどこか扇情的で、実に男心をくすぐられる。貞淑な貴婦人の品位と、どんな男でも手玉に取ってしまいそうな妖艶さが、互いの性質を邪魔せずに共存している女性。そのあまりにもあり得ない存在に、ただただ圧倒されてしまう。
彼女と会話しているだけで、今夜はイシュマリアの置屋に向かいたくなるが、いまはショーン・ハリューの厄介になっているのだと思い出して、頭を振った。でも、レタを身請けするなら、いずれ話しにいかなければ。
「それにしても、ジブラス商会さんのお顔がないようですけれども、今回の一件、あちら様にはお伝えしておりませんの?」
一頻り笑ったアマーリアが、顔を赤くして小さくなっている俺の姿が不憫になったのか、まったく違う話題に移行した。ただ、俺もまた、その点は気になっていたのだ。いま現在、この町で有力な奴隷商は、ここブルネン商会とマダムのイシュマリア商会に加えて、もう一つ。それが、ジブラス商会だ。
「いえいえ、きちんとお伝えしましたよ? ですがどうやら、危ない橋は渡りたくないご様子で、協力はお断りされてしまいました」
「まぁ! ジブラス商会さんも、耄碌しましたわねぇ。こんな美味しい話に食いつかない理由が、リスクだなんて。おほほほ」
「まぁ、ジブラス商会は、奴隷問題に関してはほぼ解決しておりましたからね」
「それもそうですわね。無理に計画に関わらず、現状維持を選んだという事ですわね。消極的ではありますが、現状が上手くいっているなら、間違いというわけでもないのでしょう。羨ましい事……」
ちっともそう思っていないような口調で、どこか嘲るように吐き捨てるマダム。どうやら彼女にとって、ジブラス商会というのは、商機を逸した愚か者らしい。それだけ、彼女の中でこの計画は上手くいくという確信があるらしい。
まぁ、商売の事なんざまったくわからない俺にとっては、なにがどう上手くいくんだか、さっぱりだがな。
「さぁさ、皆様ご挨拶はこの辺で。ここからは、我々商人らしく、商売のお話と参りましょう!」
「待っていましたとも!」
「そうですわねぇ」
「奴隷たちが不遇に扱われる事のないよう、が、頑張ります!」
商人たちが意気込み、ショーン・ハリューもまた嬉しそうに笑みを作る。その隣の執事もまた――いや、彼はショーン以上に楽しそうであった。
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