第133話 弟を理解する為の努力

 ●○●


 夜。僕らは地下に戻り、その日の作業を終えると、二人でベッドに入った。これは最近の日課であり、グラから言い出した習慣だった。睡眠が不要なグラは本来、ベッドに入る事がない。


「それでは、あなたのについて、聞かせてください。昨夜は義務教育及び高等教育という概念について教えてもらいました。非常に興味深い話でしたが、いささか本題から外れた感は否めません」

「まぁ、そうだよね……」


 この話し合いというか、一方的に僕が話す状況は、グラが僕を理解する為にと、設けられた場らしい。僕としても、改めて人間だった自分を見つめ直すいい機会だと、いろいろと話している。


「じゃあ、僕――針生紹運の家族構成のおさらいね?」

「はい。父、母、姉が二人、特殊な事情で祖父母の養子に入った妹が一人、でしたね」

「うん。そう」

「父、針生豊晴とよはるが漁師で、母、針生琴子ことこが音楽家、でしたか。そして、一番上の姉、千子ちこが既に独り立ちしており、カイシャインとやらを務めている、と」

「そうだね」


 そして二番目の姉が成美なるみで、大学生だった。ちなみに、僕の紹運とこの成美を命名したのは母で、千子と妹の寿ひさを命名したのが父になる。僕の名前の由来が高橋たかはし紹運じょううんであるのと同様、成美の命名の由来は伊達だて成美しげざねである。

 ちなみに、高橋紹運は忠勇無比の武将であった為に了承され、伊達成美も特に悪い逸話とかが残ってなかったから了承されたが、流石に女児にまで戦国武将由来の名付けをした事で、どうやら母方の祖父母と母との間に一波乱あったらしい。祖父母は、そもそも戦国武将に由来する名付けそのものに不満があったようだ。

 幸か不幸か、そのせいで妹は父の古すぎるセンスで名付けられてしまったようだ。まぁ、ネーミングセンスに関しては、僕も人の事は言えないのでノーコメント。

 いくら歴女といったって、子供に戦国武将由来の名付けをするっていうのは、現代的ではないよな。僕としては不満はないが、流石に高橋紹運のような知勇兼備の名将が由来というのは、いささか以上に重荷だった。ちい姉は、女性でありながら僕と同じ業を背負っていた訳で、それなりに思う所があっただろう……。だからあんな性格に育ったのだろうか……?


「ショーン?」

「うん? ああ、ごめんごめん」


 ついついもの思いに耽って、口が止まってしまっていた。どこまで話したっけ……。


「あなたの父母が、年に四、五回程度しか逢瀬がないにも関わらず、非常に仲睦まじい間柄であったという所までです」

「ああ、そうだった。いや、ちょっと違うな。母はたしかに、年に四、五回程度しか帰国しなかったが、父は年に数回は母のコンサートに通って、逢瀬を重ねていたらしい。一度、僕がそのチケットを破いてしまって、海のど真ん中の小島に置き去りにされた事があった」


 年に四、五回しか会えなかったのは、僕ら子供たちだけだ。まぁ、母が海外の管弦楽団に所属してから僕と妹が生まれている以上、そしてそこが寄る辺のない海外である以上、子供を連れていくわけにはいかなかったんだろうけれど……。


「それは許せませんね! いくら父といっても、やっていい事と悪い事があるでしょう!!」


 僕への仕打ちに憤るグラ。そんな姉に、僕は苦笑を返す。

 たしかに児童虐待じみているよなぁ……。ただ、あの町では昔から、いたずらをした子供はそうやってお仕置きしてきたらしい。また、その小島自体が、地域の民間信仰のようなもので、海神わだつみおはす島と考えられており、ある意味では七五三のような、神様に自分の子の顔見世をする、程度の捉え方だったらしい。

 まぁ、僕も現代っ子であり、そういう神事に疎かったので、詳しくは聞いていない。これでも、良く知っている方だと思うが、それは妹がそういうものに非常に傾倒していたからだ。

 まぁ、どれだけグラが憤っても、もう会えないんだから、許すも許さないもないんだけれどね……。

 僕は話題を変えるつもりで、未練を語り出す。


「実はさ、僕が死ぬ前、下の姉とケンカしたんだ。で、仲直りできず終いで、死んじゃった。それが、まぁ、なんていうか、一番大きな心残りかなぁ……。いやまぁ、早世しちゃった以上、心残りなんて数えきれない程あるけれどさ……」

「…………」


 同じ姉という立場だからだろう。グラは深刻な表情で、下唇を噛んだ。僕とグラが仲違いをし、死別するような状況を考えたのだろう。その表情は、僕からはくしゃくしゃに歪んでいくように見えた。まぁ、僕以外には多少表情が険しくなった程度にしか認識しないだろうけど。僕じゃなかったら見逃しちゃうね。


「僕はさ、大学とか行かずに父の跡を継いで漁師になるつもりだったんだ」

「漁師ですか……? その、なんというか、その……、あまりあなたには似合わないような仕事に思えるのですが……。いえ、別にあなたの父の職を軽んじているわけではないのですが……、その、気質的に……」


 必死に言葉を選ぼうとしているグラに、苦笑する。まぁ、たしかに僕も、自分が海の男の気質を持ち合わせていないって点は自覚している。それは、どちらかといえばちい姉の方が、父の気質を色濃く受け継いでいた。

 僕や妹、いま思えば一番上の千子姉は、かなり母の気質を受け継いでいた。一つの物事に偏執的な興味を抱き、脇目も振らずそれに没頭する。まぁ、僕と千子姉はそれでも、母や妹よりはまだマシだったが。


「僕はさ、それでも特殊小型や二級小型の船舶免許は取ったあとだったし、一級小型の勉強も始めてた」


 一級小型は、取得条件が満十八歳以上だったから、死亡時は取得できなかったんだよね。


「そんなときに、ちい姉が父の跡は自分が継いで漁師になるから、お前は大学に行けって言い出したんだよね。こっちだって、高校生なりに人生設計をして、免許まで取っていたのに、いきなりそんな事言われたらカチンとくるじゃん?」

「まぁ、そうなのかも知れません……」


 あまりピンときていないのか、グラは曖昧に頷いた。まぁ、この世界に生まれた彼女に、船舶免許だの大学だのと言われたって、なにがなんだかわからないよね。


「まぁ、いま思えばちい姉もさ、グラと同じように僕に漁師としての気質がないと思っただろうね。僕の興味は、海は海でも海洋研究、特に深海生物に向いていた。だから、僕をそっちの分野に進めようとしたんだと思う」

「なるほど。わからないでもありませんね。あなたの気質を思えば、研究者、学者の方がしっくりくる進路でしょう」

「まぁ、いまなら僕もそう思えるよ。ただ当時はねぇ、自分勝手に進路を決めて、僕の進路を閉ざすようなやり方に、かなりムカついてね。それで大ゲンカ」


 親父の跡を継ぐといったって、漁船は一隻しかないし、その他の道具だって分け合うわけにもいかない。なにより、ちい姉は船舶免許すら取得していない状況で、自分勝手に物事を進めようとしたのだ。それが横柄に思えても仕方がないと、いまでも思う。とはいえ、姉は姉なりに、僕の気質が母に近いものであると察し、僕の好きな道に進めようと思ったのだろう。少なくとも、大学にも行かずに漁師にするべきではない、と。

 たしかに、海洋系の大学で海について勉強してみたいという思いはあったし、海洋研究というものにはこの上ない魅力を感じていた。だが、だからといって、ただの趣味の為にねだるには、大学費用は安くはないし、時間というものも無限ではない。

 たしかに、海洋研究者という将来には、惹かれるものがあった。だが、それはあくまでも夢だ。夢を叶える為には、血反吐を吐くような努力が必要だ。夢を叶えた成功者である母が、常々言っていた。


「夢を実現させるには、その過程のどこかで、夢を現実に落とし込まなければならない。それはどんな分野であれ、つらく、苦しいものだ……」


 実際、千子姉はかなりのめり込んでいた鉱石の分野からは少し離れた職に就いた。夢は夢のままに、趣味の範囲でやっていくつもりだったのだろう。逆に、夢を現実に落とし込む為に、妹は祖父母の養子となった。当時はまだ小学生だったのに、だ。

 母とて、いまの立場を得る為には、並々ならぬ努力を経て、様々なものを犠牲にしてきたのだ。なにより、あれだけ子煩悩な母が、年に四、五回程度しか我が子の顔を見れないのだ。周りから白眼視される事もあっただろうし、親戚から育児放棄だと叱られているところも目にした事もある。

 僕は、己の興味に対して、それだけの覚悟を決められず、千子姉と同じ道を行こうとしたのだ。流石に、母や妹のように、なにもかもを捨ててまで、そちらに専心できるとは、思えなかったのだ。

 いやまぁ、いま思い返してみれば、別に海洋研究者を目指すからといって、なにもかもかなぐり捨てる必要はなかったんだよね。そこは母や妹の状況と、自分の立場を重ね過ぎたきらいはある。


「なるほど……」


 一連の流れを聞いて、グラはポツリとそうこぼしてから、僕の頭を抱きしめた。代謝のない彼女の体からは、布の匂いしかしない。それでも、どこか懐かしい香りがしたような気がした。


「あなたの前世の環境を十全に理解したとはいえませんし、あなたの姉である成美のやり方にも、賛同はできません。ただ、その思いは痛い程理解します。私は、あなたの道を閉ざしたくはないですが、その分あなたがやりたくもない道に進もうとしたら、それを阻みたくも思います」

「ハハハ……。別に漁師がやりたくなかったわけじゃないんだよ?」


 親父の仕事を尊敬していたし、完全に海から離れた仕事というわけでもない。網に深海魚がかかる事もままあるし、独学で調べていく事は難しくない環境だった。まぁ、専門の知識を修得する機会がない為、成果は挙げられなかっただろうが。

 姉弟の内男手は自分だけで、漠然と、あるいは漫然と、父の跡を継ぐのは自分なのだろうと考えていたのが、姉の言葉で頓挫してしまった。それに動揺し、ケンカになってしまったというだけの、割とつまらない話だ。


「仲直りは、できたんだろうなぁ……」

「……してあげて欲しかったですね……」


 僕の呟きに、非常に珍しい事に、グラがそんな言葉を零した。いかに僕の家族であろうと、人間相手に彼女がそんな事を言うとは思わなかったのだ。だが、同じ僕の姉という立場に、思う所があったのだろう。

 それからも、僕の前世に関して、グラに教えていくが、身の上話をしていたら、瞼が重くなってくる。いつしか僕の意識は薄れ、依代は休息に入る。


 結局、自分を見つめ直し、挫折から立ち直る役には、立たなかったな……。



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