幕間 とある執事の受難・1

「はぁぁぁああああああああ……」


 地獄の底から轟くような、ため息を吐いて俺は歩く。一張羅に身を包み、目的地へと向かう俺は、しかし格好とは裏腹に心底浮かない気分だった。

 なんせ、これから向かう先はこの町最大のマフィアの本拠。そこでは、歓迎の為に東奔西走しているヤツらの構成員がいるだろう。だというのに、彼らの本来の招待客は俺ではないときたもんだ。

 これで気が重くならないわけがない。

 今日は執事見習のディエゴは、連れてこなかった。場合によっちゃ、情けない姿を見せる事になりかねない。それもまた執事には必要な事だが、そんな世知辛さを学ぶのは、まだ早いだろう。


「そう不景気な顔をするものではないですよ、ジーガ。謝罪に赴いた者が沈んでいると、謝罪を受ける側もまた気が滅入るというもの。誠意ある態度は必要ですが、過剰に落ち込むのもまた、相手に失礼です」


 その代わり、家令のザカリーがいる。執事と家令の二人で赴く事で、土壇場で予定を変えた主の代理として、謝意を示しているわけだ。

 だが、どう考えたって、家中の統率と維持管理を任されている家令と、渉外、資産運用、人脈形成を任せられている執事とでは、この場合責任の度合いが違うのだ。別に執事の方が家令よりも偉いというわけではない。これは対外交渉に失敗した場合の、責任の違いなのだ。


「はぁぁぁああああああ……」


 もう一度盛大にため息を吐いてから、俺は気を取り直してウル・ロッドの本拠地に向かう。頼むから、普通に頭を下げる程度で許して欲しいもんだ。


 ●○●


 スラムの少し外れにある、俺たちの主人のものよりもはるかに大きな屋敷の前で、俺たちは訪問の用向きを門番に伝えた。屋敷こそ貴族のもののような有り様だが、残念ながら人材まではカバーできていないようで、門番は俺たちが目的のハリュー姉弟でない事に、あからさまな不快感を滲ませていた。

 客に向けて顔をしかめるなんざ、こいつがウチの使用人だったら、ザカリーにみっちり説教食らっていたところだ。俺だっていまだに、頭が上がらない相手なのだ。まぁ、体面もあるので、俺の場合は人に見られないところで注意してくれるのだが。


「どうぞ……」


 そんな、使用人としては落第点な男に案内され、応接室に通される。そこには、二人の男女に加えて、壁際にも数人のむくつけき男どもが並んでいた。恐らく、あの二人がウル・ロッドファミリーの親分、姉のウルと弟のロッドなのだろう。

 部屋に通されて真っ先に、ザカリーが頭を下げる。それに合わせて、俺もまた同様に頭を下げた。


「本日はお招きに預かり、誠にありがとうございます。またやんごとなき事情により、主人が急遽参れなくなり、我々が代理として参上仕りましたる事、平にご容赦願いたく存じます。主人、ショーン・ハリューに代わり、ハリュー家家令のこのザカリーと、執事のジーガが謝罪をさせていただきたく存じます。主人からは、状況が落ち着き次第、改めてご訪問したいという旨を伝えて欲しいと言付かっております」


 ハキハキと、後ろめたさや卑屈さを感じさせない声音で述べるザカリー。もう、こいつに全部任せてもいいんじゃないかという気にもなるが、そうなれば俺はお役御免。また、あのゴミのような浮浪者生活に逆戻りだ。それだけは、なんとしても回避しなければならない。


「まぁ、事情は使いから聞いてるよ。アタイとしても、町にとっての緊急事態だって言われちゃあ弱いところがある」


 ウル・ロッドの片割れ、三十代と思しき嫣然とした女が、ソファに腰掛けたままで語り掛けてくる。声音こそ優しげだが、その言葉の奥で虎視眈々と涎を垂らしている雰囲気が、ありありと窺える。


「ご理解を賜れたようで、安堵いたしました」

「だがねぇ……」


 その含意に気付かなかったザカリーが、早くも胸襟を開いてしまった。まぁ、これは仕方がない。どこかで、渉外担当の俺がイニシアチブを取らなければならない。


「こっちとしても、あんたらの主の歓待には、それなりの用意をしていた。それを、ただ手紙一枚、使い二人ですまそうってのは、なかなかの態度じゃないかい? たしかにアタイらは手打ちした間柄ではあるが、だからって舐められたっていいとまでは思っちゃいない。このドタキャンに対して、そちらの誠意ってもんをきちんと見せてもらわない事には、こっちとしても下のモンに示しがつかないわけさ」

「それは……」


 言い淀むザカリー。仕方がないだろう。彼はウル・ロッドと交渉するにあたり、手札を渡されていない。それを渡されているのは俺なのだ。

 だからすかさず、俺はマフィアの女親分に応答する。


「それに関しては、主からお詫びの品と、今後の計画に対して便宜を図るようにとの言葉を預かっています。それと、主とその姉君は宝飾に造詣が深い職人でもありますので、ウル様のご要望に沿う装飾品を一品、是非とも贈りたいとの事でした」

「たった一品だぁ!? 舐めてんのか、てめぇコラぁ!?」


 壁際の一人が声を荒げるが、俺はそんな男ににっこりと笑いかける。


「我らが主は、その気難しさから月に決まった数の装飾品しか作りません。以前、スィーバ商会の会頭が、ライバルであるカベラ商業ギルドに頭を下げてまで、ご領主様のご細君とお嬢様の為にアクセサリーを作らせようとしました。ですが主人は、あっさりと首を横に振った程です」


 俺は事実を、できるだけ誤解を含む形で、彼とその周囲にいる人間たちに伝える。なんだかんだ要領のいい旦那であれば、相手が領主の妻と娘だとわかっていたなら、たぶん【鉄幻爪】シリーズを用意しただろう。スィーバ商会のケチルを通して、王家に対する献上品を渡したのも、そういう意図があっての事だ。

 スィーバに恥をかかせたい、それでも要望を聞き入れたという形は取りたいという、カベラ商業ギルドの思惑があって、その事がこちらにまで伝わっていなかった為にそういう結末に至ったわけだ。

 だが、聞き手にそこまでの事情が伝わるわけもない。領主夫人や、この町では名の知れたスィーバ商会、この国においては手広く商売をしているカベラ商業ギルドの顔、すべてを潰しても構わないと思っている程の職人気質だと、誤解してくれれば問題はない。なにより、誰より、旦那の気難しさを痛感しているのは、目の前の連中なのだ。


「第一、主人は本来、職人ではなく研究者。宝飾の作成にそこまで時間はかけられないと、普段より口にしております。それでも、今回ご迷惑をおかけしたウル・ロッドの母親分の為ならばと、一肌脱ぐ事を決めました。勿論、それで恩を着せようなどと思っているわけではございませんが、だからといって何品も求められれば、それこそ主人との関係を危うくする行為かと愚考いたします」


 そうなって困るのはそちらだろう? と言外に告げる。勿論、威圧的にならないように細心の注意は払うが、だからといって際限なくたかってくるのは許さないという、毅然さをもって。


「まぁ、こっちとしても、詫びの品にケチをつけるような、みっともない真似はしたくないさ。そっちがきちんと誠意示してくれるってぇなら、問題はない」

「ご理解賜り、重畳でございます」


 ひとまず、旦那が不参加である点の詫びは、これでいいだろう。彼らに渡す詫びの品だって、相当なものだ。アレをだされて、誠意が足りないなどとは、口が裂けても言えまい。

 このあとさらに、カベラ乗っ取り計画についても話を詰めなければならないと思い、でそうになったため息を、カラカラになった口内のからかき集めた唾と共に呑み込んだ。

 あー……、喉乾くぜ……。



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