第68話 奇妙なご主人様(1)

 最近、この辺りには奇妙な子供が出没する。


 初めて現れたのは、三ヶ月前。誰がどう見てもカモだった子供は、いまやこのスラムで最も有名なアンタッチャブルだ。

 ウル・ロッドファミリーがたった一人の魔術師のガキに敗北したという噂話は、瞬く間にスラムを抜けて、このアルタンの町中に知れ渡った。


 七〇〇人以上のウル・ロッドの襲撃を、なんとその子供は誰の助けも借りず、退けてみせたのだ。驚愕の事実だが、件の子供が凄腕の魔術師で、地下は彼の工房だと聞かされれば、それも納得できない話じゃない。

 魔術師の拠点に無策で突っ込むなど、飛んで火に入る夏の虫も同然だ。凄腕ともなれば、なおさらの事だ。まぁ、見るからにただの子供が、それ程の魔術師であるという点は、驚くべき事だが。


 そうと知りつつウル・ロッドと子供を食い合わせようとしたのが、スラムでも忌み嫌われていた奴隷商のアーベンだ。それまでは、ウル・ロッドとアーベンは、スラムでも並び称される程の存在だった。関係も、別段悪かったわけではない。

 だが、ウル・ロッドは凶剣のジズや懐刃かいじんのフバといった幹部候補や、冒険者崩れの荒くれ者を幾人も失っている。

 それに対して、アーベンにはほとんど損害らしい損害がなかった。アーベンは、この機にガキを使ってウル・ロッドを弱体化させ、アルタンの町の裏社会を一手に牛耳ろうと目論んだわけだ。

 その事実を知ったウル・ロッドは、子供の拠点にアーベンの奴隷兵を全員突っ込むと、即座に矛先をアーベンに変え、ヤツの商館を取り囲んだ。

 アーベンも戦闘部隊を抱えてはいたものの、奴隷兵を抜いた五〇〇人ものウル・ロッドの兵隊に囲まれては、他勢に無勢。なんとか手打ちにできないかと交渉を試みたが、ウル・ロッドは一切の没交渉だったそうだ。

 これは仕方がない話だろう。たった一人の子供に敗北したウル・ロッドは、これ以上周囲に弱味を見せられなかったのだ。

 結果、アーベンは首を刎ねられ、彼の家族は町を追われた。さらに商館は打ち壊され、財貨や商品はウル・ロッドに引き取られたうえで、人攫いに攫われた奴隷は解放された。


 そして当然、子供の拠点に送り込まれた百人以上の奴隷兵は、誰一人として戻ってはこなかった。


 一連の事件で、誰もが件の子供の異常性を認識した。なかには、ウル・ロッドが名を落としたのを機に、彼らに成り代わろうと、その拠点に百人以上で襲撃をかけたマフィアもあった。ウル・ロッドが失敗したヤマを、自分たちならこなせると証明し、求心力を高めようと目論んだのだ。

 だが、そのマフィアは頭と幹部、それとわずかばかりの手下三十余名を残して、壊滅というよりはほぼ全滅した。

 手下だけを死なせて、おめおめと生き残ったその連中の末路は、惨めなものだった。一時はそれなりに幅を利かせていたマフィアの頭と幹部が、スラムの誰からも目を背けられる鼻摘まみ者になったのだ。

 いっそ、ウル・ロッドが報復の名目で捕らえて始末すれば、まだマシな最期を辿れただろう。一人また一人と物乞いまで落ち、恨みを持つ者らに袋叩きにされて死んでいった。いまは何人生き残っているものか……。

 あるいは、そうやって見せしめにする事こそが、ウル・ロッドの目的だったのかも知れない。そう思える程に、現在のスラムにおけるウル・ロッドの名声は高い。

 アーベンを始末し、その後も徹底して人攫い狩りをした結果、いまのスラムは人攫いに怯える必要がなくなった。ウル・ロッドが解放した者やその仲間、その話を聞いた者なんかは、ウル・ロッドに好意的だ。

 さらには、件の子供相手に負けた事も、いまとなっては評価が逆転している。曰く、下っ端の命を守る為に、恥を忍んで敗北を受け入れた。曰く、そうしなければ、七〇〇人は全滅していた。曰く、ウル・ロッドは子分を大事にしてくれる。

 敗北を受け入れた際の、ウル・ロッドの母親分の言葉が浸透したのも、評価が高まった理由だろう。


『看板はたしかに大事だが、屋台骨よりも大事って事はない。お前ら子分は、ウル・ロッドの大事な柱なのさ』


 そう言って、子分たちの為に、自ら泥を被ったのだ、と。

 勿論、どこまでが本当の話かはわからない。いろいろと誇張されて伝わっている部分も多いだろう。だが、事実としてウル・ロッドは一時的に名を落としたものの、いまとなってはファミリーの結束は強まり、名声はむしろ高まったといえる。

 そして、ウル・ロッドの名が上がれば上がる程、同時に件の子供に対する、畏怖の念も高まっていく。

 ウル・ロッドと子供は、完全に対等な関係で和議を結び、いまとなっては絶対に手出しをしないと、お互いに約束を交わしている。どころか、件の子供の拠点のうえにあった廃墟を、ウル・ロッドが詫びの証として建て直し、スラムには場違いな屋敷に様変わりさせていた。


 さて、こうして俺ごときが件の子供とウル・ロッドの事情を、いくらなんでも深く知り過ぎているのには、理由がある。


 柱に取り付けられたベルが、けたたましい音をがなり立てた。俺は気が重くなるのを自覚しつつ、屋敷の一室へと足を向ける。そこには地下から伸びる伝声管があり、この屋敷の主人とコンタクトが取れるようになっている。


「御用でしょうか、ご主人様?」

『あー……。だからその、ご主人様っての、やめようって言ったじゃん。可愛らしい女の子が言うならまだしも、四十路手前の男にそう言われると、なんか凄くゲンナリする……』


 うるせえ、俺だって別に、呼びたくてそう呼んでるわけじゃあねえんだよ。なにが悲しくて、自分の半分も生きてねえ子供に傅かなければならねえんだ。


『もしもし、ジーガさん? 聞いてる? それで申し訳ないんだけど、またちょっとお使い頼まれてくれないかな?』

「ああ、了解した。なにを買ってくればいい?」

『とりあえず、布と木材だね。木材は、できるだけ多種類を揃えて欲しい。できれば、魔力の通りがいいものを優先して』


 つまり俺は、件の子供——ショーン・ハリューに雇われる身となったのである。



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