第12話 神聖教と異教

「さて、四方山よもやまの話は尽きませんが、そろそろ本題に移りましょうか」

「あれ? ジスカル様の要件は、ヴェルヴェルデ選帝侯家からの使者の用向きでは?」

「それもまた、目的の一つだったというだけの話です。むしろそちらは、聞ければよいかなという程度の期待でした。まさか、私の方が先に面会しているとは思いませんでしたから」


 苦笑するジスカルさん。まぁたしかに、選帝侯家からの使者を後回しにして、商人のジスカルさんを優先するとは、まず思わないだろう。とはいえ、こちらからすれば名乗らない相手を、あのカベラ商業ギルドの御曹司よりも優先はできない。


「それで、その本来のご用向きとは?」

「それなのですが……。シュマ」

「……」


 ジスカルさんが、護衛のシュマさんを呼ぶ。どうやら、用件というのは、彼女に関係する事柄らしい。


「まずはこちらをご覧ください」


 ジスカルさんがそう言うが早いか、シュマさんは己の手を見せる。それはなんというか、象牙で作られたような質感の、あるいは精巧な磁器人形ビスクドールのような、人工物でありながらもそこに人間性を持たせようとする、職人の偏執的な努力が窺えるだった。


「マジックアイテムの義手ですか?」

「……うん」


 シュマさんが言葉少なに肯定する。そんな彼女の言動に、ジスカルさんは苦笑しつつ頭を下げた。


「申し訳ありません、ショーン様。シュマはまだ、ライラ程教育が行き届いていないもので、失礼な物言いを……」

「いえいえ。そもそも何度も申しあげています通り、僕のような一介の研究者なんぞに、必要以上に丁寧に接する必要なんてありませんよ。むしろ、ジスカル様のご対応の方が、過剰で恐縮してしまいます」

「いえいえ。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いのハリュー姉弟に、横柄な態度で接したりすれば、私は父や祖父に落胆されてしまうでしょう。むしろ、こうして親しくしできている事で、ギルド内における自分の地位が確固たるものになると、確信しております」


 なるほど。僕とのコネクションが、カベラ商業ギルド内の立身出世において、有利に働くと思っての付き合いか。まぁ、こういうビジネスライクな関係も、余計な気を遣わなくて楽だ。むしろ、使用人たちや、シッケスさん&ィエイト君のように、長く接して同じ釜の飯を食らった間柄の人たちの方が、ちょっとだけ対処に困るときがある。どれだけ感情移入しようとも、彼らと僕らとは本質的には敵同士なのだ。


「ふぅむ……。素晴らしい出来ですね」


 シュマさんの義手は、明らかに一流の職人が手掛けたもので、その精密で滑らかな動きは、本物の手の動きと遜色がないように思える程だ。いや、事と次第によっては、実物の人間の手よりも精密な動きが可能かも知れない。

 正直、いますぐグラを呼んできて、この義手を見せたい。彼女も喜ぶだろう。

 音に聞くカベラ商業ギルドの人脈だろうが、それにしたって見事なものだ。しかし、これを見せられて僕はどうしたらいいのだろう? まさか、これ以上の義手を作れとか言わないよな? 流石に無理だぞ? こんなの、その道を何十年も歩んだ、人間国宝並みの職人の仕事だ。そこに肩を並べられる程、僕のマジックアイテムの腕は高くない。


「まさか、これを超える義手を作れだなんて、無茶は言いませんよね?」


 恐る恐る訊ねる僕に、シュマさんは無表情のまま、ジスカルさんは苦笑しつつ首を横に振る。良かった……。


「違う。君に頼みたいのは、この義手を普通の手に見せる為のマジックアイテム」


 ああ、なるほど。僕なんかは、これ程素晴らしい代物であれば、むしろ見せびらかしてもいいとすら思えるが、そこはやはり女性。あまりこの義手を、人目に晒したくないのだろう。それは、幻術師である僕の十八番だ。

――と思ったのだが……。


「予めマジックアイテムの義手だと相手に知れると、警戒される。できれば油断させたい」


――という、なんとも実用的な話をされた。聞けば、彼女は斥候もこなす軽戦士のようで、近接戦においてはエキスパート。ナイフや素手の距離での超近接戦においては、スティヴァーレ圏では右に出る者がいなかったという程の使い手らしい。勿論、冒険者の界隈では、という注釈は付くが。


「セイブンさんみたいな戦い方をするんですか?」

「【壁】のセイブン? シュマは戦い方を知らない。でも、ちょっと興味はある。手合わせしてみたい」


 だとしたら、こんな場所ではなくアルタンにいれば良かっただろう。彼は恐らく、いまも中間管理職として、業務に忙殺されているはずだ。もしかしたら、気晴らしに手合わせくらい、付き合ってくれたかも知れない。

 しかし、と僕は彼女の義手を観察しながら疑問に思う。いや、ここは素直に聞いてしまった方が早いか。どうも、シュマさんはこの義手を負い目のように感じていないようだし。


「教会に依頼して治していただかないのですか?」


 教会で――つまりは【神聖術】を用いて治療すれば、部位欠損すら完全に回復できる。勿論、それ程の【神聖術】の使い手は、何年も先まで予約が詰まっているだろうし、莫大なお布施も必要になるだろう。だが、カベラ商業ギルドであれば、その辺はなんとでもなる。

 まして、ジスカルさんはアルタンに呼ばれるまで、神聖教の本拠地たるスティヴァーレ半島を拠点にしていたのだ。神聖教に対するコネクションは、下手をすれば第二王国の王侯すらもしのぐだろう。


「いえそれが……」


 珍しく気まずげな表情で言い淀むジスカルさん。常に柔和に微笑み、弱みを見せない彼にしては、随分とあからさまな表情だ。

 ジスカルさんは「先のお話から大丈夫だとは思いますが……」と前置きしたうえで、話し始めた。


「実はシュマは、ショーア半島出身の異教の徒でして。もしも【神聖術】での治療を依頼すれば、教会は彼女に改宗を迫るでしょうし、断れば治療はできないでしょう」

「ああ、なるほど……」


 僕は納得の表情を浮かべつつ、ジスカルさんが言い淀んだ理由を覚る。

 北大陸国家においては異教徒と聞いて眉をしかめる者は多いだろう。ジスカルさんも、僕が敬虔な神聖教徒である可能性を危惧して、憚るような表情を見せたわけだ。勿論僕は仏教徒であり、おまけに祖父は神職であり、父は海の男だ。つまり、日本神道や土着の海神信仰にもそれなりに帰依している。妹など、本物の巫女になる為にその祖父母の養子になっている程だ。

 勿論、大半の日本人と同じく、チャンポン教の僕は、北大陸の大半に膾炙されている神聖教にだって属すつもりはある。だからこそ、他の宗教を信仰する人を敵視するつもりはない。しかしこの世界は、僕のいた元の世界の宗教よりも、即物的で実利主義な宗教がまかり通っている。

 なにせ、宗教を信じる一番の理由が【神聖術】の効果を高める為なのだ。勿論、こんな言い方をすれば、あのオーカー司祭辺りは渋面を浮かべて説教してくるだろう。

 そういった、即物的な信仰こそが、本物の信仰を貶め、ひいてはその目的たる【神聖術】の効果をも落としてしまうのだ、と。

 まぁ、それはたしかにその通り。歴史においても証明された事実だ。

【神聖術】というものは、多くの者が純粋な祈りを捧げ、集まった巨大なという名の共通認識から、正しい信仰心というを有する者が、その扉を開いて共通認識と己の認識の合致する通りの現象を引き起こすという、魔力の理である。

 だからこそ、僕にもグラにも【神聖術】は使えない。僕らは鍵を持っていないし、今後正しい信仰というものに目覚める事もない。なにせ、神聖教というのは、ダンジョンを敵視する宗教なのだから。

 話を戻そう。一見なんでもアリな【神聖術】だが、勿論リスクも多々ある。そのリスクの一つが、先に述べたような実利的な信仰心が膾炙されてしまった場合、まず間違いなく【神聖術】そのものの効果が落ちてしまうという点だ。即物的で俗物的な信仰が集まっても、神聖教にとってはむしろ害悪になってしまう事が、往往にしてあり得るのだ。

 かつて、地中海を囲い込むように拡大した大帝国においては、【神聖術】の前進たる多神教が信仰されていた。その大帝国は、宗教をシステム化し、より実用性を重視し、宗教を【神聖術】の為のものと完全に割り切ってデザインし、それを布教しようと試みた。

【神聖術】の為の宗教という認識は、この世界における宗教という概念を、どこまでも無機質かつ論理的に突き詰めていった結果、生まれた見識だった。それは、個人的には今現在の神聖教にも通ずる認識だと思っている。

 だがしかし、この試みは無残にも失敗する。そのような現世利益げんせりやくを追求する宗教は、異教徒たちの使う【神聖術】と比べて、明らかに効果が低かったのだ。

 要は、無謬の正義、無償の恤救じゅっきゅう、無垢なる祈りという、形而上学的な哲学とはかけ離れた、神学的要素によって【神聖術】の基底が定められている代物であると、歴史が証明しているわけだ。

 その歴史を踏まえて、神聖教は宗教をシステムと捉えず、ひたすらに神を敬い、真摯な祈りと、見返りを求めぬ救済を謳い、清貧、勤勉、勇気、慈悲の枢要徳を掲げて、布教していった。それが、いま現在北大陸に広まっている神聖教である。

 だから、僕のような実利的な信仰というのは、正しい信仰の妨げになるという考えは実に正しい。とはいえ、信仰は信仰という捉え方もあるようだ。大多数が敬虔な信徒の真摯な祈りであれば、僕のような現世利益を求める信仰もまた【神聖術】を強める一助であるともいえる。実際、王侯貴族の間ではそういう捉え方で広まっている面はあるし、もしかしたら教会の上層部においてもそういう考えがあるのかも知れない。

 人間である以上、どうしたって実利というものは考えてしまうし、それを忘れてひたすらに奉仕の精神で生きるだけでは、それはそれで悪意ある者に付け込まれる要素ともなり得るだろう。そうなれば、神聖教会そのものの崩壊である。信仰の根底が瓦解しては、宗教も【神聖術】もない。

 その辺りの判断は、教会側でも匙加減の難しいところのようだ。

 とまぁ、神聖教にとって、異教徒というのは信仰の妨げであり、僕のような実利的なものの見方をする神聖教徒にとっても、人類全体で同じ宗教を信じた方が【神聖術】の効果が高まると、否定的な見方をする。そんなわけで、ジスカルさんも、シュマさんが異教徒であると告げる際には心配していたのだろう。

 とはいえとはいえ、僕としては本心から異教徒に対して思うところはないし、ぶっちゃけ【神聖術】なんてどうなってもいい。幻術をあっさり破られた新鮮な記憶から、むしろ弱まれとすら思っているくらいなので、本当にシュマさんに対して隔意など微塵も抱かない。


「しかし、他意はないのですが、北大陸で活動するなら改宗をしていた方が便利では? シュマさんはそこまで敬虔な異教徒なのですか?」

「うん? 違う。シュマが異教のままなのは、ジスカルの為。商売が助かるらしい。シュマは別に、信じる神にこだわらない」

「……」


 ジスカルさんを見れば、笑みを浮かべながらも、僕からは気まずげに目を背けていた。どうやらこの優男、東方との商売の為に、彼女の異教徒という身分を残し、活用しているらしい。まぁ、僕としては、商人はそれくらい強かでいいとは思うが、神聖教的には白眼視されるような真似だろう。


「そうですか。では、幻術はどのようなものにしますか?」


 宗教周りの面倒臭そうな話はそこまでで切り上げ、僕はシュマさんに問う。これ以上、この話題に首を突っ込むつもりはない。そんな事よりも、いまは仕事の話だ。



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