第33話 謎の一層ダンジョンと、最悪の仮説
〈9〉
「むぅ……。これはまさか……、いやしかし、前回は……。いや……、そうだな、以前は仮説でしかなかった……」
冒険者ギルドに集まる情報を精査していた吾輩は、とある同じ情報をまとめた報告書の束を眺めつつ呻吟した。その報告の多さが、情報そのものの精度担保しているといっていい。
「ダ、ダゴベルダ博士、どうかいたしましたか?」
吾輩の声音の深刻さを感じ取ったのか、この町のギルド支部において、資料室の管理人にして資料整理を担うドロテア・シュヴァルベ女史は、心配そうに声をかけてきた。普段は穏やかな老婦人といった雰囲気の彼女が、いまは不安そうにこちらを窺っている。
ギルドの職員や冒険者といった連中には珍しい、知的なご婦人には、さしもの吾輩も多少は気を遣う。そうでなければ、鼻を鳴らして無視しただろう。
「少々厄介な可能性が浮上しました。シュヴァルベ女史、申し訳ないが今回ダンジョン対策の指揮を担う、あのなんとかいう若者を呼んできてはもらえないか?」
普通なら、この人に頼まず適当な人に任せるような雑事だ。しかしながら、事は露見すれば即座にパニックになるような重大事。知る人間はできるだけ少ない方がいいだろう。
「わ、わかりました……。一応、セイブンさんにお伝えしますが、いまはお忙しいのでいらっしゃるかどうか……」
「できるだけ急ぎで頼みます。吾輩にも確証がない事ではありますが、もしも万が一この懸念が的中した場合、我々は未曽有の危機に立たされる事になる」
吾輩の言に、シュヴァルベ女史は慌ただしく席を立ち、要件をこなすべく駆けていった。吾輩はといえば、仮説の傍証となる資料を確かめるべく、資料室の一角に並べられた本をまとめて取り出していく。
ここに並べられている本は、ある一つのダンジョンについてまとめられたものだ。当時の状況、わかっている限りのダンジョンの構造、起こった現象、識者たちの見解、いまだ解き明かせぬ謎……。これだけの本があってなお、ハッキリと結論じみた答えの書かれたものなどない。
それだけ、謎という謎を残して消えたダンジョンなのだ――
――一層ダンジョンというものは……。
●○●
一級冒険者パーティに所属する副リーダー、改めて自己紹介をされて思い出した、セイブンという男に、吾輩の懸念を伝える。当然ながら、それを聞いたセイブンもシュヴァルベ女史も、深刻な顔つきである。
吾輩としても、これが杞憂ならばと思わずにはいられない。実際、かなり不確かで、仮説と呼ぶのも烏滸がましい程度には、確証はない。そのような仮説の段階で右往左往するのは、時期尚早の誹りは免れ得ないだろう。
だがしかし、もしもその懸念が実現されれば、その被害はあまりにも甚大だ。当時の仮説でしかないとはいえ、これは証明も否定もされておらず、そしてなにより、被害そのものは確実にあったのだ。無視するには、あまりにも大きな懸念だろう。
「博士……」
やがて、セイブンとかいう若造が沈黙を破って話しかけてきた。だがしかし、その顔色はあまり良くない。
「もしもこれが現実になれば、被害はどの程度のものになりますか……?」
「この仮説が現実になれば? もしもこの仮説通りの事が起こったならば、このアルタンの町は文字通りの意味で全滅だ。生存者など望むべくもない。当然だろう? 貴様は話を聞いておったのか?」
「いえ、その……。あくまでも、仮説なんですよね?」
希望的観測に縋るようにそう問い返してきたセイブンに、吾輩はため息を吐く。それはそうだ。仮説はあくまでも仮説。証明などされてはいない。だが――
「これが仮説だったのは、その説が提唱された段階においては、一層ダンジョンが討伐されたあとだった為、検証そのものが不可能だったからだ。仮説が証明されるにしろ否定されるにしろ、結論に至るという事は、実際にこの町の人間が一人残らずダンジョンに呑み込まれてからとなる。それでも証明したいのであれば、吾輩は構わぬ。存分に日和見を決め込むがいい」
吾輩が吐き捨てると、セイブンは懊悩するように眉間に深い皺を刻み、顎に手をあてて考え込み始めた。シュヴァルベ女史はオロオロと、吾輩とセイブンを交互に見るのみである。
「わかりました……」
やがて、セイブンはなにかに納得したようにそう言った。彼の目はなにかを決意したかのように真剣味を帯び、表情も引き締まっている。なにしおう一級冒険者パーティ【
「やや変則的ではありますが、早急にダンジョンの攻略計画を始動します。つきましては、博士にも同道をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ。構わぬ。吾輩とて、これ程不可思議なダンジョン、実際に足を踏み入れて調べてみたかったところである!」
「ありがとうございます。こちらから協力をお願いしている冒険者兼ダンジョン研究家でもある、ハリュー姉弟も一緒なのですが、よろしいでしょうか?」
「ほう、ショーン君もか。あの子はなかなか見どころがある。姉の方はあまりダンジョンに興味もなさそうではあったが、なかなかの魔術師であったな。同行について、否やはない」
吾輩が彼の姉弟の同行を許可すると、あからさまにホッとしたようなセイブンが、挨拶もそこそこに資料室を出ていった。恐らく調整やらなんやらで、しておかなればならない手続きが多いのであろう。勤め人というのは大変なものだ。
吾輩はセイブンに見せていた本を手に取り、そのページを読み返す。一層ダンジョンについて書かれた本には、まずこう書かれている。
『一層ダンジョン。それはゲッザルト平野に突如として現れた、一層だけの広大なダンジョン。それはいまだに多くの謎を残している』
そして吾輩が読んでいるページの末尾には……――
『――以上はあくまでも仮説である。一層ダンジョンの主が討伐されてしまった現状では、証明のしようもない仮説である。しかしながら、それはある意味で良かったのかもしれない。著者は、この【貪食仮説】が未来永劫仮説であり続ける事を望む』
吾輩はため息を吐きつつ、その本を閉じた。願わくは、その仮説がアルタンの町の犠牲によって、証明されぬようにと祈りながら……。
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