第97話 彼らの理由

「人の血か?」

「さてな。だが、見た感じかなり以前のもののようだ。少なくとも、今回侵入した連中のものではなさそうだな」


 アタシの言葉に、バルモロが顎を撫でつつ考えを述べる。なるほど、たしかに真新しい血ではない。とっくの昔に凝固していて、泥のあとと言われれば信じてしまうかも知れない。まぁ、この飛び散り方で泥って事はあるまいが……。


「アタシたちの他に、こんな場所まで辿り着いたヤツがいたって事かい?」

「わからん。だが、あの貯蔵庫や廊下を、ただのマフィアが踏破できたとは考え辛いな。まぁ、以前に冒険者が侵入していたのかも知れないがな」

「なるほど、ありそうだ」


 ショーン・ハリューの杖にあしらわれたブルーダイヤは、あのエルナトが血相を変えて欲しがるような代物だ。それが噂になってから、もう結構経つ。気の早い連中が、エルナトの野郎に先んじていても、別に驚くような話じゃない。

 だが、自慢じゃないがここまで来られるってのは、相当な腕前のパーティでなければ厳しい。単独じゃ、まず無理だ。あの廊下で詰む。

 有力な冒険者パーティが消えたなんて噂は、とんと耳にしていないんだがね。


「罠の類は確認できなかった」

「ただの階段。……あるの、血だけ」


 マグとトゥレドの報告に頷き、アタシらは下階へと足を踏み出した。

 ここはどうやら、あの明かりが切れているらしい。ただし、真っ暗ではない。頼りなくも階段を照らしている緑色のライトには、どこかへと逃げ出す人の簡素な姿が描かれていた。それがなにを意味するのかは、だいたいは想像がつく。

 本音を吐露するなら、アタシだってあの絵の通りに逃げ出したい。だがしかし、アタシらはここで、なんとしても金を稼がねばならないのだ。


 根本的な原因はバスガルのダンジョンだ。


 人々にとっては脅威のダンジョンでも、アタシら冒険者にとっては大事な飯の種だ。そこが討伐されてしまった以上は、当然アタシらの実入りは減っちまう。

 特にウチは人数が多い。おまけに、上級冒険者パーティにも手が届きそうな一党だ。装備品や日々の食にだって手は抜けねえ。

 その費えを思えば、中規模ダンジョンの探索というお上からの依頼がなくなれば、懐にはそうそうに寒風が吹き荒れる。バスガルがなくなったって事は、この辺りのモンスターの生息数も目減りしていくだろうしな……。そうなったら、どのみち別のダンジョンのある場所に、河岸を変えなければならなかったんだ。

 行き先は、帝国方面よりも、細々とした自治共同体コムーネの乱立しているベルトルッチ平原がいいという事になった。その方が、追手が掛かっても国同士の協力がしにくい。

 それにジェノヴィア共和国まで行ければ、そこにはニスティス大迷宮がある。あの、伝説のニスティス大迷宮。アタシらも冒険者として、そろそろ伝説に挑むにもいい頃合いだ。その為にも金が要る。

 その為の踏ん切りとして、今回の依頼に乗った。元々、ハリュー姉弟の工房ってヤツには興味もあったし、さもしい事は重々自覚しているが、連中が溜め込んでいるってお宝も欲しい。盗賊紛いのやり口は、自分でもどうかと思うが、相手は同業だしな……。

 冒険者が互いの獲物や得物を狙って小競り合いをする事なんざ、別に珍しくもない。今回は単に、それが町中で起きたってだけの話だ。

 まぁ、いい事だとは思っちゃいないさ。それでも、皆やっている事だしねぇ……。冒険者なんて、多かれ少なかれそんなもんだ。

 だからアタシは、レタンの死でハリュー姉弟を恨む事はない。悪いのは、ちょっかいを掛けたこっちだ。まぁ、思うところがないわけじゃないが、それはこんな事に手を出さなきゃ良かったという後悔だ。


「……こいつはまた……なんてぇか……」


 血痕の踊り場を折り返して下階に辿り着いたマグが、その先の様相に絶句する。よもや、一階降りただけでこうも様変わりするとは……。

 廊下や扉の作りこそ、上とあまり変わりはない。だが、その様子はあまりにも剣呑だ。

 踊り場と同じように、あちこちに血痕がある。それだけじゃない。剣や槍で付いたあろう傷跡も残っているし、人の手形が、血と思しき黒い痕として残っている。扉だって、壊されているものが散見される。

 明かりは、上とは違いほとんどが消えている。辛うじて、いくつか点いているものが残っている程度で、さらに薄暗い。一つなど、台座ごと天井から外れ、なにかの管でぶら下がっている有り様だ。

 道も、多少雑多な物が放置されていただけの上階と違い、瓦礫や台車で運んでいたような物資が、そのまま残されている場合もある。まぁ、その物資はなにかに荒らされて、成果は期待できないが……。

 より強く危機感を煽られる、退廃の雰囲気に無意識で喉が鳴ってしまった。他の連中も、生々しい死の気配に息を呑んでいるようだ。


 廊下は静かだった。

 アタシたちの足音と、息遣いがやけに大きく聞こえる。手近な扉を開いて中を確認しては、少しずつ進む。匂いも、警戒していた程血生臭くも、まして腐敗集もない。その点はホッとした。

――だが、この痕跡を残したであろう脅威の気配がまったくないってのは、どういう事だ? 上階の廊下ではあれだけひっきりなしに襲ってきたというのに……。

 その事が気持ち悪くて、襲撃がないというのに気が休まらない。

 ただ、いい事もあった。

 目立ったお宝こそなかったものの、この階には、放置された武器等があったのだ。勿論、半分朽ちかけの代物で、武器としては役に立たないのだが、鍔や鞘、柄尻に装飾があるものは、小遣い程度にはなるだろう。流石に、お貴族様が持っているような、宝石があしらわれたような代物はなかったが、多少凝った意匠のものはいくつか見付かった。

 とはいえ、流石にこの程度では今回の経費にすらなりやしない。ここで探索を止めるわけにはいかない。


「本当に、なにかと争ったのか……? わざわざ本物の武器を放置して錆びさせる意味なんてないだろ?」

「もしかしたら、姉弟にも不測の事態が起きたのかも知れないね」


 バルモロの言葉に頷きつつ、アタシの意見を述べる。ここまで来ると、この地下施設で緊急事態が発生したのは間違いない。そして、この地下工房の主は、ハリュー姉弟だ。

 彼らにも対処できないようななにかが起こったのだとすれば、この光景にも説明がつく。それと同時に、上級冒険者である彼らの手にも負えないなにかが暴れ回ったのだとすれば、アタシらになんとかできるのかと、不安にもなる。


 この階は上階よりもかなり広く複雑な構造だ。ただ、それ程探索に苦労するという事はない。その大きな理由は、探索する部屋が減ったところが大きい。

 いくつかの扉は壊れていて開かず、扉の開く部屋も机すら残っていない所や、逆に荒れすぎて探索どころではない部屋もあった。扉の奥に机でバリケードを張っているところもあったが、その奥に人は残っていないようで、声をかけても反応はなかった。

 まぁ、いつまでもこんなところで籠城していたって、助けが来るわけもない。血痕の状態からも、騒動が起きたのが最近とは考えづらい。もしも中に人が残っていたとて、とっくの昔に餓死しているだろう。

 アタシたちはそれからも、所々に残る血痕と戦闘痕を意識して無視しながら探索を続け、本日も成果なしかと思った。

 だが、何気なく開いた扉の先は、これまでの部屋とはまるで違う場所だった。そこには、待ちに待ったお宝が存在した。


――絶望と一緒に……――



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