第13話 幻術の対策と対策の対策

 ●○●


「……かっ!」


 ジーガの限界を考慮して、かなり早期に【天邪鬼アマノジャク】を解除したのだが、どうやら心の準備ができていなかったらしいジューさんが、床に蹲って息を吐く。忘れていた呼吸の仕方を、ようやく思い出したといった様子だ。ティコティコさんも、肩で息をしつつ己の存在をたしかめるように、体のあちこちを触っている。

 対して、以前より僕と付き合いのあるフェイヴ、シッケスさん、ィエイト君はある程度覚悟というか、事前知識があった為か、非常に気分の悪そうな顔をしていたものの、特に動揺は見られない。

 まぁ、この人たちは本物の死神術式を何度か目にしているからね。それに比べたら【天邪鬼アマノジャク】なんて虚仮脅しもいいところだろう。

 なお、いつの間にかフォーンさんは姿を消していた。もしかしたら、僕が【天邪鬼アマノジャク】を使おうとした段階で、逃亡していたかも知れない。だとすれば、やはり侮れない……。


「普段なら絶対に見せないのですが、お付き合いのある【雷神の力帯メギンギョルド】の皆さん相手ですからね。僕のような幻術師が敵として現れた際の、参考としてください。【平静トランクィッリタース】」


 にこやかにそううそぶきつつ、部屋の隅で蹲っていたジーガに【平静】を施す。それでようやく不調から回復したものの、必死に僕に対する罵詈雑言を抑えている様子だ。【平静】による危機感が欠如した状態で、なおもそこまで自制できるというのはなかなかすごい。別に怒らないから、普段の不満も含めてここで吐き出してくれていいのに。

 流石に、このまま業務を続けさせるのは厳しいので、他の使用人を呼んで交代させる。


「……一つ、いいか?」


 ジーガと同じく、いっぱいっぱいそうなジューさんとティコティコさんではなく、既にいつもの仏頂面に戻ったィエイト君が訊ねてくる。僕はソファに戻りつつ、それに頷いてみせた。


「いまの幻術に対抗する手段として、生命力の理は有効か?」

「有効ですよ。ただ、生命力の理は生命力を消費する関係上、ずっと使い続けられるわけではありません」


 ポーラ様のような特異体質でもなければ、すぐにガス欠を起こしてしまう。生命力の枯渇は、魔力の枯渇のような意識の混濁ではなく、ダイレクトに命に関わってくる。

 まぁ、戦闘中に意識が途絶えたら、それはそれで命の危機だが、それ以上に生命力の理の限界というのは切実だ。行使し続けるのは、短距離走のペースで終わりのないマラソンをするようなものである。継続時間が長くなればなる程、消耗の度合いは増し、連続で行使すればする程に限界が近付いていく。

 そして、無理に無理を重ねれば、そのままぽっくり逝ってしまうわけだ。


「故にこそ、幻術師が幻術を使うタイミングに合わせて、適切に生命力の理行使できなければ、抵抗レジストできません。常に理を使って警戒する事ができない以上、相手の行使のタイミングを見極めねば、戦いにならない惧れすらあります」

「使われたあとに、生命力の理を行使するのは?」

「できなくはありませんが……」


 僕は言葉を濁しつつ、返答を考える。【死を想えメメントモリ】を使われた状態だと意味がないが、ここでそれを明かす必要まではない。手の内のすべてを詳らかにしてやるつもりは、流石にないのである。

 そして、ある程度対抗策があると知られるのは、必ずしも悪手ではない。元々【天邪鬼アマノジャク】は対外的な方便として作った、死神術式のダミーだったのだから、これが本来の使い方でもある。

 下手に、対抗策のない、不可避の死をもたらす幻術だと思われると、恐れから敵が増える可能性がある。これからも人間社会に残るつもりなら、適度な脅威と認識してもらえるのが最適だろう。


「どうした?」


 僕がいつまでも口を噤んでいたら、ィエイト君が首を傾げて訊ねてくる。しかし、その疑問に答える前に、彼の頭がポカリと叩かれた。


「バカ。それ以上は、ショーン君たちにとっても秘中の秘、なんでしょ。わざわざ、自分たちの奥の手の破り方まで、身内以外に教えられるかよ!」


 すっかり【天邪鬼アマノジャク】から受けた不調を振り払ったシッケスさんが、呆れたような声音で諭す。普段は喧嘩の絶えないィエイト君も、その言葉には頷かざるを得なかったのか、多少バツの悪そうな声で肯定する。


「む。たしかに……」

「だからオメーはノンデリなんだっての。ちっとは、こっちのスパダリを見習え」

「パーリィ語はわからん」

「パーリィ語じゃねえよ!」

「スティヴァーレ語もわからん」

「スティヴァーレ語でもねえ!」


 結局、いつものようにじゃれ合い始めた二人を無視して、ティコティコさんに向き直る。元は、この人からの頼みだったしね。


「まぁ、必ずしも影響下におかれてから、生命力の理で抵抗できない、というわけではありませんよ? ただ、あなた方はさっき、咄嗟に生命力の理を使えましたか?」

「いや……」

「肉体の感覚がバラバラでは、まともに生命力の理は使えません。どこに己の四肢があるかもわからない状態で、そこに宿る生命力を適切に運用するのは、至難の業ですからね」


 勿論、これは【天邪鬼アマノジャク】に限った話だ。他の死神術式や【黒神チェルノボーグ】の場合、身体の感覚に然程の支障はない。だが、その辺りは説明せずともいいだろう。彼らもその辺は、勝手が違うとわかっているはずだが、アレもコレもと求めるつもりは、さっきのィエイト君の様子から見ても、ないとわかる。

 というか、あまり開示し過ぎれば、今度は逆の意味で適度な脅威足り得ない。


「とはいえ、【天邪鬼アマノジャク】は妨害効果の強い術です。別の幻術においても同様という話ではありません」


 なのでこの辺りで、解説はお開きとしておきたい。


「じゃあ、別の幻術は容易に抵抗レジストできるのか……?」


 やはりというべきか、調子を取り戻しつつあるジューさんが、さらに問うてくる。だが、僕はそれに首を傾げて応える。

 ふーむ……。一切合切を説明するつもりはないが、煙に巻く意味で、もう少し情報を開示しよう。嘘を吐かずに、体よく別方向に勘違いしてもらうか。


「まぁ、できる事はできますよ」

「奥歯にものが挟まったような物言いだな……」

「いえ、別に韜晦しているわけではないんです。ただ……――まぁ、いいか。正直に言うと、ただ漫然と、心を守るだけではどうにもなりません」

「ふむ?」

「例えば、先程僕が我が家の執事に使った【平静】ですが、あれは基本的に強い感情をフラットな状態に戻し、その後一定時間その状態を維持する幻術です。多くの幻術に対して、強い抵抗力を得ますが、その代わり冒険中に用いると、効果中は危機感や警戒心というものが希薄になり、迂闊な行動を起こしがちになるというデメリットが生じます」

「ああ……、知っている……。俺も、君たち姉弟の噂を聞いて、幻術に対する通り一辺の事は調べたからな。【平静】も、死神召喚に対して有効な防御手段なのではないかと、検討はしていた……」

「一応有効ではあります。ただ、僕なら絶対、相手が【平静】を使ったら、勇み足や猪突を誘って、罠に嵌めます。他のやり方――少なくとも周知の生命力の理には、対抗手段が講じられていると考えるべきでしょうね。ちなみに、僕は用意しています」


 これは本当の話だ。生命力の理で心を守る手段として、一般的なのは強心術の【カク】だが、これはかなりダウナー系の精神作用を引き起こす幻術に弱い特性を有している。下手をすると逆効果になりかねない。逆に【カツ】だと、躁方向の精神状態に誘導する幻術に弱い。特に【平静】との相性は最悪だ。【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】など、火に油を注ぐような真似でしかない。

 他にもいくつかあるが、生命力の理は独自のものも多いので、都度都度こちら側で微調整が必要になる。そこら辺は臨機応変に対処しなくてはならない。

 問答無用に、幻術の一切合切を無効化できるのなんて、それこそ【神聖術】くらいのものだ。以前使われた【正道標】なんかだ。

 この対策としては、あとから解除できないよう、当人の意識そのものに影響を及ぼしておくくらいのものだ。以前の、エスポジートさんとの交渉は、これを逆手に取ったものだった。

【神聖術】の情報は少なく、またダンジョンコアは使えない為、もしかしたらまだまだ奥の手があるかも知れない。本当に厄介な相手だ……。


「なるほど……。いや、ありがとう。大変参考になった。自らの不利にもなりかねない情報を、ここまで教えてもらえた事、感謝してもし足りない程だ」


 そう言ってジューさんは、一度立ちあがってから深々と頭を下げた。なんとも律儀な事だ。


「いえいえ。ジューさんも【雷神の力帯メギンギョルド】ですし、僕ら姉弟は貴方たちのパーティにはお世話になっていますから。あまりお気になさらず」

「そうはいかん。なにか、俺にできる礼はないだろうか? 金銭であれば、ある程度払えはするが……」


 そう言ってから、ジューさんは室内を見回してからため息を吐きつつ首を振る。きっと、これだけの屋敷が用意できるのだから、僕らが金銭には困っていないと思っているのだろう。

 いや、お金はあればある程いいよ? なにせ、あればあるだけ使っちゃうからね。我が家は馬の耳に入ってきた念仏並みに、入ってきたお金はすぐに出ていってしまう。イージーカム・イージーゴーを地でいく家なのだ。

 ジーガがいなければ、会計だけで四、五人は使用人を雇わなければならなかっただろう。僕らが自分で? いや、金勘定だけで一日潰れるとか勘弁だし……。せっかく資材を手に入れたなら、すぐにそれの物性を調べたり、実験したいじゃん?

 だから、帝国からの支払いが分割なのは、僕らにとってもありがたい。当然、我が家の使用人たちにとっても嬉しいニュースだろう。

 まぁ、使う分はきちんと稼いでいるので、赤字になるという事はない。というか、いかに僕らに甘いジーガでも、流石に足が出るようなお金の使い方を、許してくれない。


「では、ジューさんが赴くという、西の情報をこちらにも教えてください。情報のお礼は、情報という事で」

「それは……、勿論構わんのだが、それだけでいいのか?」

「勿論ですよ!」


 海を隔てた国外の情報など、本来なかなか手に入らない代物だ。それこそ、お金を積んでも手に入らないものである。

 パーリィならまだカベラ商業ギルドの商圏にもかするが、ウサギ半島ともなると完全にその外だ。もしかしたら、その情報をジスカルさんに転売するだけで、莫大な富になるかも知れない。

 まぁ、その際の利益は【雷神の力帯メギンギョルド】と折半だな。勿論、情報を流すか否かも相談の上で、だ。【雷神の力帯メギンギョルド】を敵に回す危険だけは、最大限回避しなければならないからね。


「了解した。だが、目ぼしい情報がなかった場合には、別の手段で礼をすると誓おう」


 いやはや、なんとも律儀な事だ。ぶっちゃけ、対外的な情報しか流していないこっちとしては、ちょっと心苦しくなってしまう程だ。

 いや、いくら情報を流す約束といえど、向こうも重要なものはある程度独占するだろう。ジューさんのこの言葉は、その際の保険、というか詫びのようなもののはずだ。

……隠すよね? 流石に、なにもかも明け透けに晒したりはしないよね? 普段付き合いのある面々を思い浮かべると、ちょっと不安だ……。


 無防備に胸襟を開かれすぎると、こっちとしても、なんというか……、ちょっと困る……。



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