第47話 帰還者

 ●○●


 ジスカルさんが来訪した次の日の来訪者は、思わぬ人物だった。僕はその来客に、親しみやすく挨拶をする。


「こんにちは。先の戦以来ですね」

「ええ、その……、はい。ご無沙汰しております……」


 眼前で小さくなっているのは、ナベニポリス侵攻戦において、竜公女ドラキュリアベアトリーチェの右腕にして、彼女の躍進を支えた英雄――蝶よ花よと育てられた、生粋の令嬢たるベアトリーチェの戦功の多くが、実はこの人のものなのではないかと、第二王国ではまことしやかに囁かれ、注目が集まっている重要人物――黒騎士イルカステッロエランテことシモーネ・ザナルデッリさんであった。そんな、城塞とまで称される彼が、その二つ名に似つかわしくない程に、オドオドとした様子で我が家のソファについているのである。

 その姿に、むしろ我が家の使用人から僕に向けられる視線が痛い。お前、ベルトルッチでなにやってきた? 的な懐疑の視線に全身を苛まれている……。


「ええと……。本日はどのようなご用件で?」


 使用人たちからの、猜疑の視線から逃げるように、さっさと話しを進める。とりあえず、ベアトリーチェに関する一件はほとんど片付いていたはずだ。故に、ベアトリーチェがわざわざこの人を遣わす理由に見当がつかない。


「ええ、実はその……。エウドクシア家のご当主、ベアトリーチェ様よりのお願いがございまして。こちらが、その依頼書となっております。なにとぞよろしくお願いいたします……」


 シモーネさんが懐から取り出した便箋を、ペコペコしながら手渡してくる。上質な便箋に誂えたその手紙を要約すれば――


「――竜を預かって欲しい?」

「はい。その……、この度ベアトリーチェ様が預かる領地が定まったのですが、それがウォロコ町なのです」

「へぇ。銀の一大産地じゃないですか。ウォロコ決戦の地でもありますし、帝国側も随分奮発しましたね」


 それだけでなく、帝国が切り取ったベルトルッチ領のほぼ中心地だ。当然、周辺地域へのアクセスが容易であり、頼りにされる事になるだろう。その『頼りにされる』という事実が、エウドクシア家の今後の政治基盤となる。

 その考えはどうやら、帝国側の思惑だったらしく、僕の言葉にシモーネさんが神妙な面持ちで頷いていた。


「はい。どうやらその……、中央は帝国領ベルトルッチ平野の安定統治の為にも、ベアトリーチェ様に旗頭を任せたいようでして。将来的には、三大公に並ぶ地位になるのではないか、と……」

「それはまた、随分な大出世ですね……」


 帝国内における三大公といえば、ともすれば皇帝の威光すら跳ねのけるような権勢を有する君主だ。元々は、帝国領に割拠していた有力部族の長の一家である。

 そこに、あのベアトリーチェが比肩するともなれば、立身出世どころか下剋上といっていいだろう。少し前まで、奴隷同然に身売りされようとしていたとは思えない境遇である。波乱万丈な人生とは、彼女の為にある言葉かも知れない……。


「それで? それがどうして、竜を返すという話になるんです?」

「い、いえ、その! か、返すというお話ではなく、必要になるまでそちらで預かって、世話をしてもらえないかという次第でして……」


 まぁ、ベアトリーチェからの手紙にもそう書いてたね。あえて無視したけど。


「そ、そのですね……。実は、ウォロコは第二王国との間にダウンローブ山とそれに連なる山々を抱え、その一つが有名なヒィルェ銀山なのですが……。人目の届かぬ山間であるが故に、そこそこのモンスターもいた山であり、竜らの餌はそこで調達していたのです。しかし、それがほぼ枯渇してしまいまして……。このままでは、人の食う分の肉までも与えねばならぬような現状でありまして……、こうしてお願いに参った次第です」

「まぁ、ベルトルッチですからね……」


 ベルトルッチ平野は、スティヴァーレ半島の食糧庫でもある穀倉地帯だ。さらにいえば、ダンジョンとモンスターの根絶を目指す神聖教の影響が強い地域でもある。

 当然、ダンジョン及びモンスターの駆除は徹底して行われている。神聖教徒からすれば、教義の面でも生活の面でも、ベルトルッチ平野内にダンジョンが侵食してくると、非常に困るのだろう。ベルトルッチの農業に支障が出ると、フデニーニ山脈を中央に抱え、農耕地の限られるスティヴァーレ半島は、途端に深刻な食料問題に直結するわけだ。

 必然的に、ベルトルッチ平野内におけるモンスターの分布はごくごく小規模なものとなっている。その小規模な生息域にすら、定期的にスティヴァーレ半島から派遣された聖騎士や冒険者などが訪れ、モンスターの駆除が行われる徹底振りだ。まぁ、スティヴァーレ半島人からすれば、自分たちの食糧庫を荒らすネズミ退治くらいのつもりなのだろう。

 だがそのせいでいま、ベアトリーチェたちは竜たちの餌の確保に窮して、外国人である僕に助けを求めるに至ったわけだ。


「帝国に頼る事はできなかったんですか?」


 帝国はかなり畜産業が盛んな地域だ。いまだに遊牧民らしい、放浪生活を営んでいる部族もいるし、以前サイタンにいたような隊商もいる。食肉の確保という点なら、第二王国よりもはるかに容易であり、いまは帝国に所属しているベアトリーチェたちが真っ先に頼るべき相手だ。


「帝国本土であれば、食肉を得る事自体は難しくないでしょう。ですが、やはりパティパティアトンネル経由で入ってくる肉は、そこまで多くありません。また、保存の為に塩分も多く、竜たちの健康によろしくないのでは?」

「ふむ。まぁ、試した事はありませんが、恐らくはそうでしょうね。流石に、犬猫程顕著に症状はでないでしょうが」


 普段生肉を食べているような生き物が、多分に塩分を摂取するというのは、まず良い結果は生まないだろう。そんな理由で早死にさせては、竜たちが可哀想だ。まぁ、人間よりも巨体であり、元々モンスターである竜が、その程度で弱るかという疑問もあるが、やはり試してみる気にはならない。


「ベルトルッチ内での育成が叶わないとなると、正直本国よりもこちらの方が近いですし、必要になった際にもすぐに呼び寄せが叶うかと……」

「まぁ、帝都に送ったら帰ってくる保証もありませんしね」


 騎竜を所有し、まして実際に跨って戦場に赴いたという事実は、かなりのステータスとなる。ベアトリーチェがここまで有名になった理由の一旦が竜にあるのは、間違いのない事実だろう。

 そんな竜を、ベアトリーチェの手元から離して帝都におくとなると、二匹目の泥鰌どじょうを狙う輩が現れかねない。まぁ、竜は基本的に誇り高く、実力の伴わない者を背に乗せたがらないのだが。

 いまのところ、例外はベアトリーチェだけだ。そう考えると、どうして彼女だけが竜に認められたのかは気になるが、いまはそれはいい。

 帝国貴族としては新参であり、地歩を固めているベアトリーチェにとって、硬軟混ぜ合わせた要求にどこまで抗えるものか。よしんば、最後まで抵抗できたとて、その労力はいかばかりか……。


「まぁ、どうなろうと災いの種にはなりそうですよね」

「ええ、まぁ……」


 言葉を濁して、恐る恐るこちらの様子を窺うシモーネさん。そろそろ、意地悪はおしまいにしておこう。


「まぁ、別に構いませんよ。第二王国=ベルトルッチ平野間の山々と違って、アルタンが面しているパティパティア山系は広大かつ深遠です。モンスターを狩り尽くすなど夢のまた夢で、むしろそれができれば英雄的快挙でしょう。餌に困るという事は、まぁ実力が伴うならばという注釈は付きますが、まずありません」

「そうでしょうね……」


 苦笑するシモーネさん。まぁ、彼もこちらに滞在中は、竜たちの餌を確保する為に駆りだしたからな。山中に生息する生物の多様さは、肌身で知っているだろう。

 いやまぁ、虫系や鬼系の肉は竜も嫌うし、アルタン周辺はそれが多いから、一概に餌の確保が楽ともいえないのだが……。


「ともあれ、わかりました。帝国貴族、エウドクシア家からの依頼という形で、二頭の竜をお預かりし、できるだけ健康を維持できるようお世話をします。勿論、場合によっては病気や怪我、もしくは寿命で死なせてしまう惧れもありますので、それはご了承ください」

「ええ。わかっています」


 その後、報酬や注意事項を含めた書面を交わして、正式に依頼を受ける運びとなった。まぁ、知らぬあいてでもないし、そこまで心配は要らない。

 こうして、帝国に売ったアルティとスタルヌートが、所有権はそのままに帰還する運びとなった。



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