第75話 矛盾と質問
●○●
「
僕が作ったガラスのタンブラーに、琥珀色の液体を満たして揺らす、雪のような長身の麗人。光の玉が漂う幽玄の書斎には、僕、グラ、ティコティコさんの三人がいた。
本日は、月経に関してティコティコさんからご教授を受け、そのお礼として一宿一飯を我が家で世話する予定である。既にご教示に関しては終了しており、軽い晩餐ののち、我が家のダズが厳選した蒸留酒での酒盛りとなっていた。
まぁ、僕とグラは甘い果実水で蒸留酒を割って、さらにそこに氷を浮かべたグラスを傾けている。ティコティコさんのグラスにも、大きな球形の氷が入ってた。他所ならかなり贅沢な酒宴といえるだろう。氷はそこそこ貴重だしね。
なおティコティコさんとは、使用人に手を出したらその瞬間追い出し、二度と我が家に入れないという約束である。雇い主として、従業員を保護する義務があるのだから、そこは譲れなかった。
「それは……、まぁ、アレだな……。最強の矛と、最強の盾、どっちが強ぇかって話みたいなもんだろ?」
「なるほど」
僕は『矛盾』という故事成語の逸話を思い出して頷く。ただ、矛と盾と違って人の強さなのだから、比較できるのではないかという素人考えからの問いだった。
「すみません。野暮なしつ――」
「どう考えたって、最強の盾のが強いよな!」
「あれぇ?」
矛盾の由来を真っ向から否定しちゃったよ……。
「矛は攻撃にしか使えねえが、盾はその硬さが武器にもなんだろ? つまり、盾で守りつつ、盾でぶん殴るって戦法が取れるわけだ。矛だけで戦うより、盾だけで戦う方が強い! 間違いねぇ!」
「えー……」
そんな基準でいいなら、なんとだって言えるだろう。矛の重量や取り回しやすさ、柄での防御や石突での攻撃等々、盾には不可能な取り回しを考慮すれば、シールドバッシュしか攻撃手段のない盾よりも、矛の方が有効、とか。
だが、そこでソファに体を横たえたままのティコティコさんが、やや真面目な顔付きになって説明を続ける。
「いやよぉ。実際問題考えてみ? その矛がどんだけ切れ味が良くて、強靭な刀身なのかはわからんが、最強の盾なんて呼ばれるモンにぶっ刺したとするだろ? もしも盾を貫通できたとこで、最強の盾とまで呼ばれる程の硬さを誇るモンにぶつけた時点で、矛の刃は欠けるだろうし、下手すりゃ折れる。二度と使い物にならんし、もはやそれは最強の矛じゃあない」
「まぁ、それはたしかに……」
「だが盾は、穴が開いたから二度と使えない、なんて事ぁない。修理すれば再利用もできるだろうし、最悪一部穴が空いたままでも他の部分で防御もできる。武器防具として、どっちが優れてるかっていったら、絶対に盾だと思うぜ?」
なるほど。その言い分は少し、わからないでもない。矛の刃が欠けたとて、研ぎ直す事はできるだろうが、それは刃の寿命を縮めるような真似だし、折れたら繋ぎ直したところで最強と呼ばれるだけのパフォーマンスは戻らないだろう。刃というものは、どうしようもない程に消耗品なのだ。
対して、盾というものは強靭である事がその存在意義でもある。どちらが消耗に強いかは、考えるまでもないだろう。
「まぁ、貫通したら持ち主の方が、再利用不可能かもしれませんが……」
「そらそうだわな。攻撃と防御の優劣、みてぇな話だったら攻撃の方が有利といえるかもな。防御ってのは、どうしたって技術が必要になるし、後手にならざるを得ねえ。攻撃は、上手い下手はあるだろうが、最悪バカにもできるうえに、盾が相手というならイニシアチブは完全に矛側にあるわけだ」
いや、それを言ったらバカでも盾に隠れる程度の防御はできるだろうに……。ただ、盾と矛の関係をイニシアチブから考察した事はなかったな。たしかに、そういう観点からなら、盾よりも矛の方が有利と言えるのかも知れない。
「つまり、ティコティコさんとセイブンさんだったら、セイブンさんの方が強いと?」
水掛け論というか、結論の出ない会議じみてきた話題をリセットすべく、僕はそう問いかけた。ティコティコさんが『最強の盾』の方が強いと考えているなら、そういう事になるだろう。
「まぁ、アレだよな……。そう認めるのは業腹ではあるが、実際に戦ったらって想定すると、一〇〇回中六~七〇回はセイブンが勝つと思うぜ。あの守りを抜いて致命傷を負わせようと思えば、形振り構わず攻勢をかけて一点突破を目指すしかねえ。だがそうなれば、セイブンの反撃が吾にも届く。こっちはセイブン程頑丈でもねぇし、せっかくのスピードっつーアドバンテージが完全に死んじまう戦い方だ」
「なるほど……」
僕は頷きつつ、二人の力関係について考える。たぶん、純粋な強さを比べたとき、二人に然程の有意差があるというわけではない。
おそらくは、相性の問題なのだろう。スピードと攻撃力に特化したティコティコさんと、防御力と、その防御力に裏打ちされた攻撃力に特化しているセイブンさんでは、チョキに対するグーみたいなものなのだと思う。
彼女が、最強の矛よりも最強の盾の方が強いと言っていたのも、そういう意味だろう。自分はチクチクと小パンみたいな攻撃を重ねるしかないというのに、相手はガードしながら攻撃してくる、みたいな感じだ。
石に刃を立てる真似など、彼女の持ち味を殺す戦法でしかないという事だ。なるほど、参考になった。
「セイブンさんは、継戦能力が低い点がネックだと聞いたのですが、その弱点を突く事は考えないのですか?」
「セイブンの継戦能力の不安は、多対一の場合の懸念だ。むしろタイマンだと、吾の方が息切れが早い惧れすらあんぜ? まぁ、ちょこまかヒット&アウェイするのと、どっしり腰を据えて防御に徹するの、どっちが疲れるかって話だわな」
たしかに、そう言われるとセイブンさんの方が優位に思える。なにより、鎧と肉体を比べて、鎧の方を柔らかいと評するような人に、まともに相対しようとするのが無謀なわけだ。
やっぱり、ダンジョンとしてのセイブンさんの攻略法は、決戦までに消耗を強いる策しかないな。ティコティコさんの場合は、その動きを抑制するようなフィールドを用意するべきだろうか?
いや、まぁ、できる事ならどちらとも敵対は回避したいところだが。
「話を変えましょうか」
「おうよ。なんでも聞きな。好みの雄についてか? 吾の乳のサイズか?」
「いえ、そういう話題は結構です」
誰が好き好んで、鰐の顎に頭を突っ込むものか。あと僕、人間だった頃も胸派じゃなかったから。
「これは、メギンギョルドの方々に聞いて回っている事なのですが」
僕はそう前置きしてから、いつもの質問を投げかけた。
「人を殺す事について、どう考えていますか?」
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