第101話 ブアメード

 ●○●


「……コホ……」


 余裕たっぷりに笑って見せようとしたら、咳と共に血痰がでた。あまり余裕のないところを見せたくないので手に隠す。

 ああ、マズい……。生命力の残りが三割程度しかない。少し気を抜くと、気絶しかねないレベルだ。


「フン、随分と憔悴しているようだな。貴様の方が先に死ぬのではないか?」

「ははは……」


 バレてるし……。まぁ、大丈夫。肉体的な消耗はこの【死を想えメメントモリ】には関係ない。肉体的な消耗が、精神にまでくると厳しいけど……。


「そも、死の恐怖に耐えられなばなどと悠長な事を言わずとも、さっさと貴様を殺してしまえばいいではないか! 空間に施した幻術だというのなら、この場から離れてもいい!!」

「そう思うなら、そうすればいいと思うよ?」


 むしろ願ったりかなったり。というか、これだけ死のイメージが渦巻く空間で、危機感も抱かずに戦闘が選択肢に入るのがすごいね。戦闘なんて、どうしたって『死』を連想するってのに。

 逃走もそうだ。幽霊を見たとき、逃げたいけど逃げられない、という心境を、きっとこの竜型ダンジョンコアはわからないのだろう。恐怖そのものに背を向けて逃げる事が、どれだけ恐ろしいか……。

 そもそも、僕はバスガルに対して【死を想えメメントモリ】の効果を、少しだけ歪曲して伝えている。死の恐怖に屈すれば死ぬというのは事実だが、それを額面通りに受け取ると少々認識がズレるだろう。


「…………」

「ふふん……」


 僕の動向に不審を覚えたのか、バスガルは攻撃を仕掛けてくることはなかった。あるいは、本能的にそれが危険な行為だと覚ったのかも知れない。【死を想えメメントモリ】はオリジナルであるだけに、検証が万全ではない。受け手側がどう思うかの検証には、実践しかないと思ってもいる。

 こちらを遠巻きにしつつ、凝視する事しかできない竜は、僕の不敵な笑みを忌々しそうに睨み付けてくる。未知の攻撃に、慎重になっているのだろう。

 それこそが、死の恐怖に対する委縮に他ならない。


「誰だって、一本道なら全力疾走できる。けれど、底の見えないそばの上で、同じ精神で走れる者は少ない。どうしてだろうね?」

「臆病だからであろう! しかし、我は違う! ダンジョンコアは違う!! 貴様や、地上生命のような下等生物ではないからだ!!」

「じゃあどうして、君は僕に手出しをしない? 常ならできていただろう? さっきも、僕の幻影に攻撃を仕掛けた。だったらまた、同じ事をすればいい。白状してしまうと、僕はもう魔力がカツカツで、いまは【幻惑】を使う余裕もないんだ。だから、幻術を警戒する必要はないよ?」

「ぐ、ぐぅ……」


 こうまであからさまな隙を見せ、挑発をしてなお、バスガルは躊躇する。いや、逆だな。あからさま過ぎる隙と、もはや罠にしか思えない挑発だからこそ、彼は動けずにいるのだ。そこにある死の気配が、彼に二の足を踏ませる。


「怖いだろう……?」


 問うてみるが、反応はない。


「死とは、生きとし生ける者が恐れるべくして恐れ、畏れるべくして畏れる、未知の世界への入り口だ。死があるからこそ、定命の者モータルは生を謳歌し、己の生涯に意味を持たせたいと願う。死を想えメメント・モリとは本来、そういう意味の言葉だ」

「……我々ダンジョンコアは違うと……?」

「いや、それは違う。むしろ僕は、だからこそダンジョンコアというものを、心底尊敬している」


 怒りと恐れを押し殺したような声音で問うてくるバスガルに、僕は懇々と語る。


「僕らのように死すべき者モータルとは違う存在だというのに、死を身近に感じ、更なる高みへと至らんと、飽くなき向上心まで持ち合わせている。僕だったら、君たちくらいなんでもできるような存在になったら、逆になにもせずダラダラ生きてしまいそうだからね。ダンジョンコアの生き様には感心してるんだ」


 これは正直な本音だ。バスガルもそうだが、グラもそうだ。誰も彼もが、惑星のコアへと至らんと、日々たゆまぬ努力を重ねて、人間たちと戦っている。怠惰という枢要悪を、彼らは生まれつき持っていないのかも知れない。……それはそれで、ダメになりそうだな……。


「もしも君たちダンジョンコアの中に『惑星のコアなんてどうでもいい。神になんてならなくてもいい』ってヤツがいたら、きっともっとずっと楽に生きていけるよ?」

「愚かしいッ!! ただ生きる為に生きてなんとするッ!? 無為に生きる事に、なんの意味がある!? 我らはたしかに定命ではない。されど、不滅イモータルでもない。地上生命は我々を脅かし、現に我は滅びの危機に瀕していたッ!! 安寧などない! 神に至らなば、我らは遍く死す運命さだめ! 死すべき者モータリスである! なればこそ、その死に様こそが重要であろうッ!? 誇りなくしてなんの死かッ!? 目的なくしてなんの生かッ!?」


 きっとこの空間のイメージにてられているのだろう。憤慨しつつ死生観を吐露するドラゴンに、僕は本心から笑いかけた。


「そうだね。だからこそ、僕は君たちダンジョンコアを尊敬しているんだ。君たちは強く、気高く、誇り高い。そして、だからこそ脆い」

「なんだと……?」


 そこらへんは、物質も精神も変わらない。強く硬いものは、傷付きにくいかも知れないが折れやすい、炭化ホウ素のようなものだ。ダイヤモンドは傷付かないが、砕けるのである。


「……僕は凡人だ。ああ、もう人じゃなかった。凡愚だ、と言い換えよう。平凡で、凡庸で、凡俗な、ただの化け物だ」


 そう言うと、一歩バスガルに近寄った。


「だから僕は、誰にでもできる事しかしない。誰にでもできる事しかできない」


 さらに一歩、歩み寄る。


「生きとし生ける者は例外なく死ぬ。押し並べて死を恐れ、そこにあり得ざる幻想さえ抱く」


 死神とか天国とか、そういうものはというものの恐怖を、少しでも軽減しようとして生まれたものだろう。勿論、それをお為ごかしだなんて宣うつもりはない。浅い宗教論や善悪論、死生観や人生観を、説教臭く語ってやるつもりもない。

 僕はただ、こいつに、この怪物に、死というものを考えさせるだけだ。ひたひたと、その足音が聞こえてくるまで……。


「怖い。ああ、怖い。死は恐ろしい。死にたくない、死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくない」

「――やめろッ!!」

「……凡愚ってのは、そう思うものなのさ。こんな空間に囚われてしまえば、なおさらね……」

「――ウルサイッ!!」

「冷たい吐息が肌を撫でるだろう? それが死神の呼気さ。全身を寒気が襲うだろう? それが死神の愛撫さ。いま僕らは、彼らから熱烈な歓迎を受けている……」

「違うッ! 違うッ!! 我は死なぬッ! このような、このようなわけのわからぬ術などで、死んでたまるものかッ!」

「死とは理不尽なものだよ、バスガル……。僕なんて、ただ海で釣りをしていたというだけで、無意味に死んでしまったんだ。なにも成せず、なんの意味もなく。誰も悪くない、しいて言うなら僕自身の不注意の結果だ。そうでなくても、善良な、あるいは無垢な者が、理不尽な事故で身罷られる事もあるだろう。死神は善悪に頓着がない。いや、興味がないのかな?」

「死神などおらぬッ!!」

「そうかい? そろそろ君にも、このまとわりついてくる感触がわかる頃かと思っていたよ」


 そう言って、地面から生えている髑髏の一体の頭を撫でる。勿論、これはただの幻であり、触れる事などできない。だというのに、僕自身彼らの存在があるように錯覚してしまう。

 それだけ、僕もまた【死を想えメメントモリ】の術中に捉われているのだろう。この幻術は、都合良く術者を対象外にできないのが、欠点といえば欠点だ。


「違う! 違う違う違う!! これは幻だ!! こんなものに、実体などあるものか!!」

「そう、これ自体は幻だ……。僕の作った、幻影にすぎない。でもどうして、この中に本物が紛れているとは思わない……? いや、違うね。思わないんじゃない。思いたくないんだ。すべてが僕の幻だと決めつけていた方が、楽だから……。その答えこそ、君の望むものだから……」

「否! 否否否!! すべてが嘘だ! 貴様の口から放たれる言葉も、この骸骨どもも、この感触も、音も、笑い声も、すべてが貴様の嘘であろう、小童ぁッ!!?」


 子供のように首を振る巨竜。その姿はもう、単に死に怯えているようにしか見えない。


「音? 笑い声? 流石に僕も、そこまでは聞こえないよ。どうやら君は、僕よりも随分と死に近いらしいね?」

「ち、違う――、違う!! 我は貴様よりも強い!! 貴様よりも、死から遠い! そうであろうッ!? ネズミも小鬼も、ケイヴリザードやラプターどもよりも早く死んだ! 弱い輩から死んでいったではないかッ!? 我は強いッ!! 我が貴様より先に死ぬわけがないッ!!」


 それは単に、知性が低いものから死んでいったに過ぎない。強さは関係ない。いや、あるのかな? 力量が、精神的な支柱になる事もあるだろうしね。だからまぁ、そういう意味では、僕よりもバスガルの方が余裕があるかも知れない。教えないけど。


「バスガル……、どうしてこの状況で、より生命力が強い方が生き残れるだなんて幻術を、僕が使うと思う? この【死を想えメメントモリ】に、肉体の強さや生命力の多寡は関係ない。必要なのはただ、精神力の強さのみだよ。そういう術式を作ったし、だからこそこの状況で使ったんだ」

「嘘だウソだうそだ……。我は、こんな事で、こんなところで、こんな、こんなやり方でなど、死なぬ。死なぬッ!! し、死なぬ……、死なぬ、しなぬ……」


 うわ言のように自分に言い聞かせるバスガル。自らの顔を、その長い手で覆うが、すぐに手をどけて周囲を見回した。

 わかるよ。暗い部屋でなにかがいるように思えるとき、目を開けているのも怖いのに、目を瞑っても怖いんだよね……。目を瞑ったら、知らないうちになにかが近付いてくるように思えるんだよね。視覚以外の五感が鋭敏になって、それが余計に恐怖心を煽るんだよね。


「……ふぅ……」


 ここまで追い詰めたら、下手に口を挟まない方がいいな。放っておいた方が、勝手に自分を追い詰めてくれるだろう。

 あと必要なのは、最後の一押しだ。真綿で首を絞めたあとに、一気に足元が崩れて絞首刑になるような、決定的な切っ掛けだ。

 僕はバスガルに気付かれないように、ゆっくりと場所を移動する。さっきバスガルが侵略したダンジョンとは別に、ここにくるまで掘り進めてきた方のダンジョンへと。そこから少しDPを吸収し、なんとか魔力を生成すると、仕上げ用の幻術を刻み始める。

 これもまたオリジナルの幻術ではあるが、ある意味ではただの立体映像に近い。多少、感触等の存在感を錯覚させる工夫はしているが……。


「……【死の女神モルス】」


 死者の園の中心に、巨大な骸骨が生まれる。ドレスのような襤褸切れを纏うそれはゆっくりと、バスガルに迫っていく。


「な、なんだ貴様はッ!? く、くるなッ! ち、違う! これも幻! ただの幻影だ!! う、うう、失せろ! 消えろ!! ただの虚像が、我に纏わりつくな!! なぁぁあッ!? ふ、ふ、触れるだとッ!? ち、違う! これも錯覚! 錯覚ぞ!! ぬぁっ!? い、息があたるっ? いいいい、いい、いや、ち、ちち、ちちちちがう、ちがうちがうちがう!」

「アア、芳醇ナ命ノ味……」


 バスガルと同等の大きさになった骸骨は、まるで恋人にそうするようにその頬を撫でて語り掛ける。くぐもった無機質な声が、より恐怖心を逆撫でする。


「や、やめろ! す、吸うな!! 我の命を吸うなッ!!」

「……アナタ、トッテモ美味シイワ……」

「やめろやめろやめろやめろやめろ!! ああああああああああああああああ!! 食うな食うな食うな!! 我を、我を食うなぁぁぁああああああ!?」


 骸骨は段々と肉付いていく。内臓や筋肉に始まり、病的なまでに白い肌、温度を感じさせない程に青い目、思わず触れるのを躊躇う程の無垢なる金の髪。元となった骸骨からは考えられない程の、美しい女神へと変貌を果たす。

 まるで、バスガルから命を吸ってその姿になったとでも言わんばかりに。命という養分を吸って咲く花のように、どんどん美しくなっていくその女神は、黒いドレスを纏い、黒いヴェールの奥から眼前のバスガルに微笑み、その頬を撫で続ける。


「や、やめろ……ッ! やめろぉぉぉぉおぉぉおおぉおおおぉぉおぉおォォォォォオオォォォオオオオオオオ!!!!」


 いっそう優しげな笑顔になった女神が、次の瞬間恐ろしいものへと変わった。微笑みを湛えていた形のいい唇が一気に裂け、まるで口裂け女のような顔で、バスガルの喉元に食らいつく。

――これが最後の一押し。


「あああぁぁぁああああああぁぁああぁあぁあぁぁああぁ!? あああああああああああああああ嗚呼ああアアああああアアアアアアぁあァアアあああああああああぁアアァア――――」


――巨竜は死の女神によって、その命の灯を摘み取られた。



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