第124話 ダンジョン・オブ・ザ・デッド
トゥレドはシドの首筋に噛み付いた。トゥレドの様子がおかしい事は誰もがわかっていただろうが、よもや仲間に襲いかかるとまでは思っていなかったアタシたちは、扉の先の偽ゾンビどもの存在も忘れて、暫時その現実感のない光景を見詰めている事しかできなかった。
レタンも含めたアタシら【
そんな仲間が、仲間に襲いかかるという、あまりにも受け入れ難い眼前の光景を、脳が理解するのを拒否していたのだ。だが、ブジュっという、生々しい音と真っ赤な飛沫という鮮烈な光景が、アタシの精神を現実に戻した。
「な――にやってんだァ!? トゥレド!!」
アタシはトゥレドに駆け寄ると、その身をシドから離す。
「バルモロ! シドに
「あ、ああ、わかった!」
バルモロがシドに駆け寄り、アタシとパトロクロスが二人がかりでトゥレドを押さえるが、パトロクロスが逃してしまったのも仕方がないくらい力が強かった。だがその力のままに、己の身すら顧みず暴れるせいで、パトロクロスが押さえていた腕が折れたり、アタシの指が食い込んで肌が裂けてしまっている。あまりにも常軌を逸した暴れ方だ。
「……ッ……、……ダメだ……既に事切れている……」
水薬の小瓶を持ったバルモロが、悔しそうに声を漏らす。その言葉で、アタシは心底、こんな場所に来た事や、レタンが死んだ段階で引き返さなかった事を後悔した。
あのときも迷ったのだ。だが、諸々の事情を考慮した結果、先立つものが必要だと判断して、この探索を続行したのだった。
「クソッ!!」
「トゥレド、いい加減にしろ!! 正気に戻れッ!!」
アタシが悪態を吐く傍らで、パトロクロスはなおも懸命にトゥレドを押さえ込もうとしている。だがやはり、その力は尋常のものではない。
本来、弓手のトゥレドに、これ程までの膂力はない。なにせ、アタシとパトロクロスは前衛の戦士だ。力だけなら、大の男であるマグやバルモロよりも、アタシの方が強いくらいなのだ。
だというのに、そんな二人がかりですら、トゥレドを押さえ付けるのに精一杯といった有り様である。
クソ、クソ、クソォ!!
こんなクソったれな地下工房、もうウンザリだ! アタシたちが悪かったから、もう許してくれと姉弟に懇願して、この宝剣を返したら、許してくれないだろうかと、栓なき事も考えてしまう。
そんなアタシらの元に、扉を警戒していたはずのマグが駆け寄り、止める間もなくトゥレドの喉を掻き切った。
アタシとパトロクロスに、トゥレドから吹き出した生暖かい鮮血が降り注ぐ。
「マグ!? なにやってんだい!?」
「これ以上、トゥレドに構っていられる余裕はない! 扉は限界だ!! バリケードが破られるまでに、トゥレドが正気に戻るとも思えねえ!! こうするしかなかったんだ!!」
マグの台詞に、アタシは咄嗟に言い返そうとして、言葉が出ない。心情的にはいくらでも抗弁できたが、だからといって現状を思い起こせば、マグの言葉はたしかに正しい。切迫している現状、これ以上の時間のロスは、命に直結する大問題になりかねないのだ。
だがしかし、こんなときはマグの冷静さが恨めしくもあった。バルモロを見れば、悔しさと遣る瀬なさそうな顔をしていたものの、マグの言葉に反論せず、腰のポーチからとっておきの魔石を取り出しているところだった。
アタシは、さっきまでの剛力が嘘のように、ダラリと脱力したトゥレドの遺体から手を離し、パトロクロスを立ち上がらせる。彼もまた、自分がトゥレドを押さえておけなかった事に、忸怩たる思いがあったのだろう。悔しそうに唇を噛んでいた。
「ドアが破られる!!」
マグの言葉に、ハッとしたようにそちらを見れば、見慣れぬ素材の扉はベキベキと拉げ、その奥から気持ちの悪い腐肉の屍人が、こちらを覗いていた。壊れた扉の隙間から、這うようにして侵入してきた偽ゾンビ。
一気に破壊される事はなかったが、扉が完全に壊れるか外れるかするのも、時間の問題だろう。一気に仲間が二人も減って、おまけに回復役のシドがいなくなってしまったという状況だが、それでも生きる為には動かなければならない。
アタシは割り切れない思いを振り切り、得物を手に前線へと戻る。この、絶望的な戦いに身を投じる為に……。
●○●
「【
「そのようです。あの幻術はいまだ実験不足で、きちんと人間に対して作用するのか未知数でしたので、いいデータ収集になりましたね」
嬉しそうなグラとは対照的に、いよいよ来るべきときが来たと、僕は沈鬱な表情で最後の侵入者たちの様子を遠視している。
死者がでた。ダンジョンの中でだ。つまり、これから彼らを、食らわねばならないのだ。僕はいま、それを自分に言い聞かせている。否。いまではない。エルナトとマスの二人を食らったときから、あれは自分がしなければならない事なのだと、ずっと言い聞かせている。だというのに、一向に覚悟が決まらない。
人を殺す覚悟は、既に自分の中にあった。初めて名も知らぬ浮浪者を殺したときから、己に言い聞かせてきた事であるし、実際に自分の身に危機が迫れば、それを言い訳に殺してきた。そして、殺してしまった事実を己で確認し、今後も同じ事をしなければならないのだと自身に言い聞かせてきた。
だが、やはりというべきか、食人という行為に抱く忌避感は、殺人の比ではないらしく、一向に蟠る感情を消化できずにいる。
「食欲という人間の三大欲求を、脳の箍を外して増進させると、あそこまでの行動にでるのですね。とはいえ、同族で食い合うのはダンジョンコアも同じ事。この件に関しては、地上生命だからと笑えません」
「そうだね……」
淡々と、しかしどうやら僕に対して気遣いをしようとしているらしいグラが、チラチラとこちらを見ながら【
正確にいうなら、【
【
それならアンデッドモンスターの
ちなみに【
勿論、この幻術は映画のように死んだ人間を動かす類のものではない。これはあくまでも、生きている人間を狂わせるだけの、ただの幻術である。
ただし、【
もしも潤沢に食料がある環境であれば、まずはそれを食らっていた事だろう。残念ながら、そこを解消して、ゾンビらしく振る舞うような調整はできなかった。
だがまぁ、執務室までたどり着くのに、大量の食料を残していられる輩は多くないだろう。そう考えれば、これもそこまで深刻な欠点とはいえないはずだ。
地上での使い道がほぼないという点に目を瞑れば……。
ただまぁ、罹った者に対する、致命的な効果を思うと、もう少し手を加えたいという思いもある。なにより、人間は普段、本来の力の二割程度しか使っていないというのはよく聞く話だが、本能に支配された人間は、そのリミッターが完全に外れてしまう。
一定時間以上リミッターを外した状態のまま、その本来の力を使い続けると、深刻な怪我をしたり、最悪障碍として残りかねない症状を引き起こす。だがその分、リミッターを外された人間の力はすさまじく、それこそ生命力の理を使うよりも強力な力を発揮できるようになる。単純計算で五倍の力が出せ、そんな人間が理性もなく暴れ狂うのだから、その厄介さは想像するまでもない。
ちなみに、河豚毒であるテトロドトキシンは、所謂ゾンビパウダーの材料だとされているが、それを提唱したウェイド・デイヴィスはハリセンボンからそれを採取したと主張していたらしい。なお、ハリセンボンはテトロドトキシンを保有していない。
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