第26話 白昼夢の小悪魔

 信じらんねえ……。

 この地下室に足を踏み入れてからというもの、次々と下級の連中が死んでいく。命の軽い冒険者とはいえ、その死は生々しい光景として、目ん玉に飛び込んできやがる。

 ただの廃墟の地下室に、なんだってこんなに罠が設置されてやがんだ!? どうしてあのガキは、こんな場所に住んでやがんだ!?

 叫びながら誰かに問いたいという思いを、必死で押さえつける。ここまできて、怖気で足が震えてやがる。もう逃げちまいたいと、心の奥底でそう思っている自分がいた。

 十人以上いた今回のヤマのみの仲間は、いまや半分の五人しか残ってねえ。次に死ぬのは自分かも知れねえと思うだけで、怯懦が足を止めようとする。

 それでも、ようやく――本当にようやく、目の前にガキが現れた事で、安堵と同時に怒りが沸いて、弱気なんざどこかへ消えた。

 あの日の雪辱を果たし、あのガキのスカした面を泣き顔に変えてから、奴隷商に売り払って人生のどん底まで突き落としてやる。

 暗くどろりとした衝動が、後ろ向きになった俺の心を塗り潰した。


「おや? 来客の予定はなかったと思いましたが?」


 この状況で飄々とそんな事を宣いやがったクソガキに、他の冒険者たちから悪罵が飛ぶ。


「ふざけやがって、クソガキが!!」「よくもやりやがったな!!」「メゾの仇だッ!!」「何人も殺しやがって!!」「ビービー泣き喚くまで、甚振ってやる!!」


 三々五々に喚き散らすもんだから、誰がなんと言っているのかすらわかりゃしねえ。伝わるのは、ただただガキに対する憎悪のみだ。

 この部屋に到達するまでに、どれだけの死線をくぐらされてきたのか。それを思えば、当然の憤りだろう。


「そんな事を言われましてもね。他人の家に勝手に侵入してきて、セキュリティに引っかかったのを、こちらのせいにされても困ります。人の財産や人生を奪おうとしたんです。報いは、当然受けるべきでしょう?」


 こちらにビビる様子もなく、肩をすくめたガキの様子にイラっとくる。

 そうじゃねえ。俺が見たいのは、五人の冒険者に囲まれて、どうしようもなくなったガキの顔だ。こんな、余裕のある顔じゃあねえ。


「まだなんか仕込んでやがんのか?」


 俺がそう問うと、いまにもガキに飛び掛かりそうになっていた連中が、ここまでの、地獄みてえな道中を思い出して、ビクりと体を震わせた。どうやらアホどもは、この部屋にも罠がある可能性を失念していたらしい。まったく、下級のゴロツキ紛いはこれだから……。


「おや? あなたはたしか……、えーっと、さっき冒険者ギルドで名前を聞いたのですが……」


 俺の顔を見たガキが、まるでどうでもいい情報を記憶の片隅から思い出すかのような仕草で悩む。その様子にもイラついたが、ガキはすぐにポンと手を打った。


「そうそう、ホッモさんでした!」

「モッフォだ!!」

「あれ? ああ、そうでしたそうでした。それで、れっきとした中級冒険者であるモッフォさんが、どうして泥棒の真似事なんか?」


 ガキが首を傾げる。当然だろう。

 六級の俺にとって、金貨数枚の為にコソ泥の真似事なんざ、割に合うような行いじゃねえ。しかも、それをさらに頭割りする予定なのだ。得られるもんは、ガキの売値を含めても銀貨十枚いくかどうか。

 とてもじゃねえが、六級の地位を失う危険を冒してまで、欲しい金じゃねえ。

 だが、そんな損得勘定で割り切れるような話じゃあねえんだ!


「あの日、冒険者登録にきたガキに、あしらわれた俺のメンツが、どれだけ傷付いたと思ってやがる!?」

「だったら、最初から新人冒険者に絡まなきゃいいだけでしょう。僕じゃなくても、そのうち実力者とかが登録にきて、返り討ちにあってましたよ、たぶん」

「うるせぇ!! 実力者なら、見りゃわかんだよ!! 少なくとも、テメェみてえな苦労知らずのガキはちょれぇって、相場は決まってんだ!!」

「世の中にはセオリーだけじゃなく、アノマリーもあるのだと学べて良かったですね。少なくとも、僕という例外があるようですので」

「違う!! あれは、単にテメェの運が良かっただけだ!! ただ、ちょっといいマジックアイテムを持ってただけだ!! それなのに、どいつもこいつも俺を笑い物にしやがって……ッ!!」


 この一週間。俺がどれだけの地獄を見てきたか、このガキはきっと思い付きもしねえんだろう。

 酒場に行けば、十級に犬の真似をして命乞いをしたとまで噂が誇張されていたし、同業連中はあからさまに俺を避けるようになった。

 現在は特定のパーティに所属していない俺が、野良パすら組めなくなったら、ダンジョンにも潜れやしねえ。そもそも、ギルドから依頼の斡旋が受けらんねえいまは、少ねえ貯蓄を食い潰しているのが実情だ。

 それもこれも、このガキのせいだ。


「俺ぁただ、ジーナに言いよるクソガキに、釘を刺そうとしただけだったってのに!」

「ジーナ? 誰ですそれ?」


 キョトンとした顔でそう言ったガキ。

 ブツンと、頭の中でなにかがキレたような音がした。

 俺は腰の剣を抜き放ち、狭い室内を一気に駆け抜けようとした——が、チリリとこめかみに走る危機感に、咄嗟に転がる。

 間一髪、先程まで俺がいたところを、矢が通り過ぎ、後ろにいた男の眉間に突き刺さった。


「はぇ?」


 間抜けな断末魔を残して、そいつが頽れた事で、室内には一気に緊張が走った。

 いまの矢は、ガキが放ったもんじゃねえ。つまり、やっぱりこの部屋にも罠があって、それは矢を飛ばすものだって事だ。


「流石は六級。ダンジョンの攻略を任される人材というだけはあります」


 そんなピリピリとした空気など一切読まず、ガキはそう口にした。本当に賢しらなガキだ。

 わかってる。結局は、自業自得だなんてなぁ重々承知なんだ。十級ですらねえ、冒険者志望のガキだと思って油断した。そのツケが、いまの俺だ。

 だがなぁ、なによりも許せねえのは、このガキが、六級冒険者であるこの俺や、俺が何度口説いても見向きもしねえジーナや、その他の冒険者たちに、欠片も関心がなく、一切の興味もねえってところだ。

 まるで路傍の石でも見るように、冷めた目で俺たちを見てやがる。十級だろうが六級だろうが、クズは所詮クズだろとでも言わんばかりに見下す、こいつの目が気に食わねえ。


「自分は特別な人間だとでも思ってんのかッ!?」


 意図せず、俺の思いは声になった。だが、そんな言葉に、ガキは意表をつかれたような顔をする。

 ガキの様子に関係なく、今度は角の生えたなにかの動物の置物から、矢が飛んできた。俺はそれを、剣で打ち払う。

 他の連中は、四方八方から飛来する矢に、右往左往してやがる。既に、体に矢が突き立っている者も多い。いずれジリ貧になる。

 見れば、ガキはこんな矢の雨の中でも、平然としている。このクソったれな部屋の中で、身じろぎもせずに立っているのだ。あそこが安全地帯だ。

 示し合わせたわけでもないのに、俺たちは一斉にガキの元へと駆けた。くるかも知れねえとわかっていれば、矢は弾ける。いやまぁ、俺以外は当たってるヤツもいたが、所詮は下級って事だ。

 前方は当然、左右や背後からも矢が飛んでくるような状況。前だけ向いて進む事はできねえ。しかし狭い部屋を駆けた俺は、とうとうガキまであとわずかという距離にまで詰めていた。

 あと少し。あと少しで、このガキに、地獄を見せられる。


「追い詰めたぜ、ガキィ!!」

「特別かどうかはともかくとして——」


 いまにも襲い掛かろうとする俺に、やっぱりただの石ころを見るような目を向けるガキ。どうしてか、その瞬間背筋を冷たい汗が流れた。


「——そろそろ僕にも、自分が人間じゃないっていう自覚は、できてきたかな?」


 ガキを掴んだはずの右手は、空を切った。


「は?」


 目測を誤ったわけじゃねえ。距離的には、確実に掴んだはずだ。


「うあっ!?」


 腕に感じた熱感に、思わず声が漏れた。見れば、手の甲から矢が生えてやがる。

——いや、そんなわきゃねえ。だってそこにはガキが——……

 次の瞬間、ガクンと足元が抜けるような感覚があった。すべてを置き去りに、体が吸い込まれていく。

 そう置き去りだ。ガキも、机も、本棚も、俺が立っていたはずの絨毯すらも置き去りにして、俺は落ちていく。


 宙に浮かぶガキの足裏を最後に、俺の意識は暗転した。



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