第119話 人身御供

 青年は眼前の暴徒たちを眺めてから、まるで獲物でも前にした肉食獣のように、獰猛な笑顔を湛える。その外見からは想像もつかない荒々しさに、私の胸がドクンと跳ねた。

 もう、やめてよね。セイブンさんもそうだけれど、私はギャップに弱いのよ。

 その美丈夫はおもむろに、左手を口元にもっていくと口を開く。気付けばその周囲には、最初の長身の女以外にも数人の、護衛と思しき人間が侍っていた。


『皆さん、このような往来で突然失礼いたします。カベラ商業ギルドのジスカルと申します』


 どうやら指輪の一つがマジックアイテムだったようで、あまり声を張ったようには思えない口調だというのに、周囲にはその音が響き渡った。当然、その声は暴徒と化しつつある群衆にも届く。


「カベラ商業ギルドですってッ!?」


 その声に反応したのは群衆だけではない。ウチのメンバーもそのまなじりそばだてて、ジスカルと名乗った美青年に険のある視線を飛ばす。たしかに、私もそこに思う所がないではない。

 件の騒動で、逃げるだけならまだしも、このアルタンの町に後ろ足で砂をかけていった連中だ。とてもではないが、イケメンというだけで好意的な見方はできない。

 とはいえ、流石にあんな大きな商業ギルドを、正面切って敵に回すような愚は犯せない。不満は抱いていても、それで声高に非を鳴らすような真似はできない相手なのだ。

 だが、やけっぱちになってハリュー姉弟にまで噛み付いているような輩にとっては、相手がどれだけ大きな商人であろうとも、関係などない。


「フロックスちゃん、これ、ヤバいわよ?」


 アネモネが忠告してくる通り、理性のタガが外れたような連中の前に、あからさまにお金を持っていそうな青年が立っている。おまけに、相手には叩かれるだけの非もあるとなれば、暴徒と化した連中にとっては、足を怪我した鹿が目の前に現れたようなものでしかない。餓狼が手負いの鹿をどうするかなど、考えるまでもないだろう。

 守る? カベラ商業ギルドの人間に恩を売るのは、メリットとしては大きい。グランジちゃんも、一般人の救助の為であればうるさい事は言わないだろうし、なによりもリンチなんて見ていて気分のいいものではない。

 問題は、相手が『カベラ』であるという点だけだ。それを守る事で、町の連中の反感を買う惧れはあるだろう。

 逡巡する私の前で、青年は言葉を続ける。


『我々はこれより、この先の広場にて先の事件で皆様にご迷惑をおかけした、当ギルドのアルタン支部の幹部たちを、縛り上げたうえで晒し者にいたします。恐らくは、朝を待つ事なくその命は潰えるでしょう』


――ッ!? 私刑リンチにするつもりっ!?

 私はジスカルの意図を察し、思わず戦慄する。だけど、ちょっと待って。それであのジスカルさんやカベラ商業ギルドに、になんのメリットがある? この町での失地回復に際して、多少住人からの反発は弱くなるだろうが、同時に一定数の人間からは好まれないやり口だ。

 しかも、それでもなおカベラ商業ギルドを毛嫌いする人間は、それなりの数残る。いや、それが問題ないレベルにまで事態を鎮静化させるには、結局のところ明確に住人たちにメリットを与えるか、あるいは時間が記憶を風化させるかの、二通りのやり方しかない。

 であれば、どうしてここで、カベラ商業ギルドは動いた?

 決まっている。ハリュー姉弟からの要請だ。冒険者ギルドや代官が、こんなやり方を選ぶとは考えづらい。ウル・ロッドなら考えるだろうが、それをカベラ商業ギルド側が受けるメリットが少ない。必然、この動きの裏にいる相手は絞られる。


「こっわ……」


 改めて、ハリュー姉弟の、おそらくは弟の恐ろしさを実感する。

 今回の一件は、【扇動者】という悪意が直接的な原因とはいえ、人間が本来有している良くない一面の表出といっていい。ままならない現実に対する鬱憤と、それを叩きつけても心が痛まないスケープゴートがいれば、人は己の腹癒せの為に安易な私刑に走る。それは、人間という種の宿痾のような精神作用だ。暴徒となった住民たちは、上手くそこを【扇動者】に煽られたのだ。

 だからこそ、ハリュー姉弟の弟は、自分たちがそのスケープゴートにされたと理解し、早々に代わりのスケープゴートを用意した。それが、カベラ商業ギルドのアルタン支部の幹部たちである。彼らもまた、住人たちの鬱憤の捌け口としては格好の的だった。

 そこに枷があるとすれば、カベラ商業ギルドという大きすぎる肩書きだったが、そのカベラ商業ギルドからのお墨付きがあれば、もはやそこに歯止めは利かない。単純に八つ当たりがしたいだけの人間にとっては、ジスカルさんの提案したスケープゴートは、ハリュー姉弟よりも叩きやすい的になった。


「そして、それ以外の人間にとっては、なんの意味もない的ってワケね……」


 グランジちゃんの言葉の通りなら、この暴動に加わっている者の中には、呼び寄せられた傭兵だのなんだのの、胡乱な輩も多数混じっているとの事。そして、そんな連中にとっては、カベラの捨て駒なんぞに的を向けられては困るだろう。


「暴徒たちが割れ始めたわね……」

「そりゃそうでしょ。本来、八つ当たりなんて、相手が誰でもいいんだから」

「でも【扇動者】たちからすれば、相手はハリュー姉弟じゃなきゃ意味ないのよね。たしかに、フロックスちゃんの言う通り、ショーンちゃんは怖いわね……。絶対に敵に回したくないわ……」


 カメリア、デイジー、アネモネが苦笑しつつも、暴徒たちの内輪揉めを傍観しながら感想を述べる。私も、口元には苦笑が浮いているだろう。そして、首筋には冷や汗が流れている。

【扇動者】たちからすれば、この町で騒動を起こし、ハリュー姉弟と領主との間で揉め事を起こしたいのだ。傭兵や冒険者たちからすれば、ただの商人崩れなんぞを叩きのめしても、なんの意味も持たない。

 暴徒の内でも、彼らと住人たちの目的意識には、最初から齟齬が生じていた。そこを上手く突いて、分断を図ったのだ。

 あまりにも上手く突き過ぎて、狡猾とか、悪辣といった印象は否めないが……。気付いても、そこを突く? と問いたくなる所業である。いやまぁ、実際に私たちが悪意の対象になったと仮定すれば、形振りなんて構わずなんでもするだろうから、文句を言うつもりもないが。同じ事ができるか問われれば、まず間違いなくできない。というより、最初から尻尾巻いて別の町に逃げているだろう。

 だからこそ、きっちりカタにハメてやり返す、ショーン・ハリューという少年には戦慄してしまう。ウル・ロッドを相手にしても一歩も引かなかった点も考慮すれば、アネモネの言う通り、敵に回すのは絶対に避けたい。

 暴徒たちから、広場の方に向かう連中が、ぞろぞろとジスカルさんの方へと移動を開始する。バラバラと群衆が瓦解し始めているのを眺め、彼らの意思統一に乱れが生じているのが、遠目からも確認できる。

 離れようとする群衆を、なんとか引き留めようとする連中も見受けられるが、彼らが【扇動者】なのだろう。グランジちゃんが言うには他国の間諜らしい。


「丁度いいわね。あの【扇動者】の一人二人を、ここで確保しちゃいましょ」

「いいわね。冒険者たちよりも、グランジちゃんは喜びそう」


 ただの冒険者や傭兵なんぞよりも、よっぽど価値のある下手人だ。するすると動き始める仲間たちに、私は確認とばかりに絶対に越えてはならない一線を伝えておく。


「間違っても、ハリュー邸に近付き過ぎちゃダメよ?」


 私の言葉に、全員が頷いた。



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