第-1話 鞍替えの準備
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その情報が我が耳に届いた瞬間、脊髄が赤熱する程の
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「なるほど……」
私は頷き、一つ指を弾いた。
「いかがいたしますか、ジスカル様?」
報告をあげてくれたライラには悪いが、その問いを無視して指を弾き続ける。取り留めのない思考を、パチンパチンと整理していく。
利益と不利益。我ら商人が気にすべきは、本来それだけだ。だがしかし、そこに政治というものが絡むと、途端に話が面倒になる。とはいえ、世のすべてが利得と正誤、善悪と利害で判断できるものではないというのは、頭では理解している。
されど――
「ライラ」
「はい」
「君は――」
少し言い淀んでから、しかしすぐに言葉を続ける。
「――君は、私とカベラ商業ギルド、どちらか一方を選択しなければならなくなったら、どうする?」
私の質問に、ぎょっと目を剥いて驚くライラ。そんな彼女に微笑みつつ「急がないからゆっくり考えて欲しい」と告げる。たっぷり五分は悩んだライラは、決然と告げる。
「私は、ジスカル様に雇われていると思っています。それは、ジスカル様のお立場が変わっても、変わらぬ関係であるかと」
「しかし、君を雇っている原資はカベラ商業ギルドのものだ。私はあくまでも、その窓口になっているだけだよ?」
「…………」
無言でこちらを睨むライラに、苦笑しながら「悪かった」と告げて肩をすくめる。皆まで言わせるなという無言の圧力に、私は早々に白旗をあげる。
たしかに、形式上カベラの傘下にいたライラだが、彼女を見出し、口説き落とし、護衛としてカベラに引き入れたのは私だ。これまで彼女の中で積み上げた、私という存在の信用と信頼は、それだけ大きなものとなっているのだろう。
カベラ商業ギルド所属というのは、一般的にはかなりのステータスなのだが、それでもこちらを選んでくれるというのは嬉しい話だ。そんな意思表示をまぜっ返したのは、たしかに野暮だった。
「独立されるのですか?」
「……まだ、そうと決めたわけではない。だが、上の動きがどうにも不穏だ。神聖教に対する配慮から、姉弟に対する不利益を押し付けて、短絡的に利益を得ようとしている節がある。あるいは、不利益を被らないようにしているのか……?」
「件の聖杯に関してですか?」
「ああ……」
重い口調で頷く。相手側にあんな危ない橋を渡らせておいて、然もそれを当然といわんばかりに報酬を惜しむような、吝嗇の振る舞いをし始めている上層部。商売相手がそれをどう思うかなど、まったく考慮に入れようとしない傲慢な姿勢だ。商売において、信用というものがどれだけ大事なのか、いまさら私のような若輩が説くまでもないだろうに……。
ただ私は別に、その傲慢な振る舞いが悪いと言っているわけではない。相手がただの職人、ただの貴族家家臣、ただの冒険者であるのなら、それでもいい。カベラ商業ギルドという看板は、個人の我を圧し潰せるだけの大きさを有しており、それもまた交渉手段の一つだ。
その相手単体にはこの上ない悪印象となるだろうが、周囲には十分な示威となる。取り引き先の一つから不況を買う事で、それ以外の取り引き先から得られる利益が増えるのだ。
だが、それは相手を見てやるべきで、そしていま我等が相手をしているのは、あのハリュー姉弟なのだ。カベラの上層部が、彼らの頭を押さえ付けられると思っているなら、思い違いも甚だしい。
第二王国や帝国が、姉弟に対してどれだけ気を遣っているのか、報告書で上げているのだから知らぬわけもないだろうに……。
「しかしそれは、普通の事では? カベラ商業ギルドとハリュー姉弟、天秤にかけて姉弟の方を重んじるのは、商業ギルドとしてはいかがなものかと」
「利益を追求するという姿勢を、悪いといっているわけではないよ。むしろ、私こそ利益追求にのみ拘泥していると、この場合は言っていい」
そう。私は政治には興味がない。商売の差し障りになる可能性があるから、ある程度把握はしているものの、変に干渉し合うのは双方にとって悪手だと思っている。だがまぁ、カベラの大きさがそれを許さないというのも、わからぬ理屈ではない。
その恩恵に預かっていないとは、流石に言えぬ身だ。
「だが、姉弟に不利益を押し付けて不信を買うというリスクを、上が軽く見過ぎているようでならない。我々は一度、彼らとの関係を悪化させたが、いまは和解して、こちらに有利な立ち位置を取れている。そのせいで、上はハリュー姉弟を御せたと驕っているのかも知れないね」
「あれは、ジスカル様が直々に出向かれたからこそ、向こうも折れざるを得なかったのでしょう? ハリュー家のおかれている立場も、以前とは違います。下手に関係を拗らせると、本当にアルタンでの橋頭保を失いますよ?」
「その危機意識が欠如している。私はむしろ、ウェルタンからサイタンまでの交易ルートのすべてから、カベラが排除される可能性すら危惧しているよ」
「まさか……」
「ゲラッシ伯爵家と第二王国王家が、ハリュー姉弟を自分たちにつなぎ止める為に、彼らに敵対したカベラに対する攻撃を行わないと、本当に言い切れるかい? 国を跨いで特権を有するカベラ商業ギルドは、第二王国にとっても目の上のたん瘤だ。これ幸いと、カベラとハリュー姉弟との諍いを口実に、掣肘を加えてもなんらおかしくはない」
「しかし、伯爵家にとってもそれは痛手では?」
「さて……」
カベラ商業ギルドという、巨大資本を他所に逃す事を言っているのだろうが、今現在の伯爵領においては、それは必ずしもデメリット足り得ない。ハリュー家とスィーバ商会、それに協力するアルタンの商人連合に、裏からウル・ロッドを味方につけて、ゲラッシ伯爵領内の商圏を、自国の商人で席巻する。それは、伯爵家にとってもメリットが大きいはずだ。少なくとも、我らの有する特権に配慮せず、御用商人が自領内の金と物流を掌握できる。いざとなれば、それを伯爵家の力に組み込める事を思えば、デメリットよりもメリットの方が大きいかも知れない。
伯爵家がそこまで経済に関心を持ち、本腰を入れて改革に取り組む可能性は、そこまで高くない。だが、いまは彼らの元にハリュー家がいる……。それがどう作用するか……。
「カベラの資本を失ったとて、ハリュー姉弟がいれば、伯爵領内に関しては十分に穴埋めは可能だろう。なにせ、帝国から金貨が流入する目途があるからね」
「たしかに……。下手に、国外にパイプを有する我々との関係を維持するよりも、国外に出ていく心配のない兄妹に商圏を任せた方が、伯爵家や第二王国にとっても都合がいいのかも知れません」
「…………」
姉弟が第二王国を出奔しない、などとは誰にも保証できないだろうがね。帝国は手ぐすねを引いているだろうし、第二王国や伯爵家はいくつか悪手を打ってハリュー家との関係を損なっている。これからは、なんとしてでも国につなぎ止めておこうとするはずだ。
ともあれ、今後カベラ商業ギルドとハリュー姉弟との関係は、急速に悪化していくだろう。カベラ商業ギルドが教会と姉弟を天秤にかけて、教会を選んだのだからそれは必定だ。
これが愚かな選択に思えるのは、私が姉弟に肩入れしすぎているからか……? なぜ金の卵を産む
そのうえで、〆ずに飼い慣らせると判断したのだろう。実態がヒクイドリだとも知らずに……。
「それで独立ですか?」
「まだ可能性の話さ。だがね、未知のレッドダイヤとホープダイヤ並みのブルーダイヤ。聖杯。偽銀から得られる、六つの非常に安定した触媒。そして、当人たちの有する、戦闘力と魔力の理における知識。そこから作製される、マジックアイテムの質……。これだけの逸材を、あたらに扱うなど商人として間抜けもいいところだ」
「彼らの協力が取り付けられれば、独立後の駆け出しは順風満帆ではあるでしょうね。カベラからの風当たりも強くはなるでしょうが……」
「それは自業自得だ。後ろ足で砂をかけたのだから、未練がましく振り向くべきではない。まぁ、我々は一度それをやったわけだが……。だからこそ、二度目も上手くいくなどという夢想は、勝手にやっていてくれという話だ。私に尻拭いを任せられても困る」
「……そう考えると、姉弟には早めに話を通しておいた方が、よろしいのでは? ジスカル様が独立するという段になってからでは、向こうの心証も悪化している惧れがあります」
「そのつもりだ。シュマはどうするか……」
「あの子こそ、ジスカル様の元でなくば二日と経たず、上司との関係悪化から出奔という事態になるでしょう。義手の件で、多少カベラ側に借りが残ってしまいますが、金銭で話がつくならそれでよろしいかと」
「そうだね」
まぁ、なんにしてもいまはまだ、結論には至らない。願わくば、お爺様と父上の判断が、商人として正しいものでありますよう。間違っていた場合は、黄金のヒクイドリの前には、自分たちで立ってもらうよう。神聖教の唯一神に祈ってあげてもいい。
そういえば、サイタンから少し離れた場所で、新たに見つかったダンジョンでは、大きな飛行型のモンスターも確認されているのだったか。姉弟を例えるならば、ヒクイドリよりもそっちの方が、相応しかったかも知れない。
いや、この思考は流石に失礼か……。私は苦笑してから、次の話に移った。
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