第10話 マニアックな二人

「ケブ・ダゴベルダってあの【ダンジョン学】の、ケブ・ダゴベルダ氏ですか!?」

「ほほう、その様子ではどうやら、吾輩の名は知っておるようだな。有象無象のなかにも、多少は教養のある者がいたようだ」

「知ってるもなにも、ダンジョンに関してはいまもっとも新しく、正しいとされている【ダンジョン学】の著者じゃないですか。知らないわけがないでしょう!?」

「そうでもないぞ。ホレ、周りを見てみよ」


 これまでは、警戒心が強く滲んでいたダゴベルダ氏の声音が、少しだけ緩んだ。

 彼に言われて周囲を見回せば、僕が興奮している傍らで、グラすらもどこかぽかんとしている。他の冒険者や受付なんて、いまにも「誰?」とでも言いそうな顔だ。

 マジかよ、嘘だろ?


「え? なんで知らないの? ここ、冒険者ギルドでしょ?」


 僕だって流石に、【ダンジョン説】のイーネス・ヘルベ・アカツェリアを知っているのが常識、とまでは言わない。それはもう、ある意味歴史の分野だしね。それでも、ダンジョンを生業にしているのであれば、最低限ケブ・ダゴベルダは知っておくべき人だろう。


「わかるぞ、ハリュー君。吾輩とて、【ダンジョン概論】と【ダンジョン学概論】を比較して話し始めたときに、その二説を知らぬ輩がいるとは思わなかったからな。それがよもや、冒険者ギルドにいるともな」

「い、いや、その二説は【ダンジョン学】に比べれば古いじゃないですか。知らなくても……」


 僕がそれは仕方がないとフォローしかけたところで、ダゴベルダ氏はゆるゆると首を振る。


「当時は最新だったのだ。そのどちらが正しいのかで、大陸中の学者が侃々諤々の議論を日夜繰り返しておった。だからまさか、この世にその二説を知らぬ者がおるとは思わなんだのよ」

「なるほど」


 つまり、一時期はその二説が、いまの【ダンジョン学】と同じような位置付けにあったわけだ。それならダゴベルダ氏の話にも納得である。そして、冒険者やギルドの受付たちの反応を見るに、そんな通説すらも知らない連中というのはいつの時代もいたという事なのだろう。


「……まったく嘆かわしい」

「同感である。しかしハリュー君はどうやら、そこらの匹夫どもとは違うようだ。猿たちの群れの中に、人を見付けた心持ちである。言葉が通じる相手がいるというのは、なんとも喜ばしい」

「お会いできて光栄です。僕もいずれは、ダンジョンに関して本腰を入れて研究をしようと思っています」

「ほう、駆け出しの学者といっていたが、まさか同じ学問を志しておったとは。なかなかの偶奇よな!」


 どうやらこのダゴベルダ氏、刺々しい態度の理由は周囲の無知さが故だったようだ。たしか、IQが二〇違うと会話が成立しない、みたいな眉唾な話を聞いた事があるけど、多分それと似たような状況だったのだろう。

 いやまぁ、だからって僕が高IQというわけではない。学校で調べたが、特異な数値にはならなかった。


「ええ。いまはまだ、ギルドの資料整理を手伝いつつ、より多くの情報を集めているところでして」

「ほう、なかなか面白いアプローチである。吾輩から見ても、かなり羨ましい環境であるな。少々厚かましくはあるが、吾輩もその仕事に一枚噛みたいのだが、良いか?」


 最初の傲慢そうな態度がかなりなりをひそめ、偉そうでありながらもきちんと筋を通す姿勢は、流石はあのダゴベルダ氏といったところだ。グラなんかは、まだ多少隔意を覚えているようだが、この人との繋がりは、結構役に立ちそうだ。顔を繋いでおこう。


「えっと、それはギルドの意向次第ではありますが、僕としてもダゴベルダ氏の謦咳に接する機会をいただけるのなら、それに越した事はありません」

「そう言ってくれるか。嬉しいものだ。ギルドの連中には、上手く話を通しておこう」

「ですが、資料整理のような、いわば雑務なのですが、本当によろしいのですか?」

「問題ないぞ。仕事というものに貴賎などない。なにより、吾輩がこの町を訪れたのは、町中にダンジョンが見付かったという話を聞き及んだからよ。しかも、到着してみれば、どうにも普通とは違うダンジョンだというではないか。実に調べがいがある」


 ウキウキとした語り口で、意欲を示すダゴベルダ氏。どうやら本気で、資料整理なんかを手伝ってくれるらしい。

 いいのかなぁ……。これって、ノーベル賞受賞者が、大学院生とかが任せられるような仕事をするって言ってるようなもんだと思うのだが……。こっちの方が恐縮してしまう……。


「お、俺を、無視してんじゃねぇ!?」


 雑談に花を咲かせていたら、そんな怒声が響いた。見れば、ダゴベルダ氏にノックアウトされていた男が立ちあがっている。同じく吹き飛ばされた冒険者の方は、まだ床で伸びていた。

 静止役の冒険者が役立たずなのをいい事に、その大男は、腰から鉈のような直剣を抜き放つ。

 はぁ……。本当にもう、冒険者って輩は……。

 ため息を吐きつつ、僕はグラに目配せをする。彼女は頷きつつ、こちらに手のひらを向けてくる。

 一瞬意図を図りかねたが、僕と彼女との以心伝心でもって理解し、自分の手をそれに合わせた。ほんの数秒だけ合わせた手を、今度は大男へと向ける


「うおらぁぁぁあああああ!!」


 鉈を振りかぶってこちらに駆けてくる大男に向かって、僕らは同時に幻術を放った。


「【恐怖フォボス】」

「【怯懦ディロス】」


 僕が恐怖心を煽り、グラがその煽った恐怖心によって相手を居すくませる幻術を行使する。ガランと剣鉈が石の床に落ちる音が、やけに大きく響いた。

 見れば、男は蒼白な顔面に脂汗を浮かべ、カチカチと合わぬ歯の根を鳴らしている。足元に水溜りを作りつつ、ガクガクと膝を揺らしている様は、まるで不意に化け物にでも出会ったような態度だ。

 そんな態度にも、以前程感じるものはなくなってきている。どうやら順調に、僕は人間をやめつつあるようだ。


 ま、だからって気分がいいわけじゃないけど。



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