第66話 一人称
なるほど。たしかに、その発想はなかった。貴族になるよりも、貴族の家臣になる方がいいというのは、普通に考えればおかしな話だ。金貨と銀貨を比べて、銀貨を欲するようなものだろう。だが、この場合僕らが欲しているのは、利益よりもフリーな立場であり、他所からの勧誘をしのぐ傘だ。
「ゲラッシ伯爵の家臣であれば、少なくとも第二王国貴族はぁ、表向きにはショーン君たちにアプローチをかけられませんー。国外の勢力も、堂々とは行えないでしょう。それはゲラッシ伯にケンカを売るような真似なんですからー」
にこやかにそう言ってから、ぼそっと「まぁ、あくまで表向きは、ですけれどねー」と怖い事を言うサリーさん。
「僕らがただの領民であっても、勝手な勧誘はゲラッシ伯の権益を侵すがごとき真似では?」
「それは、あなたたちがー、ただの平民であればそうでしょうねー。ですが、既にハリュー姉弟という人材の価値はぁ、在野の冒険者や研究者、あるいは技術者の枠には納まらないですからねー。そんな人材を、正当に評価もせず、囲い込みもせずに、市井に捨ておいているというのは、ゲラッシ伯の落ち度と捉えられても仕方がないですー」
まぁ、理屈はわからないでもない。つまり僕らは、少々派手に暴れすぎたという事か……。聖杯が、法国の国宝なんぞに指定されていなければ、第二王国の動きももっと緩慢だっただろうに……。いや、いまさらそれを愚痴っても仕方がない。
「僕らがそれを望んでいたとしても、ですか?」
「そうですねー。たとえば妾が、『そんな平民を、譜代家臣待遇で受け入れる!』と宣言すればぁ、貴族社会的にはこちらに分があるでしょーねー。ゲラッシ伯爵は、見る目がなかったと、評価を落とす事になりますー。その落ち度を突いて、自領、あるいは自派閥での叙爵、または士官という流れに持ち込めれば、必ずしもゲラッシ伯の領分を侵す事にはならないでしょうねー」
たしかに、普通に考えればシンデレラストーリーなのだ。この場合、悪役はゲラッシ伯で、不当に貶められていた僕らを、その貴族が救い出すという構図になってしまう。たとえ、シンデレラが灰被りの環境を望んでいたのだとしても……。
要は、そちらでは屑石扱いの研磨剤を買い取って、こちらで磨いて宝石として売ったとしても、悪いのはダイヤの原石の磨き方も知らなかったヤツだと。
たしかに。古今東西、有為の人材を登用できるか否かは、為政者の器を推し量る物差しでもある。三顧の礼の逸話や、
サリーさんは、さらに自分の案のメリットを説く。
「ゲラッシ伯爵の家臣という立場があれば、他家からのアプローチは全部ゲラッシ伯にお任せできますよー。たとえ、玉座の主であろうと、他家の家臣に直接勧誘をかけるだなんて真似、非常識すぎますからー。主を通さず、手紙や依頼を出す事すら、普通に憚られますねー。個人的に懇親を結んでいれば、話は別でしょうけれどー、それもあくまで同等の身分であれば、ですねー。もしも妾が、伯爵の部下に対して、伯爵に内緒でお手紙を出していたりすれば、それは公の場所で非難されても、仕方のない行為ですよー。その部下は、スパイと疑われて処断されても、文句は言えないでしょーねー」
ふぅむ。どうやら、思っていた以上に、貴族と家臣というつながりに、横から手を突っ込むような真似は、忌避される事のようだ。
なるほど。だからこそ、彼女は僕に、伯爵家の家臣になる事を勧めているわけか。他所からの勧誘は、主家である伯爵家に対する叛逆である、と言えば、外部からの干渉の多くを跳ねのけられる立場を得られる。
もしも僕が、貴族になったとしても、派閥云々、政治云々で、他所から煩わされる機会は減らない。だがそれも、家臣になれば話は別で、面倒事は全部主家であるゲラッシ伯爵家にお任せしてしまえと、そういう理屈か。
そしてやはり、サリーさんのこの提案は、僕らの希望と第二王国の希望の、折衷案なのだ。
ゲラッシ伯爵の庇護下におく事で、第二王国は僕らに最低限の首輪を付けられる。また、王冠領とギクシャクしており、どちらかといえば王都との繋がりが深いゲラッシ伯爵領の部下というのは、間接的には自派閥ともいえる。少なくとも、他の貴族家に士官されるよりは、御し易いと考えているのだろう。
僕らもまた、ある程度自由な立場を保持しつつ、面倒に思っている物事はゲラッシ伯にお任せできる。
ゲラッシ伯や伯爵領には、それなりのリターンを与え続けねばならないだろうが、そこは別に構わない。ただ、一応とはいえ伯爵の麾下につくのだから、彼の命令には従わなければならない。
僕としては構わないのだが、グラがどう思うかが、この場合は問題だな。人間の風下につく事を、彼女が良しとするかどうか……。
しかし、こんな提案をしてくる以上は、彼女も第二王国の主流派閥に属しているという事なのだろうか? それとも、単なるメッセンジャーか?
「そうですね。非常に魅力的な提案だとは思いますが、この場で即決は難しいです。姉や――そうですね……、伯爵家の方々とも少し話し合ってから決めたいと思いますが、よろしいですか?」
「ええ、勿論ですー。ただ、国から叙爵の話がきたらー、基本的には断れませんからー、結論は早く出した方がいいですよー。お偉方が、痺れを切らしたら、そういう強引な手段を講じる惧れも、ないわけではありませんよー」
「ご忠告、感謝します」
そう言って頭を下げる。
国からの叙爵の話を断るというのが悪手であるというのは、流石にわかる。それは、国の面子に真正面から泥を塗る行為だ。ある意味、個人で国に戦争を売るような真似だ。
四層が万全の状態であれば、最悪それも考えたのだが、正直気乗りはしない。その場合、ハリュー姉弟というカバーが完全に死んでしまい、少なくとも第二王国での情報収集は、今後不可能になってしまうだろうからだ。
僕らがこれまで、なんとかやってこれたのは、人型ダンジョンコアという強味を最大限活かして、人間社会の情報を上手く活用できてきたからだ。そのメリットを、すべて失うのは惜しい。
勿論、最悪それも選択肢には入れねばならないのだろうが……。
「でもそうですよね……。使えるものはなんでも使わなければ……」
「……? そうですねー」
僕は眼前のサリーさんを見つつ、そう独り言ちる。この人こそ、成りあがる為に形振り構わず、使えるものはすべて利用してきたのだろう。口さがない者に非難される事もあっただろうに、あくなき功名心と、一心不乱の向上心には、僕をしてちょっと怯んでしまいそうな程だ。
当人は、まるでなにを言っているのかわからないとばかりに小首を傾げているが、そんなポーズもきっと、計算ずくなのだろう。
「あの……、ゲラッシ伯爵家の家臣になってからではたぶん聞けない事なので、ここで聞いちゃってもいいですか?」
僕はついつい訊ねてしまう。それが、下衆の勘繰りの類だとは重々承知のうえだが、こうまで堂々とされてしまうと、どうしても気になってしまうのだ。
「はいー? ええ、いいですけどー? 家臣になると聞けない事ってなんですかー?」
「サリーさんって、たしか独身ですよね?」
「ええ、そうですよー」
「じゃあなんで、そんな一人称を使っているんですか?」
僕の、あまりに直接的すぎる問いに、サリーさんも流石に面食らったのか、小首を傾げて押し黙る。しかしこれは、本当に僕が第二王国内のどこかの勢力に属してからでは、聞きづらい事だ。おまけに、いつまでも放置していると、非常に気になる。
「そんなって、どういう意味です?」
「いや、だって……」
やっぱり怒らせてしまっただろうか……? いやまぁ、そりゃそうか。でもさ、やっぱり気になるし、なにより彼女のお相手が誰だかわからないと、少々困る。なにせ、知らずにその人を敵に回せば、必然的に一級冒険者であるサリーさんまでもを、相手にしなければならないのだ。
これがただの貴族社会の事に収まるならまだいいが、僕らの場合はダイレクトに生存に関わってくる。この点を、あまりなぁなぁにしたくないのだ。
もしも相手が、ヴェルヴェルデ大公とかだったら最悪だ……。場合によっては、大公との和解も視野に行動しなければならなくなる。
言い淀み、逡巡する僕に、問い詰めるような口調で畳みかけてくるサリーさん。
「妾の、この呼び方になにか問題でも?」
ああ、やっぱり怒っているようだ。当然か。そして、やはりこの人は、虎の威を借りてでも、敵対者は叩き潰すというスタンスの人だ。
それを悪いとはいわないが、脅される立場に立ってしまった者としては、たまったものではない。
「いえ、すみません。余計な事を聞きました。忘れてください」
「いえ、気になりますから、どうかショーン君がなにに引っ掛かりを覚えているのか、教えてください」
うわ。この人、僕の意図に気付かない振りして、当て擦りをしている? でもまぁ、不躾な質問をしてしまったのは事実なので、多少嫌味を言われるくらいは、甘んじて受けよう。もしかすれば、彼女の裏にいる人も、わかるかも知れないし。
「では……、憚りながらお訊ねしますね……。どうして、独身であり、名誉も権威もある立場のサリーさんが、側室を自称しているんですか?」
その瞬間、ピシリと室内の空気が凍り付いた。
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