第35話 アルタンの町というフィールド
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アルタンの町の、元はバスガルのダンジョンが侵食してきた際にできた二つの崩落跡。一つはいくつかの種類の家禽を飼育し、卵、肉、羽などを採取している養禽施設で、もう一つはそこで働く者たちの集合住宅兼技能教習施設となっている。
その技能教習所では、常ならば俺が受け持った奴隷たちが、斥候の技術を培うべく、日夜修練を行っていたのだが……。今日はそんな施設の教室の一つに、奴隷たちではないそうそうたる顔ぶれが集結していた。
「ジーガさんよ。こっちだって暇な商売じゃねえんだ。話があるってなら、さっさと進めてくれや」
ウル・ロッドの幹部にして、養禽事業に深く携わる男、デルモンドが俺の隣に座っていたジーガに話しかけてくる。どうでもいいのだが、なんだって俺がこんな場に連れてこられたのやら……。背後にはなぜか、エリザベート様まで控えている……。
妹のような彼女の前で、しがないただの冒険者でしかねぇ姿を見せるのは、正直かなり居たたまれねぇんだが……。
「まぁ待て。まだカベラの御曹司が着いてねえ。あの人が、こんなに時間に遅れる事なんて、まずなかったんだがな……」
そう呟きつつ、遅刻の理由に思い当たるところがあるのか、思案顔で顎を撫でるジーガ。正直、イラっとする仕草だ。思い当たる節があるなら、さっさと話せばいいものを……。
それは、室内に集う面々の共通認識だったようで、彼に対して険のある視線が飛んでくる。隣にいる俺までとばっちりだっつの……。
「ラベージ様、お茶を替えてきますね……」
背後からそっと近寄ってきたエリザベート様が、静かな声音で語りかけてくる。まるで清流のせせらぎのような声音は、この室内にあって俺の心を癒す、唯一の清涼剤だ。
「あ、ああ。お願いします……」
そう返すだけで精一杯の俺に、エリザベート様はクスっと微笑みかけてから茶器を持って下がっていく。っていうか、ジーガの茶はいいのだろうか? あっちのが直属の上司だろうに……。いや、この視線の集中砲火にあるジーガの近くには、あのエリザベート様をして近寄り難い空間だったのかも知れない。
剣呑な視線を送っている中には、彼女の元雇い主までいるのだから。案外、俺のお茶を替えるというのも、この場を辞すいい口実だったのかも知れん……。
羨ましい……。
「遅れて申し訳ございません。出がけに少しありまして……」
そんな居たたまれない空気に晒される事一〇分弱、ようやくの事でカベラ商業ギルドの御曹司、ジスカル殿が会議室に到着する。
「もしかして、襲撃にでも遭いましたか?」
「おや、ジーガ殿にはなにか心当たりが? それなら良かった。襲撃者は既に言葉を話せませんので、詳しいところをお教え願えますか?」
「ああ。そのつもりだ」
役者は揃ったとでも言わんばかりに、そこでジーガは室内の面々を見回す。ウル・ロッドからはデルモンドとストルイケン、イシュマリア商会のアマーリエ、スィーバ商会の手代……、大物はこの程度だ。他は急場だったからか、代理の者が多い。アマーリエがいるのは、イシュマリアの書き入れどきは基本、夜だからだろう。
あからさまに表情を露にしている者が多いのも、それが理由だろう。老獪な商人連中は、悪感情であろうとぶつけるべきときにしか面に出さない。それを目の当たりにしたときは、既に諸々が手遅れの段階だ。
ハリュー姉弟との付き合いで、俺もすっかり商人に対する目利きができるようになたもんだ……。役に立つ技能なだけに文句も言えねぇが、これを培う為に陥った状況を思い浮かべるとなぁ……。
「実は、いまウチの旦那はシタタンにいる。そちらの別邸の防御力に、懸念が生じたからとの事らしい。あっちの使用人の安全確保の為に、予定を変更して急遽シタタンまで船便で移動したそうだ」
「おや? もうとっくに、王都に向かっているものと思っていましたが……――ああ、雪融けの増水ですか。今年は例年より少し時季が早く、それで足止めされている商人も多いようですね。ご一行もそれに巻き込まれましたか」
流石の情報通である。知らなかった連中が、感心するように聞き入っていた。まぁ、アルタンに居を構えるなら、ゼンイーレイ河の状態など、あまり気にする必要もないからな。
ジスカル殿の言葉にジーガは頷き、淡々と続ける。
「そうらしい。で、わざわざこの状況で旦那が別邸の防御を気にした理由なんだが……――」
そこから告げられた内容は、なんというか……、実にハリュー姉弟らしい状況であった。まぁ、今回ばかりは当人よりも、中央のお貴族様方のゴタゴタに巻き込まれたせいらしいが、そんなものに巻き込まれる時点であの二人らしい。
できるだけ先手先手を取りつつ、最前の手で厄介事の芽を摘もうと血道をあげているのは理解できるが、当人たちの存在感が大きすぎて、どうしたってあちこちから厄介事の種が飛来してくるのだ。
「港湾都市ウェルタンの裏組織ですか……」
「カベラさんの情報網で、なんとか事前に察知できなかったんですかい?」
ジスカル殿を当て擦るようにストルイケンが問うが、当の色黒の青年はどこ吹く風とばかりに肩をすくめるだけだ。
「ウェルタンの支部が集めているのは、広く浅い情報です。特に、交易が盛んな都市では諸外国の情報収集に励んでいますよ。それが、カベラ商業ギルド本来の在り方でもあります。当然、深く潜らなければわからない町の裏にまで、手を入れるような真似はしません。あなたたちウル・ロッドに対して、我々がそうであるようにね」
最後にチクりと刺されて、ストルイケンは顔を真っ赤にして食った掛かろうとした。だが、隣のデルモンドに止められて、渋々口を噤んでいた。
当然ながら、いかにウル・ロッドとはいえ、カベラ商業ギルドと真正面から事を構えるのは厳しい。そして、あれこれと調べられて面白い者なのど、いようはずもない。それはマフィアも、商人も、そして当然俺たち冒険者だって同じだ。
詮索屋は嫌われる。世の常である。
ストルイケンの当て擦りは、要は「常からウェルタンの裏にも目を配っていろ」というものであり、ジスカル殿はそれに「であれば当然、アルタンの裏も覗いていいんですね?」と返しただけだ。これに、首を縦に振れるわけがない。
相手は国を跨ぐ大商人。下手な言質を与えれば、そのツケはどのような形で支払わねばならないか、わかったものではないのだ……。
「しかし、いきなりカベラにまでちょっかいだすたぁ、連中も随分気合が入ってるんだな。あるいは、ものを知らねえただのバカが遣わされたか……」
デルモンドが話の向きを変えるように口を開く。その言葉を受けて、全員の視線がジスカル殿に集中した。
やはり彼は、飄々とした笑みで肩をすくめると、そのクリーム色の長髪を振って、已む方なしとばかりに嘆息する。
「どうやら、後者のようですね。なんとかという、オッドジョブを生業とする兄弟だったようです。まぁ、実力は然程でもありませんでしたがね。どう考えても、カベラの護衛とまともにやりあって、勝機のある類の輩ではありませんでした」
最早喋れない相手の素性を、ある程度は把握していたようだ。その情報網の為せる業か、はたまた死ぬ前になんらかの手段で聞き出したか……。どちらにせよ、心の平穏の為には知らない方がいい話だろう。
「それが、真正面からケンカ吹っ掛けてきた、と……。こりゃまた、随分とお粗末な連中だ」
苦笑するジーガに、同じように笑い合う面々。そこにはデルモンドや、アマーリエもいた。
まぁ、考えなしにカベラにケンカを売るようなヤツなど、どんな間抜けかという話だ。おそらく、本当に無知なチンピラだったのだろう。
「さて、じゃあ早速結論に入ろう。ウチはやる。おたくらは?」
ジーガの問いに、真っ先に答えたのはジスカル殿だ。
「我々は既に、先制攻撃を受けたあとですからね。勿論やりますとも」
続いて、デルモンドが声をあげる。
「カベラの旦那、今回は俺たちの領分ですぜ? 一番の見せ場はこちらに譲ってもらいます」
「俺たちの庭に土足で踏み入ってきた連中なんざ、明日には並んで下水遊泳を楽しんではずだ。お前らの出番なんか、ほとんどねぇと覚悟しとけや。なんなら、ハリュー邸の前にウチの兵隊を控えさせておきてぇくらいだ」
デルモンドに続いて、ストルイケンも意気込む。次々と、他の商人たちも声をあげていく。これはなにも、義侠心やハリュー姉弟に対する好意から、参戦を表明しているわけではない。
ハリュー家が取り仕切っている畜産業。彼らはそこから、莫大な利益を得る予定なのだ。勿論、既にかなりの収益になっているって話だが、本格的に儲けになるのはこれからだという話だ。その額は、金貨何枚、何十枚なんつーケチな話じゃねえ。
俺みてぇな貧乏人には、想像もつかない程の金が動く。まぁ、全部伝聞だがな。
だからこそ、彼らはいまハリュー家に潰れてもらっては困るのだ。つつがなくハリュー家を存続させる為に、いい歳した大人連中が、ショーン・ハリューの子種や嗜好に至るまで、大真面目に頭を悩ませているくらいなのだ。
そこに攻撃を仕掛けてきた輩など、到底許せるわけもない。全霊を以て排除にあたるのは、ある意味当然といえた。
最後に、ジーガが話をまとめるように宣言する。
「ふむ。どうやら満場一致のようだな。それじゃあ俺たちは、こっから全面的に敵の迎撃に入る。一応忠告しとくが、間違ってもウチに近付くなよ? 敵と間違って殺されても知らねえからな」
付け加えた忠告は、間違いなくストルイケンに向けられたものだったが、実際のところ、ハリュー姉弟のいない屋敷をどこまで守れるものか……。まぁ、【
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