第34話 王都の宴と世間話
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「ようやく帝国方面も落ち着きましたな……」
「ええ。今回は、ゲラッシ伯爵領の一部で小競り合いがあった以外は、第二王国にはほとんど関係のない戦だったようで、安心いたしました」
「では、今宵の宴の目的は、その周知徹底でしょうか?」
第二王国、王都シャスィリ・ドゥルルタンの中央に聳え立つ王宮の大ホールにて、私は耳に入ってくる噂話を、聞くとはなしに耳にしつつ、話しかけてきた相手――フルーク子爵へと、笑顔を向けて相槌を打っていた。なお、話の内容はほぼ自慢話なので、耳に入った端から反対へと抜けていた。
どうやら会場に集った貴族の多くは、比較的急場で開催されたこの宴の目的を気にしているようだ。それは私も同様である。
「おや、チェルカトーレ女男爵ではないか。先般の戦の折には、随分と助けられた」
「これは、ラクラ宮中伯閣下。ごきげんよう」
「お、お初にお目にかかります」
唐突に声をかけられた先にいたのは、若くして第二王国中央の貴族社会を束ねる、ラクラ宮中伯閣下だった。私やフルーク子爵程度では影も踏めぬ大物貴族であり、意図したわけでもなく、二人同時に頭を下げた。
「ああ、ごきげんよう。貴殿は今宵も美しいな。そちらはフルーク子爵だな。挨拶するのは初めてだが、顔と名は存じておる。家督を継いだばかりにしては、なかなかの辣腕ぶりだとな」
「きょ、恐縮です」
「ふむ。少し、チェルカトーレ女男爵をお借りしても? 先の戦の件で、少々他聞を憚る話があるのでな」
「はっ。勿論です! そ、それではチェルカトーレ女男爵、私はこれにて失礼!」
すっかり委縮してしまったフルーク子爵は、脱兎もかくやという勢いで我々から離れていった。まぁ、彼としてはラクラ宮中伯に顔と名前を覚えられたというだけで、今宵の宴の成果としてはこの上ない上首尾だろう。離れた場所でガッツポーズをしているのも、むべなるかな。
「お邪魔だったかな?」
「いえ、助かりました。閣下こそ、あんなに大盤振る舞いしてもよろしかったので? ああ言った手前、なんらかの形で厚遇してやらねば、それなりに角が立ちますよ?」
「問題ない。若者を育てるのは年長者の務めでもある。それに、フルーク子爵が優秀というのは、別に嘘ではないからな」
「左様ですか」
そう相槌を打ってから、私はグラスに口を付け、真っ赤な葡萄酒で唇を湿らせる。どうやら、先の自慢話は誇張なく己の手柄を誇っていたらしい。だからどうしたという話でもないが。
「なかなかの好青年かと思うが、貴殿の眼鏡には適わぬか?」
「? 良い殿方かとは存じます。閣下の閥に加えられるので?」
ラクラ宮中伯閣下の質問の意図を量りかねて無難な返答をするも、閣下は大きくため息を吐いて首を左右に振った。それから、閣下にしては珍しく逡巡し、何度か言い淀んでから、らしくもなくおずおずとした口調で問いかけてくる。
「こういう事を、他家の私が言っていいものか迷うところではあるが、貴殿もそろそろ、身を固める時期なのでは? 実家や寄り親を頼れぬというのなら、私が仲介しても良いが……」
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。私には、心に決めた殿方がおりますので」
「そうか……。それは……、その……、あいじ――」
「――違います」
無礼を承知で、ラクラ宮中伯の言葉を遮り、その瞳を強く見据える。この誤解は、できるだけ早く、それも第二王国社交界の上から正しておかねばならない。
「うむ。そうか。いや、貴殿が己の呼称を改めた事で、もしかしたらこれまでの私の認識に齟齬があったのではと思い至ってな。ここで、認識を改められたのは幸いだった」
「はい。私の実家は、小さな騎士爵家にございまして、お恥ずかしながら『妾』というのは、高貴な女性の自称だと勘違いしておりました」
言い訳としてはこれでいい。変に失態を隠さない事で、これが真実であると周知する助けとなるだろう。
「うむ。たしかに貴殿が、爵位を有さぬ夫人や令嬢であれば、然程気にされぬ自称だったやも知れぬ。軍務閥の家々からは、あまり良い顔はされぬだろうが……」
「はい。その辺りも、きちんと学びました。実は、アルタンの冒険者ギルドにシュヴァルベ殿の細君の義姉君が勤めておりまして、その方より……」
「なるほど。彼の家の妻女であれば、その知識は頼むにたるたしかなものであろう」
「はい。随分とご助力いただきました」
シュヴァルベ男爵家は、家格こそ然程高くはないが、歴史が古く、また優秀な者を多く輩出してきた家系だ。先代、先々代は王宮で紋章官を務め、今代は内務の要職に就いていたはずだ。
第二王国における最下級の貴族位である、【準男爵】【騎士爵】【術士爵】【博士爵】の内、博士爵を受ける者が多い事でも有名だ。博士爵はその性質上、永代爵位にはなり得ない為、普通の貴族は敬遠する者も多いのだが、シュヴァルベ家はむしろこぞって、この爵位を望む者が多い。男女問わず。
そんなシュヴァルベ家の寡婦が、彼の地のギルドで働いていたのは、私にとっては望外の幸運であった。
「先の戦の件では、本当にすまなかったな。よもや、元とはいえ我が派閥の中から、味方の背を射るような輩が現れようとは……。まったく、不甲斐ないばかりだ。正直な心情を吐露するならば、この場で頭を下げたい気分だ」
「おやめください……っ!」
「ああ。余計な揣摩臆測を招くだけで、貴殿に迷惑をかける真似だ。私も、己の身分というものは重々承知している。まったく、己の失態に頭も下げられぬとは、青い血というものは、つくづく難儀だな」
助かった……。私とラクラ宮中伯が、こうして宴のさなかに立ち話に興じていれば、当然貴族たちの耳目を集める。そんな中、いきなり宮中伯閣下が私ごときに頭を下げたりなどすれば、かなりの衝撃をもって周囲に受け止められるだろう。明日には、王都中の貴族の知るところとなる。
場合によっては、チェルカトーレ女男爵は増長している、などという批難すら受けかねない。だからこそ、閣下もそのような真似は控えてくれたのだろう。
「しかし、申し訳なく思っているのは事実だ。派遣した貴殿らの足を、王都から引っ張ったようなものだからな。愚者を愚者と知ってながら放置した、私の詰めの甘さが招いた失態だ」
「閣下、そこまで自己卑下をなさらないでください。閣下らのお力添えも、たしかに彼の地には届いておりました。私への謝罪は、そのお言葉だけで十分にございますれば、あとはゲラッシ伯爵家に」
「ああ、そうだな。これ以上はただの愚痴になるか……。失礼した。無論、彼の家にも十分な補償はしよう。他にも、様々な便宜も図るつもりだ。先の一件だけでなく、これまでもかなり負担を強いた。その分の見返りを与えなければ、人が離れていってしまうからな。差し当たって、代替わりに際しては十分な箔を用意している」
「箔、でございますか……?」
閣下はその内容は口にせず、首肯だけで応じてみせた。どうやら、その詳細はまだ内密らしい。
既に伯爵家の代替わりは既定路線である。まぁ、伯爵家からしてみれば、この機は逃し難いだろう。改めて、ゲラッシ伯爵領という土地の、統治の難しさがわかろうというものだ。
だが、箔か……。既に、次代のゲラッシ伯と目されるディラッソ殿には、武功という大きな箔が付いている。そこに多少の箔付けをしたところで、伯爵家側としてはそこまで恩に着るとも思えない。
となれば、誰の目にも明らかな、それこそディラッソ殿の武功が霞む程の『箔』が必要になるが……。
昇爵? いや、無理だろう。ゲラッシ伯爵領は王冠領の一部だ。王冠領の貴族の昇爵には、ヴィラモラ辺境伯との折衝も必要になるし、王冠領内での調整も要る。
そんな面倒な手続きが、戦からものの数ヶ月で終わるわけがない。
「まぁ、楽しみにしておいてくれ」
結局は、そう言うラクラ宮中伯閣下の言葉に従って、保留しておくくらいが関の山か……。
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