第70話 鰹之烏帽子

「あー、お腹減ったぁ!」


 嬉しそうにバスケットを開いたウカは、その妖艶な唇をぺろりと真っ赤な舌で舐める。その行為には、なんの意味もない。僕がグラに与えた影響から、彼女にもたらされた、ただの人間味の残滓だ。

 ウカのウェーブのかかった黒髪が、ざわざわと揺れる。それはまるで触手のように、バスケットの中のサンドイッチを取り出すと、へと食物を運んでいく。だがそこは、先程舐めた唇からは、遠く離れた場所――だった。


「おいしいぃ。やっぱり、パンに挟むならお肉だよねぇ。アタシ、野菜を挟んだサンドイッチとか大嫌いなんだ。美味しくないんだもん」

「あれはあれで、美味しいんだけれどね。まぁ、生まれたてのウカに、野菜の味を楽しめというのも、なかなか難しい話か」


 子供が野菜をあまり好きじゃないのと同じだ。まだまだ、食の好みが原始的な欲求に正直なのだろう。つまり、甘さや塩気、脂や炭水化物の多い食べ物を好む、生物的な生存本能に根差した好みがゆうせんされるという事だ。まして彼女は、その生命維持の為には、より多くのカロリーを必要とする。

 ローカロリーな食材を嫌うのは、ある意味当たり前と言えるだろう。絶対海藻とか嫌いそうだよな、この子。


「うまうま♪」


 次々と、髪で後頭部の口にサンドイッチを運ぶウカ。その表情は実に幸せそうであり、食べる事が本当に好きなのだろう。それもまた、当たり前だ。下手をすると、一食抜いただけで、彼女は人間なら丸一日絶食したような飢餓感を覚えるのだろうから。

 そのモデルは、日本においても有名な妖怪である、二口女、あるいは二口女房だ。こどもの日に菖蒲湯に入るのは、この怪談話に由来しているともいわれているが、元々端午の節句に菖蒲で厄除けを行うのは、古代中国から伝わった風習らしい。流石に、そこまで詳しくは知らないが。

 勿論これも、彼女の種族に嵌められた枷である。食物を摂取する口と、呼吸や会話に用いる口が、彼女の場合別々にある。言ってしまえばこれは、レヴンの複眼と同じである。

 なお、二口女と同じく、ウカの弱点も菖蒲である。正確には、菖蒲のような東方の薬草だが。

 ウカはその生態の根源として、菖蒲の匂いを嫌い、またその葉に触れるだけで炎症を起こし、摂取すると死に至る程の猛毒にされている。ただ、実はこの辺りに菖蒲は自生していない。一応は切り札なのだから、あまり弱点があからさま過ぎて、簡単に人間に倒されてしまうようでは、僕らとしても非常に困る。

 ちなみに、僕らと敵対しようものなら、すぐに輸入してばら撒く。ついでに、菖蒲湯の習慣でも流行させて、彼女の生きていく余地を最大限削っていくつもりだ。


「本当に、この程度の差異が、人間社会で問題になるのでしょうか……?」


 だがグラからすれば、ウカのこの生態程度では、然して枷にならないと思っているらしい。まぁ、巨大なドラゴンや、半分アザラシという外見であろうと、ダンジョンコアなのだから同族と思える彼女からすれば、一見すると人間と変わらないウカの姿は、然したるハンデにならないと思っているらしい。


「まぁ、怪談というか、妖怪話からビジュアルを持ってきた僕が言うべきではないだろうけど、こんな異形が、人間社会でそうそう受け入れられるはずがない。必ず迫害されて、最悪絶滅させられるだろう」

「そういうものですか?」

「そういうものだよ、人間なんて」


 グラの興味なさげな相槌に、僕も苦笑しつつ肩をすくめる。北大陸においては、肌の色などで人類同士での差別はないが、それでも宗教や、種族――妖精族や獣人族なんかとの間には、それなりに軋轢が生じている。

 そこにきて、二口女である。受け入れられるには、十年、二〇年ではきかない、かなり長い時間をかけた、同化政策が必要になるだろう。だが、そんな種族が大量に食料を消費するのだ。ちょっとした飢饉の発生や、その兆しだけでも、他種族との軋轢は必至だろう。

 まぁそれは、現状でもあまり変わらないのだが。このままだと、竜たちも含めて、家は食費だけで破産しかねない……、というのは流石に言い過ぎだが、エンゲル係数が高くなり過ぎるのは、なかなかに周囲の目が気になる。

 なにせいまは、飽食の時代でもなんでもない、中世世界なのだ。ちょっとした天候不順や戦争で、大飢饉が発生する可能性は十分にあり、また食料生産量そのものが、然して高くないのだ。


「面倒臭いものだねぇ、人間ってのは」


 後頭部でもぐもぐとサンドイッチを咀嚼しつつ、ウカは普通に僕らの会話に混ざる。食事中に喋っても、下品に見えないというのは、ほんの少しだが羨ましいとも思う。

 そんなウカは、人間に対してちっとも興味なさげな態度で、妖艶に笑っている。


「そんな面倒臭い連中と、僕らは上手く付き合っていかなければならないのさ。彼らが僕らの食料である以上、絶滅させるわけにもいかないんだしね」

「その通りですね。むしろ、有象無象が増える方が、冒険者という我々の主食が増えるという意味では、良いのかも知れません。まぁ、敵の戦力が増えるという事と同義でもあるので、それも良し悪しですが」

「ダンジョンコア様も、面倒臭いものだねぇ……。アタシは、食料に制約がない生き物で良かったわぁ」

「いや、ウカの生態も、それはそれで大変だと思うよ」


 なにせ、必要となる食料の量そのものが多いのだ。ある意味、ウチのラプターたちと同じ問題を抱えているといっていい。まぁ、僕らの庇護下にある内は、お腹を空かせる心配はしなくてもいいが。


「ごちそうさま。おいしかったよ、先生」

「おそまつさま。それは重畳」


 やがて、バスケットのサンドイッチを食べ終えたウカが、心底嬉しそうに笑いながら声をかけてくる。妖艶な美女の、外連味のない笑顔というのは、なかなかどうして破壊力が半端ない。常の、妖艶そうな雰囲気が、その一瞬だけ消え失せて、まるで子供のように笑うウカは、ハッキリ言ってかなり魅力的だ。

 僕に生殖能力があったら、ヤバかったかも知れないな……。


 その後、ウカ用の管理人室を用意し、そこでダンジョンにDPを補給する実験も行ったが、つつがなく成功した。まぁ、食料からDPを生みだす目的で作られた疑似ダンジョンコアなので、ある意味当たり前だが。

 いよいよ、僕らの疑似ダンジョンコアと、彼女の疑似ダンジョンコアを区別する為の名称が必要になってきたな。まぁそこは、僕らのは現状維持で、補給用の疑似ダンジョンコアを【保食シリーズ】としてしまってもいいか。



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