第71話 ディラッソ・フォン・ゲラッシ伯爵公子

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 帝国がナベニポリスに宣戦を布告して二週間。帝国も第二王国も、当然ベルトルッチ平野も、大騒ぎの様子が市井にまで聞こえてきている。だがまぁ、それは基本的にお偉方と徴兵免除の特権を持たない市民の話であり、僕らは冒険者故に、我が家の使用人たちは、一部を除いて奴隷が故に、割とのんびり過ごしていた。

 当然ながら、徴兵される理由のない僕らが所有する奴隷たちも、戦争に参加する必要はない。

 だが、そんな穏やかな日々にも、世の理の如く終わりはやってくる。先のドタキャンを詫びるという名目で、ゲラッシ伯の息子さんが我が家を訪問してきたのである。

 まぁ、別に謝る必要なんてないんだけどね。帝国の宣戦布告は、伯爵領の主であるゲラッシ伯にとっては、それだけの重大事だったのだから。それは、ここに当人ではなく、息子を遣わしている時点でもお察しだろう。

 きっとゲラッシ伯当人は、今頃帝国がどのように動こうとも即応できるよう、忙しなく働いているのだろう。たぶん帝国が、第二王国に攻めてくる事なんてないだろうに……。本当にご苦労様だ。


「ディラッソ・フォン・ゲラッシだ。……その、なんというか……、本当に幼いのだな……。あのハリュー姉弟が、ぼ――私の息子よりも幼いとは、思っていなかった」

「初めまして、ゲラッシ伯爵公子様。僕の名はショーン・ハリューと申します。しがない幻術師にして研究者ではございますが、以後お見知りおきを賜れましたら、幸甚にございます」

「初めまして、ゲラッシ伯爵公子様。私の名はグラ・ハリュー。そこなショーン・ハリューの姉でございます。こうして謦咳に接する機会を賜れました事は、至純の喜びにございます」


 僕とグラは、我が家の玄関で頭を下げて領主ご子息一行を出迎える。勿論、使用人たちも最敬礼である。

 二〇人ばかしの従者を連れて、我が家の玄関に現れたディラッソ様は、なんというか……、ゲラッシ伯やその娘のポーラ様に共通していた『騎士』というイメージからは、少々外れている人物だった。

 かなり彩度の強い赤髪を、肩程まで伸ばしており、その表情も柔和で、武官というよりも文官のような印象が強い。唯一、金色の瞳は、妹のポーラ様とそっくりではあったが、猫のようなアーモンド形のポーラ様の目に比べて、彼の目はやや垂れ気味で、やはり受ける印象は真逆に思えた。

 なお、その妹のポーラ様も、ディラッソ様の従者として我が家に訪れていた。目があった際には、唇だけで微笑んで、軽く頭を下げていた。


「それ程畏まらずとも良い。此度は、先日父が約束を違えた件を詫びに赴いたのだからな。そのような相手に気を遣わせるのは、私としても本意ではない」

「かたじけなく存じます」


 僕は再度頭を下げて、謝辞を伝える。グラは無言で、仕草だけは僕に倣っている。目上の人物との受け答えは、テンプレ以外は無言を貫くつもりらしい。まぁ、無礼を働かれても面倒なので、それでいいが。


「皆も、気楽にしてくれ。我々がいるからと、仕事の手を止めさせて、ハリュー家の仕事を滞らせては、私が父上に叱られてしまうからな」


 ディラッソ様は、続けて使用人たちにも笑いかけながら、彼らの緊張を解そうと言葉をかける。騎士経験があるからか、あるいは地方領主の息子だからか、あまり気位の高さは感じない。知性と、それに裏打ちされた鷹揚さが、その態度から窺えた。

 ディラッソ様の言葉に、使用人を代表してザカリーが礼を述べてから、使用人は各々屋敷の仕事に戻らせ、僕らの従者として、ザカリー、ジーガ、ディエゴ、それからシッケスさんとィエイト君が残る。

 その一行を食堂に連れて行く。残念ながら、我が家の談話室は三〇人近くの人間が寛げる程の広さはないのだ。たかが平民の屋敷で、そこまでの歓待を求められても困るので、そこは我慢してもらおう。

 紋切り型の挨拶やその他おべっか、詫びの品と贈答の品を互いに贈り合ったところで、形式的なやり取りは終わり、僕らは雑談を交わすようになっていた。なお、こちらから贈ったのは、銀の表面に金で蔦の模様を描いた菫青石アイオライトの指輪で、付与されているのは【真実は一つウェリータースウィンキト】である。

 親しくなく、好みのわからない貴族に贈るなら、これが一番外れがなくていい。必需品であり、消耗品だからな。お歳暮なんかに、洗剤や油を贈るのと似たようなものだ。

 なお、材料からわかる通り、ウカの装具に使った端材で作った作品だったりする。まぁ、言わなきゃわからないでしょ。


「やはり、大変そうですね。帝国の動きは、そこまで性急なのですか?」


 僕の質問に、ディラッソ様は深刻そうな表情で頷く。やはりもなにも、先日ウカをパティパティアトンネルに預ける際に、ざっとではあるが帝国軍の動きについては耳にしてはいたが。


「ああ。去年の暮れから、帝国は怪しい動きを見せてはいたが、流石にここまで性急な宣戦布告は、こちらも予想外だった。我らは、伯爵領の平穏を守る者として、最悪の事態に備えねばならぬ。故に、父上もぼ――私も天手古舞さ」

「逆に私は、ウワタンからサイタンに呼び出されて、兄上のお守だがな。仕事は、ウワタンの代官時よりも、だいぶ減っている」


 ディラッソ様の隣に座り、そう苦笑するのはポーラ様だ。僕らと面識もあり、ゲラッシ一族でもある彼女も、この場では重要な客人扱いだ。なお、直系ではないものの、彼らの血族や家臣も従者の中にはいたようだが、面識のない者まで客人扱いはしない。

 流石に、従者一人一人の顔や名前を覚えて、それぞれに対応を変えるのは、面倒臭すぎる。先方も、従者として彼らを連れてきた以上、従者一人一人を歓待など望まないだろう。


「おかげで、ウワタンの業務は滞りなく進んでいるようだな。もしも帝国とナベニポリスが戦争に入るならば、あの町も重要な場所だからな。一安心だ」

「兄上、それはどういう意味だ?」

「そのままの意味だが?」


 実に仲良さげなやり取りに、ついつい口元が緩む。どうやら、ディラッソ様とポーラ様の兄妹仲は良好らしい。


「まぁ、ポーラ様が呼び出されたのは、当然の事でしょう。伯爵領にとって、必要不可欠な戦力でしょうから」

「ふむ……。私の、特異体質の事か? 正直私自身、そこまで実感はないのだが……」


 僕が、暗にポーラ様の生命力に対する特異性について述べれば、彼女は釈然としないという様子で、首を傾げていた。

 いや、数時間生命力の理を使いっぱなしで、ウワタンからゴルディスケイル島までの海上を走り抜けたというだけで、とんでもない事だろうに。ゲラッシ伯に伝えても、最初は冗談だと思われたんだぞ? それくらい、とんでもない事なんだよ。


「いやはや、私も昔から、妹の無尽蔵な体力には感心していたが、よもや英雄級の逸材だったとは……。見る目のなさが恥ずかしい限りだね」

「兄上は、昔から過保護だったからな。どこに、従者の心配をして、戦闘を避ける騎士がいるというのだ?」

「仕方がないだろう? 我が領のような旨味の少ない土地の、領主の娘を貰ってくれる家は、そう多くないんだ。傷でも残ったら一大事さ。それに、どうしても必要な戦闘以外は、回避するのが定石だ」

「それで勝機を逃すのは感心しないぞ! やはり武人たる者、ここぞというときは気張らねばならん!」

「お前の言う勝機には、不確定な要素が多すぎる。自分たちが有利なのに、どうして不確定な要素が多い状況で、戦端を開こうとするのか。そういうものは、不利な状況で利用するものであって、有利な状況では虱潰しにして、絶対に逆転をされないようにだな――」


 なにやら、兄妹喧嘩じみてきたやりとりだが、やはり微笑ましい状況に、僕はお茶を啜りつつそれを眺めていた。グラもまた、いつもよりは柔らかい表情で、二人を見ている。どうやら、仲の良い兄妹のやり取りには、彼女も好意的らしい。

 もしかしたら、僕らの姿を重ねているのかも知れない。



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