第72話 DITF手法
見かねた従者の一人が、ディラッソ様とポーラ様に注意をしたところ、二人はようやく、いまの状況を思い出したらしい。
「いやはや、失礼した……」
「恥ずかしいところを見せた。許してくれ」
面目なさそうに、ゲラッシ兄妹は頭を下げる。僕らとしては別に気にしないのだが、彼らもまた忙しい身の上だ。いつまでも、我が家で仲良く喧嘩していられるだけの時間はないのだろう。ただでさえ、ゲラッシ伯爵領はいま、蜂の巣をつついたような忙しさだからな。
それでもなお、雑談などに興じているのは、これが僕らと伯爵家との友好を表す会談であり、必要不可欠な情報交換の場だからだ。当然、僕らとしてもこの機に聞きたい事は、いくらでもある。
「いえ、お気になさらず。それよりも、先日チェルカトーレ女男爵様から、気になるお話をお聞きしたのですが、それについてお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、その件か。私も話は聞き及んでいる。勿論、父上や私も、君たちという有為の人材を、他領に渡すつもりはない。庇護者として、最大限守るという点は約束するが……」
そこまで言うと、ディラッソ様は困ったように眉根を寄せる。やはり、僕らの身が平民のままでは、守り切れないと思っているのだろう。他所から栄達の道を提示され、それを公言されてしまえば、無理矢理止める行為は伯爵家に不利益となる。
流石に、そんなリスクを承知のうえで、この場で僕ら姉弟を必ず守るとは言い切れないみたいだ。
「その件なのですが、僕らが伯爵の家臣として仕官するのは、いかがでしょうか?」
「ふむ? 我々としてはそれで構わないのだが……いいのか? 君たちは、誰かの支配下におかれるのを、酷く厭うていると父上からは聞いていたのだが」
「それはまぁ、その通りではあるのですが、いずれにせよどこかに所属せねばならぬのであれば、やはりこれまでお世話になったゲラッシ伯爵領にと思いまして」
アルタンの町や、この地下に拡張しているダンジョンについての事情を糊塗してでっちあげるなら、このくらいの理由が最善だろう。里心というものは、なんだかんだで理屈をすっ飛ばすだけの理由になり得るからな。
まぁ、これに問題があるとすれば、僕らがこのアルタンに現れて、まだ一年と経っていないという点だ……。里心がつくにしては、浅すぎる。
「ゲラッシ伯爵様には、随分と気を遣っていただきましたからね。その恩返しもできずに、他家に仕えるというのは裏切りでしょう?」
「我々はそのような事は思わないが……」
「僕らが、自分たちが裏切り者のように思えて心苦しいんですよ。だから、できればゲラッシ伯爵家にお仕えできればなと。無論、伯爵家側がお許しになられるなら、ですがね」
「それは勿論、受け入れるとも。仮に父上が反対しようと、譜代家臣の何人が反対しようとも、僕の直臣という形ででも受け入れるさ! ここでハリュー姉弟を逃すようなヤツは、後世の歴史家たちの物笑いの種にされるだろう」
そう言って、カラカラと笑うディラッソ様。しかし、どうかな……。もしも将来、僕らの正体が露見したりすれば、彼は後世の歴史に、人類側に最大級のスパイを紛れ込ませた極悪人として記されるのではなかろうか……。いやまぁ、バレなければいいだけだが……。
だがそこで、僕の家臣入りに対して、異を唱える声があがる。
「おい、兄上! それでは私はどうなるのだ? 当初の予定と違うではないか! ショーン殿が家臣に取り立てられると、私の身のおき所がなくなるのだが?」
「うん? ああ、そういえばそうだった。そうだな……。ふむ……――」
異論を挟んだのは、なんとポーラ様だった。どういう事だろう? もしかして僕、思っていた以上に彼女に嫌われてた?
「――ショーン殿」
なにやら考え込んでいたディラッソ様が、唐突に嘘臭い笑顔の仮面を被って話しかけてくる。それだけでもう、なんだか罠の匂いしかしない。
「我が家に仕えてくれるという事であれば、当然ながらこちらの指示にはある程度従ってくれるのだよな? 勿論、無理難題を課すつもりはないし、ハッキリ言って君たちを傘下に収めるだけで得られる利益を思えば、個人的には、仕えてくれるだけで当代の家臣としての責務は、すべて免除してしまってもいいとさえ考えている。だが、他の家臣たちの手前、そうもいかないのは予め理解しておいて欲しい」
「それはまぁ、当然かと。僕らも、別に特別扱いして欲しいと思っているわけではありませんから。ただ、ある程度の自由は、伯爵家と伯爵領にもたらす利益と相殺する形で、保障していただけませんか?」
たとえば、領地防衛としての戦力供出は拒むつもりはないが、遠征に参加するのは勘弁して欲しい。僕らのダンジョンから離れてまで、伯爵家の走狗となるのは、リスクが高すぎる。いざというときにも、足元に自分たちのダンジョンがあるという安心感は、人間でいえば地面があるかないかくらいのものなのだ。
「ふむ。まぁ、構わないだろう。そもそも、君たち姉弟には聖杯製作という、大事なお役目もある。それを言い訳にすれば、他の家臣たちもまず文句は言うまい。ただ、もし勘違いしているのなら、ここでその考えを改めておいて欲しいのでハッキリ言うが、王族や諸選帝侯、果ては他国の王家などが求めている以上、聖杯を作るというのはやってもらわざるを得ない。こちらとしても、風除けになれる限度というものはある。それだけは、理解しておいて欲しい」
「はい、それは重々承知しています」
いくらなんでも、ゲラッシ伯爵家に、各選帝侯や他国の王族なんかも相手にして、僕らの有利になるように動けというのは、無茶が過ぎる。こっちだって、端からそんなつもりはない。
適度に、地上における僕らの仮宿になって欲しいだけだ。雨風をしのげるだけの屋根や壁がある事は必須だが、絶対に台風にも火事にも耐え得る、要塞のような住処を求めているわけではない。
「このような事は、本来家臣に訊ねるべきではないのだが、いまはまだ君たちも正式に仕えているわけではないし、構わないだろう。君たちは、我々伯爵家の命令に、どの程度までなら従ってくれる?」
どの程度、か……。なかなか難しい質問だが、たしかに一定のラインは必要になる。勿論、普通に貴族家に仕える家臣ならば「どのようなご命令にも」と、答えるのが正しい。僕らとて、社会常識的にはそう答えるべきだ。
だが、それで本当に、なんでも命令されては困る。たとえば――……
「例えばそうだな……、君の姉君を私の側室として欲しいと申し出たら、どうするだろうか?」
「そうですね。とりあえず、帝国に仕えるでしょう。幸い、先の騎竜の一件で、向こうも僕らの人材的な価値を認めてはくれているでしょうから。もしも聖杯の一件が知られれば、それこそ諸手を挙げて歓迎してくれるでしょう」
僕が貼り付けた笑顔で答えると、ポーラ様が冷や汗を流して、隣の兄を窺っている。まぁ、当然だろう。笑顔でこそあるが、僕から発する威圧は、完全に敵に対するものだ。
それだけ、彼はいま手を突っ込んではいけない領分に、無造作に触れたのだから。
「それは困るな……。我々が、第二王国のすべての貴族から恨まれてしまう」
だが、当のディラッソ様は、たはは……と苦笑しながら肩をすくめるだけだ。端から提案が呑まれるとも思っていなかったのだろうが、それは恐らく側室という点で僕らが拒否したと思っているのだろう。
勿論、こちらとしては、グラの身バレのリスクもあったが、なにより気位の高い彼女が、人間の男の側女扱いを受け入れられるとは思えなかったからだ。いや、それだけじゃないな。僕自身、そんなグラを見たくなかったという、ワガママもおおいにある。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ディラッソ様は笑っている。はてさて、この男、どんなつもりなのか……。
「だが、家臣の婚姻というものは、主家の都合が優先であるというのは、わかっているのだろう? こちらとしても、他の家臣には政治的な理由で、娘をあちこちにやっているのに、ハリュー家だけは好き勝手をしてもいいというお墨付きを、与えるわけにはいかない」
「それは……」
それはたしかにその通りだ。なるほど、婚姻という点での拘束は、正直あまり考えていなかった。だが、政治という面を考慮すれば、真っ先に考慮しておいて然るべきだった。これは、完全に僕の落ち度だ。
もしかしたら、ゲラッシ伯の家臣に収まるというプランは、一度白紙に戻してから、第二王国への対応を考え直す必要があるかも知れない。
「では、こういうのはどうだろう」
だが、ちゃぶ台をひっくり返す算段を始めた僕に対して、ディラッソ様はにこやかな表情のまま続けた。
「グラ殿を僕の妻として迎えるのは諦めよう。その代わり、君にポーラを娶ってもらう、というのは?」
そこで合点がいった。こいつ、典型的なドア・イン・ザ・フェイスを使ってきやがった!
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