第73話 ハリュー家の当主
ドア・イン・ザ・フェイスというのは、所謂『最初に無理難題をふっかけて、次に本来のプランを提示する』という交渉手段の事だ。これのまったく正反対の手法に、フット・イン・ザ・ドアという手法もある。
「……なるほど」
なんとか、辛うじてそう相槌を打つが、正直答えに窮する。
ぶっちゃけ、ポーラ様と結婚するというのは、僕らにとってメリットはまったくない。だがそれは、あくまでもダンジョン側の勢力としての見解だ。もしこれが、一介の冒険者、研究者、そして貴族家の家臣という観点からすれば、デメリットらしいデメリットがほぼない。
唯一、研究者としての立場から、機密保持の点での懸念を伝える事はできるかも知れないが、どこの家にも他所に漏らしたくない秘密などはあるだろう。それをみだりに吹聴するような人物であれば、端から結婚などという政略は成り立たない。
あとはもう、性格とか容姿で拒否するしかないが……、それをするとパティパティア山脈並みの角が立つ……。仕える仕えないどころの話でなく、一気に関係断絶、敵対関係必至だ。
そして問題なのが、これはどこに仕えても起こり得るという点だろう。いや、正確にいうなら、どこにも仕えなくても、いずれ起こり得た事態だ。我が家の資産や、僕やグラの人材価値を考慮すれば、多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、表出すべき問題だった。
最初に舞い込んだ結婚話の相手が、いきなり領主の娘というのは、本当に勘弁して欲しい事態だが……。
「まぁ、察しているとは思うが、ゲラッシ伯爵家としては、君の嫁にポーラを押し込む事で、伯爵家とハリュー家との関係を維持しようと考えたわけだ。縁戚という続柄があれば、他家からの介入に口出しする口実にもなるからな」
「なるほど、たしかにそれは……」
結婚などという手段が、端から頭になかったせいで少々混乱している頭で、彼の言葉を咀嚼する。
彼の言う方法が、有用であるというのは理解できる。なにせ、そのプランならば僕らは、家臣として伯爵家に仕える必要すらない。真に、自由な足場を手に入れられるのだ。
領主の娘の配偶者という、ある意味では少し窮屈な立場にはなってしまうが、普通ならばそれは、デメリットでなくメリットだ。というか、これをデメリットといってしまうと、あまりにもポーラ様に対しても、伯爵家に対しても失礼である。
ゲラッシ伯爵家にとって、どちらがより有益なプランなのかといえば、勿論僕らが家臣になる方だろう。だが、僕らが束縛を厭うだろうという観点から、ポーラ様を娶らせるという手法を選んだはずだ。
しかし実際には、予想外に僕らが家臣に取り立てて欲しいと言い出してしまった。伯爵家としてはそれで構わないのだろうが、そのせいでポーラ様の身が浮いてしまった。
先の彼女の発言は、これを指していたのだろう。だったら別に、予定変更して別の人のお嫁さんになればいいのに……。
「ハリュー家の当主は、姉であるグラです」
「ショーン?」
僕の発言に首を傾げたグラを手で制し、ディラッソ様に向き合ったまま言葉を続ける。
「僕ら姉弟の、人材的価値は等価ではありません」
「ふむ……」
興味深そうな顔で頷き、先を促すディラッソ様。僕もまた、それに乗って話し続ける。
「グラは、基本的な魔力の理を網羅し、ダンジョン学においてもケブ・ダゴベルダ博士と同等の知識を有しています。また、近接戦闘技能においても、上級冒険者としてなんら劣る部分はありません」
「幻術ならば、君の方が上なのではないか? 世評においては、君は稀代の幻術師と呼ばれているそうだが?」
「僕にできる事は、すべてグラにもできます。グラにできる多くの事は、僕にはできないものの方が多い。事程左様に、僕ら姉弟の価値は等価ではないのです」
「…………」
グラから、なにか言いたげな視線と、無言の抗議がビシビシと飛んでくるが、ここでは一旦無視。別に間違った事は言っていない。聖杯だって、作れるのはグラだけだし。
「もし仮に、僕がゲラッシ伯爵家に仕えた場合、グラの身が浮いてしまいます。僕の家族として、伯爵家が防壁となってくれるのかも知れませんが、先にディラッソ様が警告してくださった通り、嫁という形で他所に取られる不安は拭えません。それは伯爵家にとって、損でしかないでしょう」
「必ずしもそうとは思わんが……。しかしなるほど、故にこそ姉君の方を仕官させ、ハリュー家の当主に据える、と? さすれば、勝手な縁組を取り決められる惧れは、格段に減るという腹か」
「はい。しかしそうなると、ポーラ様の扱いが、あまりにも……」
家臣の嫁というならばまだしも、家臣の弟の嫁というのは、流石に納まりが悪い。こんな言い方をするのはアレだが、娘というのは貴族にとっては、重要な政治カードなのだ。
婚姻関係というのは、暗黙の同盟でもある。また、娘を家臣に嫁がせるというのも、その者を信頼し、重用している証にもなる。特に、土地との結びつきの薄いゲラッシ伯爵家にとっては、地元の有力者である家臣に、ポーラ様を嫁がせる意味は大きいだろう。
だが流石に、家臣の親族にまで降嫁させるというのは、政治的なメリットが薄すぎる。まして、新参の家臣の家であればなおさらだ。
僕の言いたい事を十全に理解してくれたのか、ディラッソ様はぼやくように口を開く。
「なるほど。たしかにそれはな……」
「他の家臣方からも、反発が生まれるかと」
どこの馬の骨とも知れぬ、身分もない男と娘とが結ばれれば、伯爵家そのものの名にも傷が付く。ゲラッシ伯爵家は、その程度の家なのだと、軽んじられる事になるだろう。それに対し、伯爵家の家臣たちが、文句を言わないわけがない。
ゲラッシ伯爵家を思っている家臣であればある程、そんな婚姻は許可しないだろう。
「ふむ……。まぁ、話はわかった。だがそれならば、二人とも我が家に仕官するというのはどうだろう? たしかにグラ殿は稀有な人材なのだろう。だがしかし、見聞きした情報において、そしてこうして実際に目の当たりにして、ショーン殿が一門の人物であると、私は理解している。故にこそ、二人とも我が家に仕えるというのは、悪い話ではあるまい」
それはまぁ、一般人からすればそうだろうね。だが、僕らが現状の策を採らねばならなかったのは、あくまでも他所からの引き抜き工作を免れる防波堤が欲しかっただけだ。
一人が伯爵家に仕えれば事足りるのに、二人ともが仕えるメリットは、まるでない。というより、そうなるとまたぞろ、ポーラ様を嫁にという話に戻ってしまいかねない。
「こう言ってはなんですが、あまり伯爵家のいいように使われるつもりは、僕らにはありません。重心をそちらに寄せすぎると、身動きが取れなくなりそうで困ります」
僕の、かなり直接的な拒絶に、ディラッソ様は楽しそうに苦笑するという、良くわからない表情で頷いた。
「ふふ……。なるほど、良くわかった。残念だな、ポーラ。どうやらまだ、嫁入りは先のようだ」
「むぅ……。残念だ。兄上も父上も、いい加減私の身の振り方を、きちんと考えて欲しいのだがな」
「これでも結構頑張ったのだがな。なにより、そんな歳まで騎士の従者などしていた、お前が悪い。ただでさえ、我が家の娘など嫁に貰いたがる家など少ないというのに、お前のような男勝りともなれば、なおさら貰い手がななくなってしまう」
やれやれとばかりに首を振るディラッソ様に、憮然とした顔で腕を組むポーラ様。
ふぅ……。どうやら、なんとか切り抜けられたらしい。代わりに、グラを当主として、伯爵家に仕官させる事にはなってしまったが、まぁなんとかなるだろう。
それまでに、グラに最低限の挨拶と受け答えができるだけのコミュ力と、嫌味を言われても、即座に実力行使に出ない辛抱強さを持たせられれば、伯爵家家臣の体裁は取り繕えるはずだ。
本当の本当に最悪の場合は、僕がグラのフリをすればいいだけだ……。
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