第69話 箱水母

 ●○●


 翌日。


「なるほど。ここが、先生方のダンジョンかい? 興味深いねぇ」


 パティパティアトンネルへと赴いた僕とグラの隣には、一見すると人間にしか見えない美女がいた。

 ちなみに、既にパティパティアトンネルは帝国側もベルトルッチ側も、帝国軍に管理されているが、まだそこまで大人数が派遣されているわけではない。本当に、ギリギリまでこのトンネルの存在を秘匿しておきたいのだろう。


「そう言われると、披露するのがこの程度のもので、少々恥ずかしいんだけどね。なにせ、なんのギミックもない、本当にただのトンネルだし」


 そう言って頭を掻きつつ、僕は彼女の様子を盗み見る。

 軽くウェーブのかかった黒髪に、スレンダーな肢体を、黒い長袖ロングのワンピースに納めた、一六〇センチ半ば程の大人な女性だ。焦げ茶色の瞳を有するタレ目には、大きな眼鏡がかけられ、その奥には泣きぼくろが、なんともいえず妖しい雰囲気を醸し出している。

 まぁ、泣きぼくろに関してはどうでもいい。ただ、眼鏡に関しては、彼女を創造する際に付けた枷の一つだ。生まれつき、視力を弱くするという行為には、そこそこの罪悪感を覚えた。だが、彼女が僕らの敵になった場合の優位性を保ってくれたり、敵になろうとした際にも、それを思いとどまらせるだけのストッパーになってくれるかも知れない。

 そう。彼女は新たに生み出した、DP補給用疑似ダンジョンコアの原型アーキタイプであり、このパティパティアトンネルの管理を任せる予定の存在である。


「ウカ、もう一度自分のプロパティを述べなさい」


 グラが命令を下すと、彼女は柔らかく「はい」と応答してから、すらすらと述べる。


「名前はウカ・ウケモチ。年齢、二八歳。種族、只人ヒューマン。出身、第二王国、王冠領、南フラウジッツ領の寒村。冒険者であり、魔術師でもあった夫に先立たれ、遺された研究を売り込む先として、昨今名を馳せており、また羽振りも良さそうなハリュー姉弟を頼る。また、夫の研究を自らも手掛けるべく、そのハリュー姉弟に弟子入りした未亡人。現在は、弟子兼助手として、姉弟に雇われています。元農民という建前の、元農奴」


 ウカ・ウケモチの名付け親は勿論僕で、漢字では食保ウケモチ宇迦ウカと書く。由来は言わずもがな。


「『雇われています』は、ちょっと農民らしくない口調だから、改めようか」

「あいよ。雇われてるよ」


 僕の忠告に、ウカが蓮っ葉な感じで言い直す。そこにさらに、グラが質問を重ねる。


「人間が、あなたの知識にない質問をしました。どう答えるのか述べなさい」

「アタシは鄙びた農村の生まれで、もの知らずだと弁明する。また、さらに突っ込まれた際には、元農奴であるという事を明かして、知識不足の言い訳とする」

「よろしい。出身地その他についても、不自然さが生じた際には、農奴という事で記録や記憶に残っていないと主張しなさい」

「あいよ」


 ウカの返答にこくりと頷くグラだが、僕にはどうにも、彼女の受け答えに違和感があるんだよなぁ……。

 まぁ、たったの数日で、まっさらな疑似ダンジョンコアに、淀みなく人間社会に溶け込める社会性なんて持たせられるわけがない。元農奴という形で、知識不足の言い訳を用意したのは、間違いではないと思う……。のだが……、なんというか、言動の端々から、グラっぽい品の良さが漂ってしまっている気がするのだ。

 それが、元農奴というカバーと合わさると、とてもではないがしっくりこない感じなのだ。


「――とはいえ、いまさら路線変更もできないし、調整に使える時間もない、か……」

「未熟な下僕で、申し訳ないね」


 そう言って苦笑するウカだが、やはりその仕草も、どこか上品で困る。生まれたてなのだから、もっと未熟でたどたどしい感じなら、それっぽかったのにと思ってしまう。

 ちなみに彼女は、僕らがダンジョンコアとその眷属であるという事は知っているが、僕らのダンジョンがアルタンにある事も、ダンジョン内のギミックについても、なにも知らない。

 数日前、四層で生みだされた彼女ではあるが、特に問題が見付からなかった段階で、海沿いのウワタンの町にある【展望台ベルヴェデーレ】に【門】で移動し、そこでいろいろと教育を進めた。四層がダンジョンであったのかも、彼女の立場では判断できないはずだ。


「まぁ、なんとかなるか。男性に恋愛感情を持たれ、言い寄られた際には?」

「亡夫に操を立てている為、申し訳ないと断る」

「それでもと迫られれば?」

「嫌だとハッキリ断る」

「うん。まぁ、それでいいよ。さらに付きまとってくるようであれば、しつこいと切り捨ててから、無視していいと思う」


 まぁ、勿論ケースバイケースだし、身分が高い相手とかにやると拙い事態に陥る惧れもある。だが、レアケースにも臨機応変に対応できるだけの知識は、現段階では余計な混乱を生じさせかねない。忘れてはいけないのは、彼女もグラも人間ではないという点であり、元人間の僕と違って、完璧に人間に擬態するというのは、至難なのだ。

 さらにグラが、試すようにウカに質問を続ける。この場合、グラの方が細かい点に気が付くのかも知れないな。


「自分が人外と気付かれた際には?」

「速やかにこの装具――マジックアイテム【箱水母ハコクラゲ】を用いて、口封じを図る」

「よろしい」


 ウカが右手の人差し指に嵌めている、黄金の中央に菫青石アイオライト、爪の先を黄銅鉱で補強した【鉄幻爪】を掲げて宣言する。鋭利な爪のアーマーリングだったが、その部分は漆塗りのカバーが取り付けられている。

 付与されているのは【痛みポエナ】の幻術を元に作った、オリジナルの【ファルマーキ】が付与されている。【痛みポエナ】は、文字通り対象に痛みを覚えさせる、下級の幻術だ。それを元に作った【ファルマーキ】は、単純にその効果を強めて、ショック死する程に痛みの錯覚を強めるだけの幻術だ。

 勿論、それだけの幻術を、単純に相手にかける事はできず、まずトリガーとして痛みが必要になる。これは、【鉄幻爪】で傷を付けるという点でクリアしなければならないが、もともと傷を負っていたら、それで代用しても問題はない。ただ、それだけでなく、対象が傷と流血を視認する必要がある。

 傷口と、己の血が流れ出していると認識した、あのなんとも言えない恐怖心が、この幻術の原型となる。

 グラはさらに、厳しい口調で問い質す。


「その情報が複数人に確認され、あなたの独力での情報封殺が不可能だと判断した際には?」

「その場合は、こちらのマジックアイテム【鰹之烏帽子カツオノエボシ】を用いて自爆する。できるだけ広範囲を巻き込みつつ、かつ残る痕跡をできる限り抹消する」

「ふむ。よろしい」


 ウカの胸元で煌めいている、金の細やかな彫金に、鮮やかな青の藍銅鉱アズライト瑠璃ラピスラズリをあしらい、ペンダントトップには豪華に青玉サファイアが鎮座している、豪奢なアクセサリーが【鰹之烏帽子カツオノエボシ】である。鮮烈な青と金の調和が、なんともいえない荘厳さを醸し出している。

 正直、僕らの装具の中ではダントツに金がかかっている……。これらの宝石は、全部他所から買い付けたものだしね……。ただ、属性術をふんだんに用いた毒ガス爆弾なので、付与している術式も非常に複雑で、それだけのリソースが必要だった。むしろ、アクセサリーサイズにまで小型化できた方が、この場合ちょっと驚きである。

 魔石こそ必要としないが、有している能力は、一般人が保有しているだけで掴まるレベルの兵器である。

 使われている金や宝石を思えば盗まれる惧れもあるが、それは別に構わない。わかりやすくキーワードのメモでも残しておけば、盗人自身が証拠隠滅をしてくれるだろう。


「さて、じゃあウカ用の管理人室兼、研究室を作ってみようか。定期的にダンジョンにDPを補給するのも、実践しておこう」

「あいよ。それにしても、お腹減ったわねぇ……」


 ウカのぼやきに苦笑し、僕は持参してきた肉を挟んだ分厚いサンドイッチの入った藤製のバスケットを手渡す。

 彼女に嵌められた枷の一つに、生命力の新陳代謝の早さがある。そのせいで、彼女は非常に空腹になりやすい。一日で、最低でも一万キロカロリー以上必要であり、五食くらい食べている。

 これはDP補給用の疑似ダンジョンコアとしての仕様であり、外界で生きようと思えば大きな足枷になるだろう。ものすごいエンゲル係数だろうしね。子孫なんて残したら、下手すりゃその種族が原因で人類が絶滅しかねない。

 なにせ、知性を持ったイナゴを地上に放つようなものなのだから。


 まぁ、それをやるとダンジョンも食糧難に陥るので非常に困る。なので、致命的な弱点も用意しているけどね。



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